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機内の違和感

 

 

日系航空会社、機内は新しいとは言えないが、不思議な安堵感がある。それはなぜか分からない。だが、CAの不自然な飛び切りの笑顔には何とも違和感がある。中国系に乗り慣れているせいか、どうしても馴染めない。昔ある女性から『あの笑顔は男性、特にビジネスマンにしかしないんですよ。私には冷たいもんです』と教えてもらったことがあるが、どうなんだろうか。とにかく媚を売るというか、何というのか。

 

国内線なので、飲み物のサービスがある。半分ぐらいの乗客は朝が早いせいか寝ており、または自分で好きな飲み物を持ち込んでいる。これならLCC化して、料金を下げた方が良いのだが、それは既に作った別会社でやっていることか。

 

そして何となく違和感があったのは、機内放送。何かが足りないな、と感じたのだが、初めは分からなかった。最後にようやく気が付いた。機内放送は日本語しかなかったのだ。アジアしか歩いていないが、アジアで母国語しか放送しない飛行機に乗ったことはないような気がする。普通は自国語と英語。どうしてこの航空会社では英語がないのだろうか。降りる時に聞いてみた。

 

答えは『本日ご搭乗のお客様は全員日本の方でしたので』。ということは外国人が一人でも乗っていれば英語も使うということだろうか。それよりもどうやって全員日本人だと判断したのかが疑問だった。日本の国内線には身分証のチェックはない。皆携帯電話で検査を通り、搭乗するだけ。セキュリティーは非常に甘いと思っている。その中で『全員を日本人』と判定できる根拠は『名前』と『顔』だけではないか。この2つで日本人と判断し、日本語ができると判断する。実に面白い。この多様な時代に。またそんなところはケチらないで、放送は日本語と英語でやったらどうだろうか。新人さんの研修でもいいではないか、と思ってしまう。

 

《初めての北海道を行く2013》  201363-6

                   

実は私は実質北海道に行ったことがない。どうやらかなり小さい頃に行ったことがあるらしいのだが、記憶はない。もう10年以上前、香港に住んでいた時、キャセイの札幌直行便が就航し、香港人が北海道に殺到した。台湾人は年間数10万人単位で北海道に行っているし、最近では映画の影響もあり、中国人の北海道旅行が流行っている。でも、何だか私には関係ないような気がしていた。寒い所はあまり好きではないし、スキーなどやらないし、お茶もないし。

 

しかしアジアを歩いていて何人もの人から北海道について聞かれると『行ったことがない』という答えは日本人としてはちょっと恥ずかしい。しかも前回の沖縄旅行の際、案内役Iさんを紹介してくれたのは、何と札幌在住のIさん。『どうして沖縄には行って北海道には来ないの』という声も聞こえてきそうで、検討することになる。

 

そしてある夜、普段は使わない航空会社のマイレージが今月切れるというメッセージが出る。でも僅か12,000マイルしかない。これでは海外には行けないな、と諦めて寝たのだが、夜中に突如『国内線なら行けるかも』と思い、HPを見ると、何と『札幌往復平日限定12,000マイル』があるではないか。これは天の啓示、行くしかない。更に帰りは旭川でも函館からでもよい、とのことで、時間の都合のよい函館を選択した。こうして突然北海道行きが実現した。

 

63日(月)

1. 札幌まで

羽田空港で

 

 

朝羽田空港へ行く。前日いつもの癖でWebチェックインを試みたが、何とHP上にその項目はなかった。日本では航空券を印刷するか、携帯のデータを貰い、空港でタッチすれば入れる、と書いてある。私は航空券を携帯ではなく、PCで貰っていたので、PCから携帯にこのデータを転送して備えた。こうすればカウンターに行く必要がない。

 

当日ラッシュ時間帯に羽田まで行くと予想以上に時間がかかる。チェックインカウンターはそれなりに混んでいたので、そのまま安全検査に向かう。ここで携帯をかざしたが通ることが出来なかった。何故通れないのか、と聞いても、立っているのは警備員。仕方なく航空会社職員を呼んでもらう。


 

実は私の携帯は8年以上変更していない。震災の時も緊急地震警報など鳴らない旧機種だ。てっきりこの携帯のせいだと思い、念のため確認したかった。ところがやってきた職員は『それはここでは断定できない』という。では函館からの帰りはどうなるのか。調べてもらうことにして、飛行機に乗り込んだ。

 

 

空港で沖縄を思う

 

 

何だか興奮状態のまま、空港へ向かう。結構時間がかかった。やはり遠かったんだな。空港近くの野球場、ここでプロ野球が行われるらしい。そういえば沖縄は野球が盛んなところ、高校野球は強かったな。

 

空港で下川裕治さんの『新書沖縄読本』を買った。これは今回知り合ったNさんの疑問がこの中にあり、私にその確認の役目が与えられたからだ。機内で読んでいると沖縄の複雑さ、多様性が分かり、実に興味深く読んだ。


 

沖縄ブーム、とは何だったのだろうか。本土の人々は沖縄に青い海を期待するが、『沖縄の人が海に入ることは稀』という事実はそのギャップの大きさを物語っている。領土問題は別として、沖縄は日本でもなく中国でもない。ポリネシアの要素も多く、アジアを歩いている私から見れば、まさにアジア人であると言える。

 

これからもご縁があれば、沖縄へ行き、本島のみならず、離島へも行き、その多様な文化、社会を見ていきたいと強く思った。さて、来年ご縁があるだろうか。

 

沖縄の茶畑

 

 

実は沖縄に来た時から、『沖縄にも茶畑があるはず』との思いから、何人かの人に聞いてみたが、確たる答えが得られなかった。Iさんによると『確かにあるはず』と言い、茶館でも相談してもらい、琉球紅茶という名前に行きつく。ここがアジアならいきなりその場所へ行ってみるのだが、日本ではそれは失礼に当たる。この辺が日本の難しい所。Iさんが電話で聞いてみた。帰ってきた答えは『当社では茶畑見学などは受け付けていない』というものだった。まあそんなものかもしれない。

 

だがIさんは諦めなかった。うろ覚えでもう一つ昔行ったことのある場所へ電話した。答えは『今社長は茶作りで忙しくて、茶摘みもやっているのでとても対応できない』というもの。Iさんはしょんぼりしていたが、こちらの目は輝いていた。『それだ、行こう』。応対など期待していない。先ずは茶畑があり、まさにそこで茶摘みをしているのであれば、それだけで見る価値がある。だがその場所は那覇から30㎞は離れており、空港からは更に離れている。今日これから東京へ戻る私に残された時間はギリギリだった。でも行った。

 

Iさんの運転で、うるま市石川というところへ行きつく。ここは普天間基地からも近いようで、ヘリが飛んでいた。なだらかな丘を登る。そこには茶畑があったが、どうも今一つ管理されていなかった。その先に目指す山城紅茶はあった。喫茶店舗があり、そこへ入る。そして驚愕の事実が。


 

何とその向こう側の茶畑では茶摘みが行われていた。32度の炎天下、おばさん達がせっせと手で茶葉を摘む。こんな光景が日本で見られるとは信じ難い。日本の茶葉はほぼ機械摘みと頭から思い込んでいた。それにしても56人で摘んでいる。早々茶畑に入り込み、写真を撮る。そしておばさん達に聞く。


 

この茶葉で紅茶を作っているらしい。だが『私はコーヒーしか飲まないさー』などとケタケタ笑う。いつから作っているかも知らない。何でこんな辛い労働しているのか、『草むしりよりは楽サー』と。唖然。後で聞くと沖縄には本当に仕事がないこと、60歳を過ぎても何かしら仕事をすること、などの習慣から成り立っているらしい。


 

店舗で紅茶を頼んでみた。ちょっと苦い感じがした。紅茶作りは3代目の若社長が自らスリランカに修行に行き、最近始めたようだ。当日も地元の放送局の取材が入っており、社長はその対応に追われていた。若手経営者として注目を集めているようだ。


 

私はカウンターにいた女性に話を聞いた。先代の奥さんだった。この茶畑は戦後作られたもので、先代までは緑茶を作り、本土へ送っていたとか。ただ最近は緑茶の売れ行きが落ち、3代目は紅茶に切り替えたらしい。沖縄の独自ブランドを作るのは変化する必要があるということか。


 

本格的にはこれからだろうが、このような新しい試みは素晴らしい。手摘みの茶葉を使い、紅茶を作る、次回は社長にお話を聞いてみたい。今回はもう東京へ帰る時間となり、茶畑を後にした。

 

 

流求茶館

 

 

Oさんの車に便乗し、那覇へ。車中でまた1時間半、色々と語り合う。本当に初めて会った人という感じがしない。かなり深い個人的な会話が続く。これも日本では極めて珍しい。『初めて会ったとは思えないさー』と言われ、ちょっと嬉しい。那覇市内のローソンの前で車を下りる。ここがどこかは分からない。すると向こうからIさんがやってきた。オフィスが直ぐそこらしい。ここはどこかと見ると、何と県庁の裏だった。こんな一等地に。『祖父の家だった』というが、ロケーション抜群。

 

車でランチに。那覇の来る前にシンガポールの知り合いから『お茶なら流求茶館へ』と言われており、Iさんに連れて行って貰う。彼女も最近この茶館へ通っているという。この辺も茶縁だろうか。静かな場所にあるこの茶館、店内はカウンターもあり喫茶店の雰囲気でもあるが、テーブルの上に電気ポットが供えられていた。


 

ランチは魯肉飯セット。こちらでは台湾茶を扱っており、ご飯も台湾。台湾の魯肉飯は小ぶりの椀で食べることが多いが、こちらは牛丼風。お味は美味しい。何だか嬉しくなってしまった。沖縄は日本本土より台湾に近い部分もある。台湾に行きたいな、と言っていると、『明後日からお店主催の台湾ツアーがあり、Iさんも参加するんです』というではないか。何と羨ましい(後日聞いたところ、Iさんは急に行けなくなったと残念がっていた)。


 

台湾へ何度も行っているうちに台湾茶好きになり、それが高じてお店を出して既に8年。沖縄では珍しい茶館。実にホッとする空間がそこにある。自分で高山茶を入れて、ダラダラしている、沖縄の緩い空気が心地よい場所だった。YさんとMさんにはこれからもお店を続けて欲しい、と思った。





 

 

アロハホテルで極楽生活

 

 

車で那覇からおよそ1時間半、ようやく屋我地島に到着。この島は本島と橋でつながっており、島に来たという実感はない。因みにこの島を中継して古宇利島へつながる。古宇利島の方が有名であり、屋我地島には何もないように見える。実際島の中に何かがある感じはない。そして今日の宿泊先、アロハホテルが見えてきた。広大な敷地、本島の向かい側に位置しており、眺めは抜群。南国ムード漂うホテルである。しかしなぜアロハなのか、なぜこの島にあるのか、はっきり言って謎だらけだ。


 

IさんがここのオーナーOさんを紹介してくれる。そしてなんと彼女は那覇に帰ってしまった。そしてなんとなんと、お客さんは私しかいなかった。借り切り、というか、オーナーと二人きりというか。奇妙な状態に置かれる。


 

部屋に案内されると、そこはスイートルーム。長期滞在も可能でキッチンもある。リビングも広く、実に快適な風が海から吹き込んできた。いや、これは極楽だ。ここでダラダラ過ごそう、とっさにそう決めた。何もしない。トイレも広い。気分がいい。





 

ただネットが部屋では繋がりにくかった。習性でロビーに行ってネットした。でも直ぐ止めた。こんなところに来てまでネットするほどアホなことはない。Oさんが飲み物を持ってきてくれた。母屋の屋上に上がると、すごくいい風が来た。向こうでは夕日が傾き始める。そんな中で、色々な話をした。2時間ほど、沖縄の話やら、不動産の話やら、こちらの身の上話などしていたら、どんどん時間が過ぎた。








 

部屋でシャワーを浴びると快適だった。さっき買ったスパムおにぎりとかまぼこを食べた。すぐにお腹が一杯になった。夜空の星でも眺めようと思ったら、何と雨が降り出した。雨を眺めながら、Oさんとビールを飲んだ。ひんやりして美味かった。

 

Oさんは大のハワイ好きで、今でも1年のうち12か月は行っているらしい。だからアロハホテルなんだ。那覇で不動産業をしたお金をこの地につぎ込み、ハワイのリゾートを再現しようとした。しかも手作りで。5年の歳月を要したそうだ。同じ沖縄と言っても、この辺りは那覇とは違う。地元の人の協力も得なければ何もできない。時間がかかったようだ。幸い地元の協力者が見付かり、今は2人でやっている。それでも広大な敷地、植物の管理だけでも大変だ。昨年は台風で大きな被害も出した。ホテルを辞めようか、と思うこともあるようだ。この辺、実に率直な会話になった。実に面白かった。気が付いたら11時を過ぎていた。

 

530日(木)

朝食

 

 

ゆっくり目覚めた。ベッドルームは東に面していたので朝日が眩しかった。それでも気持ちはすこぶる爽快。ベランダに出て朝の風を浴びる。目の前に海が広がる。すごい。このホテルは元々釣り宿として、内海で釣りを楽しむ人のためにあったところだそうだ。確かにホテルの海の方へ降りると、小舟に乗れる。これはこれで楽しいのだろう。


 

散歩に出た。島のどちらに歩いて行けばよいかも分からず歩き始めたが、何と急に雨が降ってくる。そうなると隠れるところもなく、ダッシュでホテルに戻る。ホテルは入口から登坂になっており、かなりきつい。朝から相当の運動をした。


 

朝ごはんはホテルが用意してくれた。アロハホテルのイメージとは異なる純和風。お粥、吸い物、卵焼き、これは実に繊細で嬉しい。そしてまた海を眺める。10時頃に那覇に用事で出るOさんの車に便乗して島を離れた。何とも夢のような一夜だった。


 

中華ランチとスパムおにぎり

 

 

ホテルに送ってもらい、そこで荷物を受け取り、初日にお会いしたIさんと再会。一緒にランチへ行く。那覇には華僑、華人はどれくらいいるのだろうか。中華街はあるのだろうか。そんな思いもあり、中華レストランに連れて行って貰う。

 

中華マンと蒸し餃子のランチセット。とても美味しかったが、この味は日本料理。そう、沖縄でも本格的な中国料理、というよりは横浜中華街の中華料理が主流なのかもしれない。それは商売上そうなのだろう。今後中国人観光客が増えると何か変化があるだろうか。中国茶器が置かれていてお茶もあったが、ライチ紅茶や桂花烏龍、沖縄のハーブ茶など、女性には喜ばれそうだが、本格的にお茶を飲む感じはない。


 

そしてIさんとドライブに出た。ドライブというより、これから屋我地島という島に向かう。実は今回沖縄の人に『行く場所は久高島と屋我地島』というと、『かわってる。沖縄の人は普通行かない』と言われ、中には『屋我地島なんて知らない、どこにあるの』と言われて面喰ったりした。実は、いや勿論私も何も知らないのだ。ただIさんが『今晩は屋我地島に泊まったらどうですか』と言われ、それに従っただけだ。


 

那覇の街を出ると青い海が広がっている。道路に車の姿も少ない。これはいい。途中でドライブインに寄る。実は今晩の食事はここで調達するというのだ。何だか楽しくなってきた。Iさんが私のために選んでくれたのは、スパムおにぎり。スパムはランチョンミート。沖縄の人が大好きだとは聞いていたが、これほどデカいおにぎりになっているとは。


 

またおかずとして、かまぼこ、と言われたので本土の蒲鉾を想像したが、これも大きく違う。全てが揚げてある。これは東南アジア型の食事だ。この2つで十分すぎる量だった。すごい。

 

そしてぜんざい、食べますか、と聞かれ、はいというと、何とかき氷ぜんざい?が登場。かき氷の下に白玉が入っていた。食べている脇にはなぜか宝くじ売り場がある。とても新鮮なドライブインだった。





 

沖縄の特徴

 

 

ご紹介を受けたTさんと『ジュンク堂前』で待ち合わせた。ジュンク堂は那覇でもメジャーなようだった。Tさんは横浜生まれだが、オリジンは沖縄。3年前に那覇に移住した琉球舞踊の担い手。ご主人はサンシン奏者。


 

車で少し離れたおしゃなカフェに移動した。話によれば、『那覇には喫茶店はあまりない。基本的に沖縄では喫茶店に入る人が少ない。これは習慣だと思う』とのこと。人との待ち合わせは路上、だったりするらしい。最近は若者向けのカフェが登場したが、以前なら気楽に話ができる場所はなかなかなかったという。またお茶を飲む習慣もあまりなく、家で麦茶を飲む程度ではないかとも。飲み物の基本は水。最近はさんぴん茶のペットボトルが便利なので、飲む人が増えているようだ。


 

因みに沖縄が本土と違う点として、私が気の付いた点は。①自転車に乗っている人が少ない。特に母親が子供を乗せて漕いでいる姿はない。(沖縄の人によれば、そんな人がいたら本土から来た、とすぐ分かる。沖縄は完全な車社会。子供が生まれたらどんなにボロでも車を買う)

 

②ケンタッキーフライドチキンをご飯と一緒に食べる。(フライドチキンはご飯のおかずだからテイクアウトする人が多い。またちょっとした近所へのお土産などにケンタッキーをテイクアウトして、熨斗を付けて渡すらしい)これはマニラやジャカルタと同じ、ポリネシアン文化だ。沖縄は文化的には日本でもあり、中国でもあるが、また東南アジアでもある。

 

結局琉球舞踊の話は殆ど聞かずに、時間が来てしまった。最近よくあることだが、話のポイントに至らないのは良くない。

 

 

5.     那覇2

Oさん

 

 

ホテルに到着するとチェックインだけして、荷物を持って横の居酒屋へ。そこには知り合いに紹介されていたOさんが待っていてくれた。Oさんは沖縄のラジオパーソナリティ。沖縄で起こっている幅広い事象について解説してくれた。「沖縄は自立すべき」という言葉が印象的だった。

 

またヨーガ合宿で一緒だったNさんのことも知っていた。何とNさんの奥さんの教え子なのだそうだ。世間は狭い、いや沖縄は狭いのか?そんなご縁で話が弾む。ただ彼は朝早い番組を持っていることから、夜は早めに引き上げる。


 

529日(水)

修学旅行生と朝食

 

 

翌朝はゆっくり起きる。合宿から解放されると突然ルーズになるのは悪い癖。そそくさと食堂へ降りていくと、何とそこには修学旅行にやってきた小学生の一団がいた。何だか自分も修学旅行に来たような気分で、食堂の端の席に着く。

 

先生がしっかり席に着いて一緒に食べているせいか、それとも元々おとなしいのか、私が子供の頃のあの騒がしい学校の旅行の様子はない。きちんと食べている子もいるが、ほとんど食べていない子がいたことも特徴だろうか。きっと普段朝ご飯を食べないのだろうな。

 

周囲には台湾人の家族が食事をしていた。彼らは不思議そうに小学生を眺めていた。台湾には修学旅行はないのだろうか。いや、あったとしても、こんなに整然と子供が食事をする風景は日本しかないのかもしれない。

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