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夕飯
 

今回偶然にも東京のお知り合いK夫妻がGWの旅行で厦門に来ていた。彼らは本日永定県の土楼見学に行っており、いつ戻るか分からない。連絡待ち。7時に彼らが泊まっている泰谷飯店へ。ここは海辺で出来て1年。きれいなホテルだったが、周囲に食べるところがない。ホテルに聞くと有名なレストランを紹介してくれたので、タクシーで向かおうとしたが、運転手は誰もそこには行きたくないらしい。なんで?『高いだけで美味くない』らしい。

 

 

結局運転手が連れて行ってくれたのは大通りからちょっと入った海鮮レストラン。エビやカニ、魚など自分で選んで調理してもらう。K旦那が張り切って選んでくれた。テーブルの上は皿だらけとなり、3人で食べきらないほど。しかも主食として頼んだ麺は直ぐに来てしまい、伸びきる。




 

 

K夫妻は二人とも中国に関係する仕事をしているが、旅行で中国を旅する機会は多くない。今回は厦門まで来て、そこから雲南省へ行き、日本へ帰る途中、最後の日を厦門で過ごしていた。私も明日から安渓だ。すごい偶然、いや必然。何だか楽しく話をしてしまった。

 

食後は厦門の夜道を歩いてみる。午後10時、脇道に入ると昔のアモイが蘇った。暗い、店はすでに半数が閉まっており、道にはごみが散乱していた。古い建物の下の食堂と果物店は開いていた。Kさんがドリアンを買う。それは何となく映画のセットのようで面白い光景だった。

 

 

雨が降り出したのでタクシーを探して帰る。厦門の旧市街、狭い道を抜けるとそこには明るい新しい厦門があった。

 

散歩

中山路を少し行くと、古めかしい道があった。古城東路、観光客用の道だ。狭い両側には店が並び、特に茶が目立つ。新茶の季節だし、そもそも厦門と言えば鉄観音茶、というイメージはあるのだろう。だが、無造作におぼんやざるに置かれた茶葉を見ていると、何となく違和感がある。妙に青々とした茶葉が並べられている。本当はこんな茶葉なのだろうか?しかも異常に安い。







携帯電話の残金が気になり、足すことにした。その辺の携帯屋に入り、申し出ると店の主人が『日本人か』と聞く。最近最初から日本人かと聞かれることが少なくなり、ちょっと嬉しい。オヤジも『俺は一目でわかったよ』と自慢げだ。何故わかったのだろうか。




この辺りは古い街並みがあったはずだが、徐々に開発が進み、ビルが増えている。お寺もビルに収納されてしまったところがあった。その1階でお婆さん達がお茶を飲んでいた。昔厦門では街の至る所で小さなテーブルが出ていて、3-4人でお茶を飲んでいる光景が見られたが、今や昔となりつつある。







海に近づくと中華城という洋風建築を改修した建物が並ぶ。きれいではあるが、ブランドショップなどが入り、特に厦門らしさはない。厦門は今や中国でも有名な観光地であり、全国から来る人々の落とすお金が重要な収入になっている。中山路はもっときれいに改装され、週末の歩行者天国は人であふれていた。台湾関連のイベントも行われおり、台湾を前面に出した商品販売も盛んに行われていた。




中山路を突き当たるとそこは鷺江賓館。地下道を通り、海側へ行くとコロンス島へ渡るフェリーがある。往復で8元。13年前は1元。そんなものだろう。コロンス島は静かないいところだったが、今はどうだろうか。行ってみたい気もしたが、今回はやめておこう。人が多すぎる。天気はいま一つだが、雲の合間からほんの少し太陽がのぞく。何だか疲れたのでバスに乗ってホテルに帰る。


 

2. 厦門   華僑大廈

華僑大廈、この名前ほど懐かしいホテルは中国にはない。1987年、福建省を旅した際、福州、泉州、厦門(http://hkchazhuang.ciao.jp/asia/china/mukashi08guilin.htm)でお世話になったところである。当時ホテルは事前予約もできず、直接行っても直ぐには『部屋がない』などと言われ、交渉に交渉を重ねて泊まる、そんな時代に、この華僑大廈は何のチェックもなく、泊めてくれた。しかも当時留学生だった私は『台湾香港同胞料金』という特殊ルールの恩恵にあずかり、料金も安かったのを覚えている。何とも有難いホテルだった。




今回厦門に来るにあたり、宿泊先として13年前に泊まった鷺江賓館(http://hkchazhuang.ciao.jp/chatotabi/china/teatrip_05.htm) をまず考えたが、料金は当時の3倍にもなっていた。ロケーションが良いうえに、改修もしたようだ。そこで華僑大廈となったわけだが、ここも当然改修されており、きれいになっていた。ネットで予約した料金はそれほど高くなかったのでちょっと不思議だったが、その理由は本館の横に別館が敷設されており、こちらはビジネスホテルという雰囲気だった。それでも従業員の対応はソフトであり、北京などと比べると非常に良かった。ネットはWIFIとケーブルの両方があり、助かった。










ホテルの周囲は完全に変わっており、全くわからなくなっていた。特に政府系の巨大な建物に違和感があった。中山路は歩行者天国になっており、きれいな店が増えていた。中国の発展とはそういうことだ。

 

《安渓 鉄観音の故郷を訪ねる》2013年5月4-10日

香港で12年付き合っている茶荘、茶縁坊。その独特な焙煎で日本人にも好みの鉄観音を売っている。2001年の開店以来、何度も彼らの故郷、福建省安渓の茶畑を訪れたいと思っていた。だがその数日がなかなか工面できずに今日まで至る。

先日茶縁坊でのんびりと茶を飲んでいると『このお茶もいつまで飲めるか分からない』としんみりと言われる。理由は茶農家の高齢化。親戚から茶葉を調達しているが、既に60代で、後継者はない。今年は作るが来年は分からない、と。そう聞くとどうしても行きたくなる。既にインドネシア行の予定があったが、無理やり時間を作り、出掛けることにした。

2013年5月4日(土)  1. 厦門まで  フライトキャンセル

2日の夜、ジャカルタから香港へ戻り、翌日は香港大学日本研究科の発表会を見学。そして次の日は厦門。結構きついスケジュールだ。寝ようとしているとメールが届く。『明日のフライトはキャンセル』と。え、どうするんだ?続いて携帯に電話が入る。3時間後のフライトに乗れ、さすがドラゴン航空、きちんと対応はしている。ちょうど昼のアポが入らなかったので、特に問題はない、ゆっくり行こう。

翌朝軽く寝坊して、空港へ向かう。空港で自動チェックインを試みるもはねられる。『既にチェックイン済み』とか。フライトがキャンセルになったのにチェックイン済みとは何だ。カウンターで行列を待つ。聞けば『もともとのフライトにオンラインチェックインしたので、自動的にこの便にもチェックインしている』。うーん、納得できない。ちょっとフラストレーションが溜まり、何と空港内でサボテンのとんかつを食べてしまう。こんな店が空港内にあるところが香港のすごさ。




飛行機は当然空いていた。2つの便を一つにしても赤字かもしれない。今日は土曜日、そんなことも影響がるのだろうか。1時間ちょっとで厦門高崎空港に到着。厦門は近いな。ここの空港は13年ぶりだが、当然立派になっていた。だが、なぜか飛行機から降りた我々が歩いていく先でほかの乗客がコーヒーを飲んでいた。トランジットかもしれないが、あまりみな光景だった。




空港から市内までタクシーを使わずバスに乗ってみる。10元。乗客は少ない。今や中国もスピード時代。バスは30分弱でコンロス島に渡るフェリー乗り場に着いた。しかしここから今日の宿泊先である華僑大廈への行き方がわからない。運転手が『向かい側のバス停から3番のバスに乗れ』というので、バス停に行ってみたが、降りる駅がわからず断念。タクシーに乗るとあっという間に到着。10元。


 

5月2日(木)   快適なホテル

インドネシア滞在最後の日。朝ゆっくり起きる。チャイナタウンにあるノボテル、ここは寒いぐらいにクーラーが効いており、フランス系らしいおしゃれな内装が良い。ノボテルのアコーグループはアジア展開も活発で、安定感がある。よく見るとこのホテルの斜向かいにも、グランドメルキュールという同じグループの別ブランドのホテルがあった。

 

部屋もそこそこ広く、清潔感がある。窓からの景色も悪くない。これで朝食が付いて日本円6000円は安い。昨年12月にオープンしたばかりだから、キャンペーン中のようだが、お得感がある。ところが翌日も泊まりたいと思ってネットで調べると、明日の料金は8000円になっており、一旦保留して外へ出たが、帰って来て再度見てみると今日と同じ料金になっていたので泊まったのである。お客が来なければ当日料金を下げる、他のホテルにも欲しいサービスだ。





朝ごはんをたらふく食べる。このような快適なホテルに泊まり、ゆっくり活動し、優雅に朝飯を食べる。日々旅を続ける私にとっての贅沢な休日なのである。ホテルの横にはセブンイレブンが併設されており、飲み物などを買うにも便利。








大きな銅鑼の音が聞こえてきた。新聞は昨日の全国100万人デモの様子を伝えていたので、今日はこの地区にもやって来たのかと、外へ飛び出す。ところがよく見てみると中学生か高校生の一団がぞろぞろ行進していた。一体なんだろうか、学生にも不満があるのだろうか。




空港

ホテルをチェックアウトして、空港へ向かう。空港までバスか何かあればよいのだが、近くに空港バスは走っていない、とうことで、ホテルのタクシーを使う。午後3時前のフライトがだが、ジャカルタの交通渋滞を考えると、相当早めに出ておかないと落ち着かない。11時には車に乗り込む。




だが案に相違して、空港までの道は比較的空いていた。僅か30分で到着してしまったのだ。料金も15万p、思ったほど高くはなかった。安堵感あり。空港も予想外に空いていて、チェックインもスムーズ。ここに来て何だか拍子抜け。




時間が相当あったので、喫茶店に入り、コーヒーとトーストを頼む。これが妙に甘いが、妙に美味い。WIFIは繋がるので、ずっとネットに見入る。トイレに行くと、空港内の床に座り込んでいるインドネシア人が沢山いた。椅子よりも床の上が落ち着くのだろうか。今回はインドネシア人の普通の生活に接する機会は殆どなかった。香港でもメードとして沢山の人が働いているインドネシア人。その素顔を見るのは次回ということになるだろうか。




 

コタ地区

コタ地区は発展するジャカルタの中では取り残されている場所かもしれない。駅も昔のままといった感じで、金子光晴などを想起する場合は、良いかもしれない。1929年金子光晴は妻の森三千代とここジャカルタのコタ地区に流れ着き、滞在した。「コタ地区は湿地帯」、道は荒れ果て雨が降れば歩けない状況だったと、書き記している。今日も雨上がりで、足元が濡れていた。




この地は旧バタビアで港に近く、オランダ時代の遺物も残っている。おしゃれなカフェも出来ているが、観光客にように入って行く気にはなれない。バタビア時代に活気のあった港も、今となっては寂しい限り。ファタヒラ広場に連なるコロニアルな建築物が今では博物館となって、その寂しさを一層際立たせている。










雨上がりの夕暮れ時、ジャカルタ湾を眺めようと港沿いに歩いて見たが、古い倉庫などに遮られ、とうとう海を見ることが出来なかった。車ばかりが多くて歩く人はまばら。何だか泥沼の人生に吸い込まれていくよう。すっかり暗くなり、歩いてホテルへ戻る途中、麺屋へ寄る。何だか具だくさんのスープ麺を啜りながら、昔この辺りへ流れてきた日本人の気分に浸る。




 

5月1日(水)   ストライキ

翌朝はホテルでおいしい朝食を食べた。さすがノボテル、パンもうまい。喧噪のジャカルタだが、ここは別世界のように思える。80年代中国に留学していた頃、偶に外資系ホテルに入ると感じられたあの独特の感覚がある。







ホテルの周囲は昨日も歩いたチャイナタウンだが、再度散歩に出てみる。市場のように路上に野菜や雑貨を並べている路地がある。小さい店も色々とある。路地の奥には昔懐かしい中国の風景も点在している。そして奥の奥には中国式寺院もちゃんとあった。金徳院。朝からお参りする華人、そこで知り合いと話し込む人々、座り込む人々の姿が多く見られた。ようやく中国との接点が見つかったような気がした。




今日は午後2時にアポイントがあった。早めにバスに乗って行って、向こうでランチでも食べようとホテルを出た。そして昨日と同じようにバス停へ行ってみたが、陸橋からバス停へ降りるところが塞がっていた。そして誰一人いなかった。見てみるとバスも走っていない。これが昨日言われたストライキの影響だと分かったが、さてどうするか。




道路を走る車も少ない。困ったなと思っているとタクシーがやってきた。アポ先の場所を伝えたが英語は通じない。乗車拒否されるかと思ったが、先ずは乗り込む。そしてアポ先近くのホテル名を伝えると、気持ちよく出発してくれた。ところが市内中心部へ向かう道路はストライキ、デモ行進の影響で軒並み封鎖されていた。一時は行くことができないのではないかと思ったが、運転手が情報を集めて迂回、何とかホテルまでは到着した。この間1時間以上。デモ隊は一度も見なかった。




しかしアポ先のビルは見付からなかった。運転手も走り回って聞いてくれたが分からない。仕方なくアポ先へ電話を入れて指示を仰ぐ。私が思っていたよりかなり離れた場所にあったが、運転手は文句ひとつ言わずに動いてくれた。このタクシーはブルーバードという会社で、評判が良いようだ。有難い。




アポが終了して外へ出た。バスは動いているかもしれないと思い、バス停を探すが方向が分からなくなっていた。確かに一般バスは動いていたが、行き先すらよくわからず乗れない。タクシーは皆乗車を拒否された。それも仕方ない、まだ道路封鎖もあるだろう。悪いことに雨が降ってきた。耐えきれずに近くにあったショッピングモールに逃げ込む。するとタクシーがやってきた。コタ地区まで5万pで行くというので乗り込む。帰りは道路封鎖も解除され、バスウエイも動いていた。かなりのスピードで飛ばしたタクシーは30分ほどでホテルを飛び越え、コタ駅まで来ていた。

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