リトル東京
夜はホテル近くのリトル東京へ行く。20年前に香港で私の上司であったTさんと再会した。Tさんは転職して今はマニラの国際機関に勤務している。以前より「マニラにも来たら」と言われていたが、茶畑もなく、チャンスが訪れないうち、いつしか10数年が過ぎていた。
リトル東京は10軒ほどの日本料理屋さんが集まっている地域。通りに面した店もあるが、おもちゃのような鳥居を潜ると、ある意味で北京の四合院のような作りになっており、中庭にテーブルとイスが出ていて、そこでビールを飲みながら食べている人々もいる。お客は日本人も多いが、店によってはフィリピン人が多いところもある。味の問題なのか、経営者の関係なのか、なかなか面白い。
我々は関取なる、お店に入る。ここの料理は実に美味しかった。ちゃんこ鍋などもあるようで、うどんはコシがあって、お勧め。店内は畳席とイス席があったが、早い時間から日本人で超満員。驚くほどの繁盛ぶり。まるで日本の居酒屋にいるようだった。
久しぶりのTさん、もうすぐこの地で定年を迎えるとか。まだまだお元気で、当分はマニラに居るようだ。今思えば、「扱いにくい部下」だった私を歓待してくれた。これもご縁と言えばそれまでだが、ご縁に加わる何かを感じる。後日香港でTさんと私と一緒に働いた香港人と再会した。カナダに渡って18年の彼、風貌は変わっていたが、Tさんのことはよく覚えていて、私が交流再開の橋渡しをした。マニラのTさん、放浪する私、カナダ移民のB、香港に残ったA。香港らしい展開だ。
この日は夜遅くまで久しぶりに痛飲した。千鳥足でリトル東京を後にしたが、この付近に危険な感じは無く、ホテルに帰り着き直ぐに眠りに着いた。
チャイナタウン
もう時間は午後1時。腹が減る。チャイナタウンへ行けば美味しい中華があるかもしれないが、我慢できずに駅の下の食堂を眺める。豚肉の煮込み、ひき肉炒めなど、ウマそうなおかずが並んでおり、2品選んで席に着く。フィリピンぽく、コーラも頼む。ご飯とスープも付いてきて100p。味も悪くない。イメージ的には中華料理だが、言葉は全て英語、顔だちも中華系でない人々がやっている。
チャイナタウンはそこから歩いて10分弱の場所にあった。途中で両替所を覗いたが、レートは空港とそう変わらないし、何より中国語は全く通じなかった。これは衝撃。両替のような仕事こそ、華人がやっていそうなのに。
入り口の門には辛うじて漢字が見えた。中へ入って行くと、如何にも中華街という雰囲気があり、宝石などを売る小さな店が所狭しと並んでいた。店頭では若い女性が盛んに客を呼んでいた。近づいて行って中国語で話し掛けるが、顔は中華系ながら英語で返事が来る。分かったことはここの華人は殆どが福建系で、年寄り世代は家で福建語を話し、若者はタガログか、英語、そしてたまに福建語を使い、普通話を使うことは稀らしい。
チャイナタウンの規模は思ったより大きい。どんどん奥に入って行くと、教会が見えた。立派だ。そして礼拝の時間を見ると福建語もあり、ちゃんと普通話の時間もあった。普通話を話す人もいるはずだが・・。少数派なのだろうか。
お茶を売る店も全く見付からない。飲茶屋を見付けて聞くが、普通話も通じなければお茶は無料の物しかないという。華人がこれだけいて、しかも福建系なのにどうしてちゃんとしたお茶を飲まないのだろうか。暑いから冷たいものが飲みたいのは分かるが・・。
不動産開発の広告がデカデカと漢字で出ていた。周辺では開発も始まっており、古い家が取り壊されていた。これからここは変貌を遂げるのだろうか。華人に関しては数人に話を聞いたが、バンコック以上に「自分が中華系」であるという意識が感じられない。完全にフィリピーノに同化しているという人も多い。この国の華人の歴史はきっと厳しいものだったのだろうと思う。
帰りはLRTに乗る気になれずに、ジプニーを適当に乗り継いでホテルの近くまで戻った。リベルタードの駅の近くでは近々行われる選挙の為か、政治家の支持者集会が行われていた。その熱気と人の多さ、これには驚いた。
いきなりジプニーに乗る
ホテルは小さなファミリーホテル。フロントは陽気なフィリピーノ。しかも日本人だと分かると片言の日本語を話しだす。マニラでは日本に行ったことのあるフィリピン人を探すのは難しくない。それ程親近感がある。部屋は2階で窓はない。ネットもロビーでしか繋がらない。それでも居心地は悪くない。
まだ昼前だ。先ずは何をおいてもチャイナタウンへ行こう。ただここが何処だか正確な位置すら分からない。地図が欲しかったが、ホテルにはなかった。仕方なく、フロントの陽気なお姐さんに聞いてみると「ジプニーでリベルタードまで行って、LRTで行けるよ」と事もなげに言う。まあいいか、これも私の旅、とホテルを出る。一本向こうの大きな通り前を眺めるとあのド派手なジープを改造したジプニーが何台も走っていた。だがどれに乗ったらよいのだろうか、英語は通じるが日本人と分かると物を取られるかもしれない、と一瞬頭をよぎり、茫然と立つ。するとジプニーが寄って来て客引き。車の横を見ると「リベルタード」と書かれているので終点まで乗ることにする。
ホテルのオジサンから「ジプニーでは8p以上は渡すなよ」と言われていたので、小銭で8p用意。だがどうやって払うんだ。見ていると乗って来た客が運転手に近い客に金を渡し、その客が運転手に渡している。運転手は運転しながら手だけを後ろに出し、受け取る。面白い。
20分ぐらい乗っているとリベルタードに着いた。が、駅は全く分からない。運転手に聞くと手で方向を指す。その方へ行くとちゃんと駅がある。ジプニーはとても便利な乗り物。乗り降り自由、料金固定。フィリピン人でも携帯を掏られたりするらしいが、私はスマホも持っていないし、リスクない。
LRTはモノレールのような電車。こちらは駅で切符を買うため、行先が分からないと乗れない。適当に買って乗ろうとするが、ホームは人で溢れている。女性専用車両もあった。電車もなかなか来なくて、ようやく来た電車には人が殺到。まるで東京のラッシュ時。しかも冷房が弱くて、皆汗だく。団扇を持って乗り込む客もいるが、人が多くて用をなさない。そして何よりも人が接近し過ぎて、まさにスリの危険がある。ジプニーの方がよほど安全であると言える。20分ぐらい我慢して、カリエドという駅で下車。
2.マニラ 空港で
今回はキャセイに乗って行く。LCCもあったが、空港が街から遠いクラークに着くというので、一応警戒してニノイアキノ空港へ向かう。最近はLCCのお蔭でキャセイも運賃が安くなった。香港の空港で搭乗しようとすると、横でほぼ同時刻にフィリピンエアーの搭乗も始まった。どちらもそうだが、アマさん等出稼ぎ者が多く見られた。機内も満員。香港‐フィリピン間の人の移動は想像以上に多い。
マニラの空港に着くと、午前中ということもあり、入国はスムーズ。バッゲージクレームの所にあるボード、日本語、ハングル、英語、そして中国語で書かれていたが、その字が簡体字ではなく繁体字。そしてイミグレに並んでいた人々も中国大陸人ではなく台湾人が多数いた。中華航空と同時に着いた、というだけのことではなさそうだ。空港で両替を行う。そして携帯のシムカードを買う。他のアジアと何ら変わらない。シムカードは10ドル程度で高くはなかった。
そして初の緊張。タクシーで市内へ向かう。ガイドブックにも沢山書かれていたし、助言にも先ずは空港のタクシーと言われていた。第一関門だ。流しのタクシーに乗らないのはアジアの鉄則だろう。空港で口から出ると向こう側にクーポンタクシーと書かれた乗り場があったが、タクシーは停まっていなかった。これが一番安心なのかと思いながらも、ほかの乗客はイエロータクシーの方に向かったので後をついて行く。
ごくごく普通にタクシーに乗り込む。ホテルの場所を運転手に告げると、「分からない」と英語で言い、紙をまじまじと見る。取り敢えず車を出したのでちょっと警戒。だが空港を出た所で車を停めて、自分の携帯を取り出し、ホテルに電話して場所を確認。その後も陽気に会話する。英語が通じるし、陽気だし、問題は感じられない。勿論平日の午前中、明るい陽射しを浴びていい気分だ。ただ渋滞がひどく、車はなかなか進まない。夜だとちょっと心配だったかもしれない。30分ほどでホテル着。350pで特に料金も問題なし。
《初めてのマニラをスイスイ歩く》 2013年4月3日-7日
フィリピンに行ったのは、確か1992年末。家内が次男を妊娠中に、安定期だというので旅行に行くことにしたのだが、今考えてみると、その旅行先にフィリピンのセブを選んだところに我が家の特色が出ている。あの時は香港‐セブの直行便が就航したばかりでプロモーションがあり、妊婦という理由でビジネスクラスを使う豪華な旅となった。行きはフィリピンエアー、CAのお姐さん達は我が長男がかわいくて仕方がない、といった雰囲気で2時間のフライト中ずっと付きっ切りだった。お客が殆どいなかったという理由が大きいが、長男があんなにモテたのはあれが最後ではなかろうか(http://hkchazhuang.ciao.jp/asia/sonota/sebut.htm)。
だがその時のセブ滞在中の印象は正直あまりよくなかった。その為か、お茶畑が無いためか、フィリピンには以後20年ご無沙汰となった。そして今回ある企画で「マニラ」という文字が浮かんだところへ、突然18年ぶりの再会を果たした人がマニラ在住だったなど、様々なご縁が重なり、初のマニラ上陸を果たしたのである。
4月3日(水) 1.マニラまで チャイナタウンには泊まるな
今回の企画は「アジアで中国語を使ってみる」というものだった。以前香港でご一緒した人が現在マニラ駐在となっていたので、連絡してみると「チャイナタウンには泊まるな。もしどうしても泊まらなければならないなら、ホテルから一歩も出るな」とのメールを貰って驚く。
私には仕事らしい仕事はないが、敢えて言えば「アジアを歩くのが仕事」であり、ホテルから出るな、と言われればいわゆる「飯の食い上げ」になってしまう。どうしたものか、そんなに危険なのか、マニラは。他の人々も「気を付けるに越したことはない」というので、取り敢えず助言に従い、ホテルは比較的安全と言われているマカティ地区、それもリトル東京と呼ばれるエリアに取る。
それにしてももし本当に危険ならば、日本人は行ってはいけないだろうし、日本企業がどんどん進出するなどはもっての外ではないだろうか。まあ、これまでアジアを歩き回り、一度も危険な目にあっていない私、少し気を引き締めて、マニラ初上陸と行こうか。
乗り遅れそうになる
チャイナタウンのホテルをチェックアウトして、空港へ向かう。また電車に乗る。今回の滞在ではシンガポールをかなり歩いたため、到着時に買った電車カードに残高が残っていた。時間に余裕を持ち、チャイナタウン駅ではなく隣駅まで歩き、乗り替えを1つ減らしてみる。
慣れたせいかスムーズに進む。空港近くで乗り換えたところ、周囲に公共住宅が見えた。建物に番号が付いているので分かる。隣には民間の高級住宅が。ここの家賃、いくらするんだろうか、これがシンガポールの活力の源泉なのだろうと、一人納得する。
空港ではチェックインもスムーズ。人はあまりいない。ラウンジを使わせてもらったので、まったりと休み、PCに向かって作業をした。ちょっと夢中になっている間に、周囲に人がいないことに気が付く。係りに聞くと既に私の乗る便の搭乗はとっくに始まっているという。慌てた。
小走りに搭乗口へ向かうが相変わらずチャンギは広い。しかも搭乗前にもう一度セキュリティーチェックがある。荷物が引っ掛かり、バックを開けろという。搭乗口には既に人影はない。慌ててしまいバックがなかなか開かない。係員が「そんなに慌てなくても大丈夫。SQはあなたをいつでも待っていますよ」と言われ、ハッとする。そうだ、ここは中国ではないんだ、アジア一の先進国、シンガポール何だ。私が搭乗するとドアは静かに閉まった。何だかちょっとした高揚感と安堵感、そして・・・。
完
3月5日 変貌するチャイナタウン
夜も時々チャイナタウンを散策したが、ライトアップされ、きれいという以外にあまり見るべきものはない。ただ気になっていたのが、チャイナタウンの真ん中にヒンズー寺院とイスラム寺院があることだ。
チャイナタウンのある場所は元はインド人街だったということで、スリマリアマン寺院がある。入り口の上には鮮やかな神々の像が祭られており、道行く人の目を惹く。中も思ったより広く、観光客も多いが、地元の参拝客が絶えない。中華系でヒンズー教徒はいなはずだが・・・。夜のライトアップは一段と幻想的だ。
ジャマエモスクは非常に質素な作りで、イスラム的な清潔感があった。入り口で日本語のパンフレットを渡されたのには驚いた。1830年頃の建築だとか。先程のヒンズー寺院もほぼ同時期。その頃この地区に何か変化がったのだろう。
それにしても、チャイナタウンにはお茶屋が見付からない。ようやく訪ねた1軒でシンガポールのお茶の歴史を聞こうとしたが、「そんなこと聞いてどうするんだ、早く買って帰れ」と言わんばかりの対応で何も得られなかった。まあ仕方がないか。
テーマパーク化したチャイナタウンを歩いて見ても、今一つ面白いことは無く、また得られる物も無かった。シンガポールで気が付くこと、それは虫も蚊さえも全くいないこと。ペストコントロールが徹底しているとのことで、一見クリーンだが、人の温もりが感じられず、更には中華系の混沌さがないことに、一抹の寂しさを覚えた。
TWGで聞く
実は朝、昨日気になっていたTWGのことが知りたくて、本社を訪ねて行ってみた。私の突撃スタイルだ。ホテルから歩いて30分ぐらい掛かったが、良い散歩だった。しかしHPに記載された住所の場所に行ってみたが、そこは空だった。どうやら移転したようだ。仕方なく電話を入れてみる。すると何と社員に日本人がいることが判明。事情を話すと親切にも広報担当者とのアポをセットしてくれた。
そして午後、再びマリーナベイサンズのお店に向かい、そこでお話を聞いた。その要旨は既に書いているので以下を参照してほしい。兎に角面白い話を聞き、良い経験が出来た。お店には日本人観光客が何人も来て、お土産にお茶を買っていたのがとても印象的だった。
http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5658
フードコート
夜は先日会ったMさんとフードコートへ行く。ここが一番落ち着くのは何故?インドカレーとチキン、麺など、安くて美味い物が並んでいる。地価の高いシンガポールで、このようなフードコートがあちこちに作られているのも、政府の政策だろう。地元民も観光客も利用できて、合理的だ。
Mさんはシンガポールで先生をしているが、今般転身を図るらしい。ちょうど送別会シーズンの忙しい所を付き合ってもらった。海外で学校の先生をやる。日本の先生にとっては良い経験だし、必要なことだろう。敢えて言えば、現地の学校の教え方なども知る機会があると良いのだが。それでも日本では文部科学省のルールの下、やりたいことは何も出来なのだろうか。
遅くまで話し込んでからホテルへ戻る。戻る途中、またお腹がすく。するとまたホテル近くのフードコートに寄ってしまう。また麺を食べる。立派なレストランがいっぱいあるシンガポールだが、フードコートの梯子、それが私には合っている。居心地が良い。