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3月4日(月)  ミャンマーを目指す

翌朝も快晴。散歩日和だった。またまたラッフルズプレースで予定があり、歩いて行く。もう何年も使っているような慣れた道だ。以前シンガポールの象徴と言えば、マーライオン。今回時間があったので行って見た。相変わらず観光客は多く、日本の高校生が修学旅行で来ていた。




マーライオンを見たのは10数年ぶりだったと思うが、以前より吐き出す水に勢いが感じられた。これは経済の勢いなのだろうか。向こう側にはマリーナベイサンズも見える。ライオンはマリーナベイに向かって何かを語っているようにも見えた。




そして10数年来のお知り合い、Oさんを訪ねた。彼は上海の不動産業で成功しており、ここ数年はコンタクトしていなかったが、私が会社を辞めた頃、彼も拠点を何故かシンガポールに移したことを知り、興味を持っていた。上海では大きなオフィスの社長席に座っていたのだが、今回訪ねてみると狭いレンタルオフィスにアシスタントと2人、こじんまり仕事をしていた。




「シンガポールの家賃は物凄く高い」が第一声だった。「でも家族の生活などを考えると上海より環境は遥かに良い」とも言う。そして事業の狙いは「シンガポールからアジアを見渡して、次の潜在市場を発掘する」ことらしい。そしてその狙いはどうやらミャンマーに付けられている。「今のミャンマーでは不動産開発は難しいが、今から準備して5年後はあるんじゃないか」ということらしい。先ずは日本人駐在員向けの賃貸の仲介から入り、徐々にマーケットに慣れ、人脈を作り、そして大きな事業に繋げる予定とか。

これまでマレーシアやインドネシアなどアジア各国を回り、不動産を見て来たOさんが言うと根拠が無くてもかなりの説得力がある。やはりシンガポールからアジアを見る、そしてそこからチャンスを見付ける、そんなスタイルが求められているような気がした。

お昼は歩いて河沿いへ。ボッキーと呼ばれるエリア。10年前に来たことがあったが、見違えるほどきれいになっていた。そこで風に吹かれながらメキシカンを食べる。これまたシンガポール風か。


 

リャンコートとオーチャード

歩いてチャイナタウンまで帰る。もう道には慣れていたが、さすがに遠い。ホテル付近まで戻ると如何にも昔の雰囲気を留めた場所がある。しかしそれとても人工的に保存されているわけで、だんだん疲れを覚えてくる。




ホテルで休息し、夕方再び出掛ける。久しぶりのオーチャードロード。またバスに乗り込む。オーチャードロードは私が初めてシンガポールに来た1987年に最初にやってきた場所だ。あの頃はホテルが安かった。今でも一流ホテルであるシャングリラが最高級ホテルでそのツインが15,000円だったのを覚えている。

バスが進むと、向こうにリャンコートの文字が見える。ここも懐かしい。昔大丸があったところだ。確かニューオータニのホテルもあったような。この辺にはよく来たわけだ。無性に降りたくなり、バスを飛び下りた。するとバスに乗車しようとする人の中に見覚えがある顔が。何とこれから会うはずのM先輩だった。向こうも驚いてバスから降りてきた。聞けばこのバス停の前に住んでいるとのこと。お互い突然の再会に驚く。




今やリャンコートに大丸は無く、明治屋が入っていた。それにしても日本食品の充実していることは大丸時代と変わりない。いや、今の方が高級なのだろう。ラーメン屋など、食べ物屋も色々とある。アジア一の先進国シンガポールへ出店する日本食屋は増えている。だが、家賃も高いし、競争も激しい。生き残るのは大変だろう。




そこから歩いてオーチャードロードへ。夕方は少し涼しいとはいえ、歩くとかなりの距離があり、暑くなる。オーチャードは相変わらず両側高い建物で囲まれていた。買い物客も多い。大戸屋へ入る。ここで元上司のTさんが待っていてくれた。Mさんと3人、昔話などをする。海外で元勤め先の人々と会うのは何となく楽しい。因みにオーチャードロードの大戸屋は「東京の銀座に店を出すような感覚」というほど家賃は高いらしい。


 

マリーナベイサンズ

この地下鉄にそのまま乗って行くとマリーナベイと到着する。ここにはカジノがあると聞いたので、行って見ることにした。しかし電車は一向に着かない。しかも相当に混んでいる。30分も立っているとようやく終点に着いたが、何とマリーナベイサンズの下へ行くにはさらに乗換もう一駅進む。

マリーナベイサンズ、10年前はなかった建物。マーライオンの対岸に建てられた巨大コンプレックス。カジノが入っていることで有名になったが、ホテル、ショッピングモール、レストランなどあり、まるで迷路のように繋がっている。







先ずはカジノに行ってみた。何とシンガポール人は100S$の入場料を取られるが、外国人はパスポートを見せると無料で入れる。日曜日の昼下がりで客は多くはなかったが、何しろ施設が大きいため、どれぐらい人がいるのかわからない。中国人の団体観光客がスロットマシーンに興じ、もう少し慣れた人々はバカラやブラックジャックの席に着く。マカオでお馴染みの大小の台もたくさんある。ここは無料で飲み物も飲める。シンガポールの顧客サービス姿勢の一端を見る。

外へ出るとモール一帯にブランドショップが並ぶ。楽しそうに買い物に励む観光客の姿が多く見られた。ホテルのロビーに行くと団体観光客のチェックイン待ちの長い列が。やはりすごい人気らしい。非常にうまく作ったものだと感心する。建物の外へ出ると、向こう岸が見える。カジノを核にした開発と観光客誘致、人工都市シンガポールの面目躍如、というところか。




モール内で気になったのが、昨日も話に出たTWGというティーショップ。何とこの施設内に2店舗を持ち、しかも喫茶部分と購入部分の店が分かれているため、スペースとしては4店舗分ある感じ。買い物に疲れた人々がオシャレに休息し、ハイティーを楽しんでいる。料金は決して安くはないが、満員の盛況だ。このお店、益々知りたくなる。


 

バスで爺さんと

墓地を後にして、広い通りに出た。タクシーで戻ろうかと思ったが詰まらないので、バスに乗ってみた。何台もバスは来たが、どれに乗ってよいか、遂にわからない。仕方なく来たバスの運転手に「MTR駅へ行くか」と英語で聞いたが、要領を得ない。もうどうでもよいと乗り込んでしまう。




すると、一人の爺さんが肩をたたき、「どこへ行きたいのか」と聞いてきた。どう見ても中華系だが英語が流暢なのでそのまま話し始めた。どうやらかなり先に駅があるようで、彼は何度も「もう少し待て」という。隣に座って話を聞く。




「シンガポールは狭いが便利さ」「既に定年になったが生活は出来るよ、小さいけれども家もあるし」「日本には行ってみたいが、旅行代金が高い。でもマレーシアやインドネシア、フィリピンぐらいなら、誰でも行けるよ」「時間が沢山あるから時々警備員の仕事をしている」などなど。




正直シンガポールの平均より下の生活水準の爺さんだと感じたが、それでも楽しそうに話す。この明るさが何処から来るのか、それは「小さいけれども家がある」ではないだろうか。シンガポール政府の定めたHDB制度、シンガポール人には住宅を供給するこの制度のお蔭でこの国の持ち家比率は83%と極めて高い。経済が発展し、不動産価格が上昇すると、一般庶民もそれなりの恩恵を被る仕組み。まるで株式投資で配当を貰うようなもの。まさにシンガポール人が経済の恩恵を受けており、家の無く家賃に苦しんでいる人が多い香港との決定的な差となって表れている。







途中工業団地のような場所を通る。爺さんが「昔は日本企業の工場もたくさんあったよ」と懐かしそうに話す。結局30分以上もバスに乗り、ようやく着いた駅は私が思っていたのと全く違う場所であり、街中へ戻るにはかなりの時間が掛かってしまったが、爺さんと話したことはシンガポールを理解するうえで実に重要だったと思う。

 

3月3日(日)  日本人墓地

翌朝はスッキリ起きて、朝食を食べ、そして日本人墓地に向かった。先日香港で友人に誘われて行った日本人墓地。香港に9年も滞在しながら、殆ど何も知らなかった。シンガポールにもある聞き、行って見ることにしたのだ。だが、どこにあるのかは良く分からない。地球の歩き方にも「タクシーで行け」となっていた。そこでタクシーでの行くのはあまり意味がない。地下鉄に乗ってみた。

リトルインディアなどを通り、セランゴールへ向かう。方向はこれでよいようだが。駅で降り、何とか糸口はないかとバス停などを探したが、表示などは何もなく良く分からない。仕方なくここからタクシーに乗る。だがシンガポールはタクシースタンド以外でタクシーを停めることが出来ない。先ずはスタンドを探し、タクシーを待つ。日曜日で車は少ない。ようやくやって来たタクシーの運転手に「日本人墓地」と言ってみたが、全く分からないという顔をして行ってしまった。

こうなると地図もない私にはどうすることも出来ない。ここまでかと思ったが、次に来たタクシーは「多分あそこだ」と言って、乗せてくれた。10分ほど行った高級住宅街でタクシーは停まる。ここだ、と言われて見てみると、「日本人墓地公園」と書かれていた。運転手が「帰りは大きな通りまで出てタクシーを拾え」と親切に教えてくれた。



  

中に入ると実にきれいに整備されており、驚く。1890年頃に使われ出したこの墓地には当地で活躍した商売人やからゆきさん、戦犯処刑者も眠っていると書かれている。何故公園になっているのかは、シンガポールの政府の接収を逃れるため、苦肉の策として公園としたらしい。香港などのように外国人墓地の一角に墓があるのではなく、全て日本人の墓地という特徴がある。そして実にきれいに保存されている。





左側には御堂もある。そして左半分には戦争関係者の墓や碑が建てられている。香港には全くなかった戦争の影がここにはある。そして右側には一般の墓が相当数ある。中にはこの地で落命した二葉亭四迷の碑、からゆきさんの碑などもある。様々な事情でこの地に来て、そこで亡くなった日本人、このような形で墓地が残っているのはシンガポールとの関係が良いということなのだろうか。シンガポールでも多くの人々が日本軍のために犠牲になったと聞くので、つい思いを巡らせてしまう。




後方にはシンガポールで活躍した日本人の碑もあった。ここは公園の雰囲気を出していた。孫文を助けた梅谷庄吉の名前などもあり、感慨深いものがある。当時のシンガポールを含めたアジアは、我々が思っているより、実は日本と近い関係にあったのではないだろうか。周囲の高級住宅を見るにつけ、そんな思いに駆られる。シンガポールの若者が入ってきて、掲示板を熱心に読み、写真を撮り始めた。彼らは単なる歴史の1コマをカメラに収めているのか、それとも深くこの関係を理解しているのか、聞いてみたかったがやめた。


 

シンガポールの茶芸館へ行く

その後、ホテル近くに戻る。シンガポールに今や殆どなくなった茶館を訪ねる。元勤め先の後輩S君一家とそこで待ち合わせた。店に行くと店員は普通話で話し掛けて来る。私はやはり日本人には見えないらしい。この店には福建省のお茶を中心に中国茶が沢山置かれているが、お客のメインは観光客。日本人も沢山来るらしい。店は数人のオーナーの共同経営で、中華系だが出身地もバラバラとか。お茶の値段はそこそこに高い。




二階が喫茶スペースになっており、何と靴を脱いで上がる。S家は前回もシンガポールに5年駐在し、今回2回目。前回は夫婦二人きりで余裕があり、S夫人は茶芸を極めていたが、その後(いつの間にか)可愛い女の子が2人もおり、今は育児に追われてお茶をやる暇はないらしい。




お店で人気の黄金桂を飲む。最初にお店の女性がやって来て、日本語で淹れ方を説明していく。彼女は日本への留学経験があり、バイトで日本人が来ると説明しているという。ただ以前と比べて日本人のお客さんは減っているとか。中国や香港に行くのだろうか。この店は最低消費が一人8S$と安くはないが、喫茶店に入っても、スタバでもそれなりにかかるシンガポールではリーズナブルかも。周囲はシンガポール人のカップルや友人同士といったお客が多く、まさに喫茶店のノリになっていた。







その後すぐ近くの餃子屋に移動して夕飯。日本人はどこへ行っても餃子が好きだ。このお店にも日本人が数組来ていた。昔中華は美味しくない、との印象があったが、恐らくはお金持ちが増えた今のシンガポールには、素晴らしい中華もあるだろう。でも料金も素晴らしく高いだろうと容易に想像でき、餃子は何といっても安定感にある食べ物となっている。

 

バクテーが美味い

次は地下鉄、クラーキー駅へ。Hさんからはタクシーで行くよう言われたが、またまた歩く。しかしこれが意外に遠い。しかも昼の12時近く、暑くて参る。約束の時間に少し遅れてしまう。シンガポール、和僑会のメンバーであるIさんと会う。シンガポールには日本人起業家が沢山いるらしい。

ランチはバクテー屋さんへ。正直マレーシアのバクテーは苦手だったが、ここのバクテーは美味かった。スープの味が抜群。肉骨茶と書く割にはお茶の味が、と思っていたが、ここは良かった。お茶も個別に飲めるらしいが、ランチの時間は忙しいのでお茶は出さない。お客の回転を高めるための当然の措置だった。不動産の高いシンガポールでは当然か。今度はランチ以外の時間に来て、ゆっくりとここでお茶を飲んでみたい。







店が混んでいたので、別の喫茶店に移動。Ya Kun、カヤトーストで有名なお店。『朝食やおやつの定番メニューとしてシンガポールで幅広く親しまれている「カヤトースト」は、卵・ココナッツミルク・パンダンリーフ(香り付け用の葉)・砂糖で作られた「カヤジャム」をカリカリに焼いた薄焼きパンに塗り、薄くスライスしたバターをサンドしたもの』と説明され、食べてみると確かに美味しい。Ya Kunティーは砂糖とミルクの入った甘い飲みのもで、トーストと合わせて飲むとかなり国の中が甘くなる。シンガポールで食べると良いが、日本では甘すぎるだろうか。シンガポールだけでなく、インドネシア・韓国・台湾・日本に40店舗を超える店があるとか。これもまたシンガポール発の国際企業なのだ。




シンガポールのお茶

Iさんと話し込んでいるとあっと言う間に時間が過ぎた。次の約束は地下鉄City Hall駅の上に有るホテル。これまた1駅乗って乗り換えて1駅、という面倒くささ。しかし歩いて行く時間はとてもない。何とIさんと次に会うSさんは知り合い、電話で遅刻を告げてもらった。シンガポールはやはり狭い。




そしてバスで行くことに。シンガポールのバスは実にシステマティク。何番のバスが何分後に到着予定と表示されるので安心。と思っていたら、なかなか来ない。土曜日で渋滞もないのに何で、と思ったが仕方がない。Iさんとそこでまた雑談が始める。やはり地下鉄を使うべきだったと後悔した頃、そのバスはやって来て、あっと言う間にラッフルズホテルの目に私を連れて行った。やっぱり歩いた方が速かったのか。




Sさんはバンコック在住の知人の紹介。以前スリランカに住んだことがあり、紅茶に詳しいとのことで、シンガポールのお茶事情を聴いた。だが、やはりというか当然というか、シンガポールにはそんなに深いティーカルチャーは無いようだった。勿論アフタヌーンティなどはホテルに沢山あるが、シンガポール人で紅茶に非常にこだわる人は限られている。




ここは暑いせいもあり、「甘くて炭酸が入っている飲み物が好まれる」「例えばスポーツ飲料にも炭酸が入っている」など、この国独自の飲料も存在するようだ。また最近話題のTWGについて「この会社の実態は知らないが、非常にマーケッティングが上手い」と評しており、興味を持つ。http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5658

因みにSさんの本業も人材派遣会社。午前中に続き、シンガポールの人材事情を聴いたが、賃金が相当高くなっていること、優秀な人材は日系を選ばないこと、日本人学生がいきなりシンガポールで就職するには無理がある、など、参考になる話が多数出た。

 

3月2日(土)  移民政策への反発

翌朝は8時過ぎまで寝ていた。ホテルに朝食が付いていた。ほんのちょっとした喫茶スペースでパンと卵、フルーツなどを提供していた。そこのおばさんは実に愛想が良く、欧米人に対しては英語で、私に対しては当然のように普通話で対応した。お客は香港や台湾系も多かった。広東語にも台湾語にも対応しているように見えた。凄い。




知り合いに紹介された人に会いに行く。聞けば大学の後輩だとか。既にシンガポールに数年、その前にインドネシアやタイにもいたらしい。如何にも我が大学の同窓生らしい。現在は日系の人材紹介会社で働いている。彼のオフィスもまたタンジョンパガーにあったため、また歩いて行く。土曜日の朝ということで、散歩している人がちらほら。10時前で既に暑い。




スターバックスで待ち合わせた。人は殆どいない。いつものカフェラテトールを注文すると何と5.5S$と言われる。日本円で400円は超えており、日本や香港よりやはり高い。これがシンガポールの物価水準か。




シンガポールもやはり労働者不足。しかし中国系が流入することに地元シンガポール人は反発を強めているという。目に余るほどの成金的な態度には同胞も、お金を落としてくれる優良顧客のイメージもなく、耐え難いらしい。移民促進政策を取った政府への非難も高まり、現在移民は難しいとか。また永住権を取得しても5年ごとのレビューで落とされることもあると聞き、ちょっと不思議に思う。

因みにシンガポールで働きたいという日本人の若者は増えているが、それなりのスキルがないと簡単には就職できないようだ。爽やかな屋外でコーヒーを飲みながら、ゆっくり話していると時間を忘れる。Hさんの淡々とした話も面白い。

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