ショッピングモールで夕飯
Tから電話があったのは、午後7時前。夕飯を食べに行こうという。歩いて昼間行ったショッピングモールへ。ここの4階がフードコートになっており、各国料理が楽しめる。シンガポールの軽食屋があり、台湾のデザート屋、そして日本食屋まである。あまりの多彩さに驚く。
Tea Barなる店に興味を持つ。Tong Tjiという茶のチェーン店が開いている。茶を頼んでみるとちゃんとポットと椀が出てきた。椀の中には柑橘類が添えられており、お茶に甘さはなかった。というか、このお茶は香港の上環の茶荘で売られている焙煎の効いた鉄観音ではないだろうか。恐らくは華人用に輸出されているものだ。こんな所で香港に出会うとは、お茶は奥が深い。
食事は目の前で手打ちしていた麺を食べる。スープは別に出てくる。麺には肉のミンチが添えられている。これはなかなか美味いが、やはり華人の食べ物だろうか。特に華人だ、インドネシア人だという区分けは無いように見えるが、どこかにそれは存在していることがこのフードコートを見ても分かる。面白かったのはここで何故か昔の上海名物、大白兎のキャンディを売っていたこと。最近ブランドが復活したとどこかで見た気がするが、何故ここに。
昨晩バスターミナルに迎えに来てくれたTの従弟、Eから電話があり、彼が車でやって来た。彼は母親と共に繊維工場を経営しており、かなり忙しいらしいが、香港から従弟が来たというので時間を割いてくれている。
連れて行ってくれたのは、バンドンで最近人気の野外のフードコート。地元の人も観光客も来るという。実にいい風が吹いてきて気持ちが良い。食事はしたので、飲み物を買い、話す。ここでは南国風に夜遅くまで大勢の人々がナイトライフを楽しんでいた。これも一つのインドネシア。
4月26日(金) 2.バンドン 疲れ果てる
翌朝は良く晴れていた。バンドンは静かな田舎町。ただホテルで朝食を食べていると上を飛行機が飛んでいく。空港がすぐそこにあった。もし飛行機に乗ればバスのような渋滞はないのだろう、などと考えてしまう。ホテルは三ツ星クラスだったが、屋上にプールもある。インドネシアは暑いため、プールがあるのが当たり前と言われる。
Tは出張なのでミーティングに出掛けてしまう。取り残された私はすることもない。仕方なく街の散策へ出掛ける。直ぐ近くにショッピングモールがある。シンガポール系のパン屋があり、KFCやピザ屋も見える。CITIバンクもある。中もアジアの普通のショッピングモールと変わらない。アジアは画一化してきていると感じられる。
バンドンの鉄道の駅を探して歩く。ところがどうしたことか一向に見付からない。むしろどんどん離れて行っている印象があり、断念して戻る。途中交差点で猿回しの芸を披露している若者がいた。これで結構チップを貰っている。小型バスが沢山走っているが、どこへ行くのか分からないので、歩いて行く。何とそのバスにギターを持った流しの若者が乗り込みギターを弾いて歌を歌っている。そんな商売もあるのか、驚く。若者の雇用問題はかなりありそうだ。
更に歩いていると風車の形が見える。面白い建物だなと思ってみると、そこはパン屋だった。オランダベーカリー。ふらふらと入って行くと、若い売り子さんが私の後ろにピタッと付き、『何が宜しいでしょうか?お取りします』という構えで立つ。これは買わない訳にはいかない。サンドイッチとパストリーを買い、これを昼食とする。ホテルで食べるとなかなか美味かった。因みにこのベーカリーはジャカルタにもあり、結構大きなチェーン店であった。
僅か1時間半ほど歩いたが、流石に暑く、また最近に疲れもあって、午後はホテルで休む。ここ1-2か月は休息の必要性を痛感する。Tがいつ帰って来るのかと待ったが、一向に連絡がない。仕事中に電話する訳にもいかないので、ベッドで寝ているといつしか周囲が暗くなってきた。
ジャカルタ空港からバス
空港に到着すると先ずはアライバルビザの取得へ向かう。香港人Tはビザが不要。羨ましい。ビザのカウンターにははっきり表示が無く、どこへ並べばよいかは担当次第。しかも先に25ドルを支払い、その後ビザ申請となる。まあ特に問題はなかったが、分かり難い。そしてイミグレに進むと、『帰りのチケットを見せろ』という。残念ながら印刷していなかったのでその旨伝えると『航空会社のカウンターで印刷して来い』との指示。時刻は夜の8時でカウンターが機能しているとも思えず、仕方なくIPadを取り出して、画面を見せる。するとぶつぶつ言いながらも『次回は印刷しろ』、通過した。何ともいい加減な話だ。
荷物を待つ間、Tは着々と作業を開始。先ずはATMにてルピーの調達。実に簡単にお金が出てきた。ちょうど荷物が出て来て拾い上げ、次はシムカード。彼はアジアのどこへ行くにも各国のシムを持ち歩いているが、インドネシアは持っておらず、今回購入。私もついでに携帯電話用のシムを購入して早速差し込む。日本円で500円ぐらい。
そして我々はこれからバスに乗りバンドンを目指す。空港内のバス乗り場を探したが、これも分かり難い。ようやく空港の一番端にあるターミナルを発見。バンドン行きは9時に出るとのことで待つ。当然ながら現在の空港は23年前の面影はなく、きれいになっていた。9時過ぎに来たバスに乗り込むと、既に先客多数。不思議なことに後ろにVIPルームのように仕切られた席がある。よくよく観察してみると、何とそこが喫煙室だった。入れ代わり立ち代り、男たちが入って行く。インドネシアは今でも喫煙率が高いようだ。
バスはジャカルタ市内を通過してバンドンへ行くようだが、夜の10時前だというのに、渋滞が凄い。車はなかなか進まない。市内を見ていてもやはり昔の面影はなく、奇麗なショッピングモールなどが見えて驚く。乗客のほとんど寝ている。何と窓に枕が挟まっており、皆それを使って寝ていた。何とも不思議なサービス。しかしその意味は何となく分かる。いつになっても進まない車。寝るしかないのだ。市内の渋滞をようやく抜けてもそこからは長かった。いつ着くともしれない旅。途中でトイレ休憩が入るなど、一向に着く気配はない。
バンドに到着したのは真夜中の12時半。3時間半の旅だった。兎に角疲れた。Tの従弟という男性が迎えに来てくれ、ホテルにチェックイン。何も考えずに寝た。
《インドネシア散歩》 2013年4月25日-5月2日
インドネシアといえば、新婚旅行はバリ島だった。しかしジャカルタへは1989年に出張で行って以来、またバリはその後96年に家族旅行で行って以来、随分と長い間、ご無沙汰していた。自分の知っているインドネシアは全くなくなっていうだろう。
台湾で茶業関係者と話しているとインドネシアの話が偶にでてくる。茶畑はいくつかあるらしい。行って見たいとは思うが、それこそどこに茶畑があるのか、言葉は通じるのか、など問題点も多い。そんな時、知り合いの香港人Tに『インドネシアのバンドンに親戚が沢山いる。茶畑もあるらしい』と言われ、俄然行きたくなる。ちょうど彼の出張があり、何と出張に着いて行くという前代未聞の茶旅となった。
4月25日(木) 1.バンドンまで 香港空港
香港人Tは実はかなり忙しい人。1か月で香港に居るのは1週間もあるかどうか。この日も朝の便で台北から香港へ戻り、そのまま空港ラウンジでジャカルタ行きを待つ手筈になっていた。ところが空港に到着して電話してみると、何と今空港に向かっていると。何が起きたのか。
実はTは体調を崩して、香港の医者へ行っていた。搭乗開始時間になっても現れない。どうしようかと思っていると、ようやく現れた彼はキャセイのメンバーカードを出して、私も一緒に優先登場した。何とも颯爽とした捌きだった。格好いい。
機内は比較的混んでおり、ビジネスマンもいれば観光客もいた。インドネシアの華僑と思われる人々が普通話を使っていた。キャセイの機内は相変わらず寒かったが、何となく前向きな旅立ちだった。ジャカルタまで4時間以上、ウキウキした気分で過ごす。
4月14日(日) 香港へ
今朝は早めに起きて、帰る準備をする。六堡茶は散茶にしても、籠に入っているなど意外に嵩張る。十分に時間を余してチェックアウトし、バスターミナルまでタクシーを拾おうとしたが・・。日曜日の朝ということか、タクシーの姿は一台もない。5分待っても通る気配すらない。これは困った。取り敢えずバス停で見てみると1台だけターミナルを通るバスがある。仕方なく、これを待つが、これまた来ない。他のバスが来ると聞いてみるが運転手は首を横に振る。歩いて行ける距離でもなし、どうするか。
そう思っていたところへタクシーがやって来た。慌てて乗り込む。聞けば、偶然今朝は出勤したらしい。普通日曜日の朝は商売にならないから、タクシーは休みが多いと。この辺りは宵っ張りの土地柄。朝はゆっくりお休みか。
ようやくバスターミナルへ着いた。既に疲れていた。シンセン行きのバスは定刻に出発。街を抜けるとそこも開発ラッシュ。そこかしこの土地を掘り返している。これが今の中国の実態。その後はまた長閑な田園風景が長く続く。まだまだ土地はあるように見える。6時間後、シンセンへ到着した。やはり香港直通バスは便利だった。
完
4.梧州2 チケットが無い
梧州でも目的を果たして満足に浸る。李さんに『これからどうするだ」と聞かれ、ふと我に返る。どうするんだ?バンコックのポーラからは賀州という風光明美な場所があると教えられていたので、行って見ようかと思ったが、李さんによれば、『古い民家も大自然も郊外にあり、バスでは行けない』という。それはそうだろう。
賀州を諦めるとあとは香港に戻るしかない。体調も万全とは言えないし、今回は梧州で満足しよう。バスターミナルへ行き、チケット購入を試みる。ターミナルは大混雑で、長い列が出来ていた。中国では見慣れた光景だが、やはり効率が悪いのだろうか、または何かトラブルでもあるのだろうか。
20分ほど待って自分の番がやって来たので『香港』と告げると、『コンピューターが壊れているので空きがあるかどうか分からない。ここに電話して聞け』と番号を教えられる。そうなら最初からそう表示して欲しい、とは思うが、ここは中国。李さんが電話してくれたが、何と何と、香港行き直通バスは3日後まで満席だった。どうする?李さんは直ぐに窓口に戻り、満席だと告げ、代わりにシンセン行きを買ってくれた。明日朝9時発、これで方向は定まった。シンセン行きは一日数本あったが、どれも人が多いようだった。高速鉄道が開通するとこの様子も一変するのだろう。
夕飯は最後の晩さんではないが、李さんとオジサンと3人で梧州名物?海鮮粥を食べに行った。私はお粥が大好きな人間だが、ここの粥は本当に美味しかった。中国でも北部は白粥に塩の効いたピーナツなどを入れて食べると美味いが、やはり南のドロッと煮込んだ粥が良い。今回はそこにエビ、カニなどがふんだんに入っているのだから堪らない。
オジサンからは茶について色々と聞いた。市政府はお茶の新興より不動産収入に力を入れているようで、六堡茶の知名度は昔より上がっているが、それでも将来は楽観できないという。中国の茶業も曲がり角に来ているようだ。
山の上のプレハブ茶廠
さっきのお茶屋のオジサンが『もう少し山の上にも茶工場が出来たぞ』との情報をもたらしていたようで、食後我々は更に山を登って行った。20分ぐらい行くと、突然プレハブの建物が見えてきた。車が停まり、李さんが降りていく。男性が4人、トランプに興じていたが、なぜこんな山の中でトランプ?
何とこのプレハブが茶工場だったのだ。そしてトランプしている人々は茶葉が届くのを待っていた。李さんはもう完全にお茶屋さんモードとなり、真剣な目つきで製茶された茶葉を見、建物内にズカズカ入り込み、勝手に湯を沸かして茶の試飲を始めた。私も飲んでみたが、特に美味い、とは感じられず。六堡茶など黒茶類は出来たてが美味い、という訳にはいかないので当然か。ただ李さんは気にいった茶があったようで、そこのオジサンと交渉を始めた。これはプロでないと見抜けない。
そして茶畑を見に行くことになった。畑は更に山を登る。海抜も分からない、と言われてしまったが、結構高いはずだ。眺めは良い。ところに・・異様な人々が。そこにはライトバンが停まっており、カメラを構えたオジサンが3人。そしてバンから女の子が2人降りてきた。その子達は何と日本の浴衣を着て、ポーズを取る。チャイナドレスにも着替えていた。どうやらコスプレ撮影会のようだが、何とも異様だった。李さん兄弟はその反対側の茶畑で写真を撮り合っている。
再び工場に戻ると、ちょうど山から茶摘みを終わって茶葉を担いできた女性と出会う。早々に茶葉を確認する。更にはオートバイで運ばれてきた茶葉を見る。李さんはここでいくらか仕入れた。決済は全て現金。梧州に持ち帰り、評判が良ければまた買い足すという。帰りは来た時よりはかなり楽だった。比較的早く梧州に戻った。
六堡鎮
昼時となり、六堡鎮で食事を取ることに。鎮にも小川が流れ、何となく風情のある田舎町だ。古い街並みが良い。ただ最近建てられた住宅もあり、発展がまだら状態。骨董屋と思われる1軒に入ると、古めかしい籠に六堡茶が詰められて売られていた。お茶も骨董の域か。面白い。尚この籠、日本の女性には大人気。ただ嵩張るので持ち帰るのは大変。
お茶屋に入るとおばさんが枝取りに精を出していた。オジサンは悠々と新聞を読む。我々客が来ると相手はオジサンの仕事だ。お茶を淹れて出す。実に素朴な人だった。良く見てみるとオジサンが飲んでいたのは六堡茶ではなく、紅茶。最近の紅茶ブームを当て込んで、六堡茶に使う葉で紅茶を作ったという。こんな所にまで商業主義が蔓延っているのか、それとも好奇心の強いオジサンなのか。
お茶屋の隣の食堂に入る。いきなり目に入って来たのは、大きな容器に入った蛇。蛇やマムシを漬けた酒だ。何故か元気を取り戻した李さんが『これ飲むか』と聞いてきた。勿論断ったが、既に2階では昼間から大宴会が開かれており、騒々しい。
弟さんは早々に厨房に入り、おばさんと何やら交渉を始めた。おばさんが生きたニワトリを手でつかみ、勧めている。今から鶏を絞めているとどれだけ時間が掛かるのだろうか。裏には鶏が沢山籠に入れられていた。鳥インフルエンザが取りざたされている昨今だが、この田舎には全く関係がない。私も郷に入れば郷に従うのみ。
確かに出てきた白切鶏は本当に新鮮で美味かった。梧州の街中では食べられない新鮮さ、ということで、李さん達もバクバク食べた。野菜たっぷりのスープも美味。本来静かな田舎町だが、何故か今日は酒が入り、隣は大混乱。何か祝い事でもあったのだろうか。それとも茶作りが一段落した余暇であろうか。
3.六堡鎮 六堡鎮へ
梧州の街を抜けると、いくつかの工場があり、その先は畑が広がっていた。そして30分ほど進んでから、山道へ入る。最初は広かった道がどんどん狭くなり、そして分かれ道ではどちらへ行くのかさえ、分からない。表示もなく、勿論聞く人もいない。過去に来たことのある李さんの勘を頼りに進んでいたが、何とその頼みの李さんが体調不良を訴える。恐らくは元々車に弱い体質なのだろう。だから昨日もあれだけ親切な彼が『村へ行く山道は大変だ。雨季で道がぬかるんでいる』と行くのを拒否していたのだ。悪いことをしたと思ったが、しかし私は進むしかないのだ。
1時間半ほど掛けて六堡鎮に到着。周辺には茶畑が広がっていた。その中に古風な建物が見える。近寄ると六堡茶廠と書かれている。ここが六堡茶の故郷なのだろうか。実はこの茶廠、昔は隆盛を誇った時期もあったが、1980年代には一度倒産し、最近の街興しで、別の街の人間が投資して再興したとか。六堡茶には不遇の歴史がある。
茶廠の裏には畑があったが、それほどの面積はない。昔は広大な敷地に茶樹が所せましと植えられていたが、その後茶の販売が低迷、100年単位の貴重な茶樹がかなり切り倒されて、畑に替えられたという。たまたまあった樹齢100年の木を見たが、100年でもまだか細い感じがした。改革開放により、国有企業が少しずつ立ち行かなくなった様子が分かる。
茶廠の対面にも茶畑がある。なだらかな丘を登ってみてみる。数人の女性が作業しているので聞いてみると『既に1回目の茶摘みは終わった』とのことで、今日は雑草取りを行っていた。ちょうど4月中旬ごろに茶摘みが行われていると聞いてきたのだが、天候不順で一足遅かったようだ。