摩天楼に登る
一端チャイナタウンに戻る。ライトアップされていて本当にテーマパークのようだ。レストラン街も完全に観光客目当て。古き良きチャイナタウンはそこにはない。客を呼び込む人たちの中国語の発音がやけにいい。どうやら大陸から来た人が働いているらしい。シンガポール人はこういう仕事はしない。
次に向かったのはラッフルズプレース。これは先程のタンジュンパガーの隣の駅だった。既に時間は夜の9時、だが又歩き出す。周囲はビル街で人があまり歩いていないが、危険は全く感じられない。道に迷うかと思ったが、道路標示もキチンとあり、道も整備されているので問題なく到着。地下鉄の駅に降りるとコンビニがあり、眺める。水が1本、100円、コーラは150円、日本と同じような値段。香港より遥かに高い。後で聞くとシンガポールのコンビニは店ごとに自由に価格を決めるとか。日本人は殆どコンビニには行かず、スーパーで買い物するとか。
Mさんは香港時代の知り合いだが、今はシンガポールで働いている。月曜日に会う予定だったが、今晩も会いたいという。何故だろうか。Mさんと駅を出て、高層ビルに向かった。1階には長蛇の列が。シンガポールで一番高いバーへの直通エレベーターだった。1階でドリンクのオーダーと支払いを済ませて、上へ上がる。そこは香港にもあった、如何にも欧米人が好きそうなバー。
金曜日の夜ということで、屋上のオープンスペースは人で溢れかえっていた。こんなバブリーな場所がシンガポールにはあるんだな。六本木にもあるのだろうか。写真を撮ったが、上手く撮れなかった。Mさんは写真のプロ、「ここの夜景は難しい」と。彼はシンガポールの夜景を見せるためにわざわざ時間を取ってくれたのだ。有難い。
そして歩いて帰る途中、フードコートを見付けてしまう。そうなるとお粥が食べたくなる。香港でも食べられるのだが、やはりシンガポールと言えばフードコートのイメージが強く、夜中12時にも拘らず、粥を食う。幸せだった。このフードコート、10年前にも来た記憶がある。懐かしい。深夜に食べる粥も何故かうまい、でも値段はかなり上がったな、いや為替の問題か。
6年ぶりの再会
20年前香港で同じ業界で働き、10年前にもまた香港で同じ時期に働いたYさんは、ここ5年間シンガポールにいた。一度会いたいと思っていたが、とうとうそのチャンスが来た。今日の夜だけ空いているという。オフィスの場所はタンジョンパガー。それはどこにあるんだ?そういえばさっき乗った地下鉄の駅にその名前があった。調べるとチャイナタウンから一駅乗ってオートラムパークで乗り換え、また一駅。近いと言えば近いが面倒だ、と思って地図を眺めると、何のことはない、歩いて15分ぐらいで着くことが分かった。それは歩いた方が早い。
シンガポールの道は本当にきれいだ。そして夕方は涼しい風が吹く。いい気持ちで散歩する。先ずは両替に行く。チャイナタウン駅近くのショッピングモールが良いというので出掛けると、何故か沢山の人が列をなしている。観光客もいるが、地元の人も並んでいる。何でだろうか、不思議だ。
タンジュンパガーまでの道、レトロな建物が見える。何となくいい雰囲気だ。その後はビルが立ち並び、あっと言う間に到着した。こんな駅、昔あっただろうか、と思いほど、高層オフィスビルが建っていた。
Yさんは「シンガポールはクリーンで便利。仕事の環境としても悪くない」と言ってはいたが、何となく疲れていた。偶々体調が悪かったということだけではなく、シンガポールに5年もいれば、それは疲れるだろうと思う。気候的に暑いだけでなく、この人工的な国に居れば、閉塞感もあるのではないだろうか。勿論仕事のプレッシャーもあるだろう。地位が高ければ自分の思うようなスケジュール管理もできないだろうか。サラリーマンは大変だな、と今更ながら思う。
ビルの地下でスープとパンの夕食を取る。これは私にとっても有難い選択。胃に易しい。昔話や家族の話などに花を咲かせて、リラックスして楽しかった。そして彼はまた仕事に戻って行った。
2.シンガポール ホテルは狭い
チャイナタウンに到着したが、ここも10年で変貌していた。どう見てもこんなにきれいではなかった。元々猥雑感の無かったシンガポールのチャイナタウン、完全にテーマパーク化してしまったようだ。
ホテルは恐ろしく高かった。日本円で4000円程度ではドミトリーのベッド一つ確保するのがやっとだった。ネットで毎日検討したが、料金も目まぐるしく動くホテルがいくつかあった。やはり料金と宿泊率、不動産が高いとこうなるようだ。香港と肩を並べる高さだ。
私が最終的に選んだホテルはチャイナタウンにある小さなブティックホテル。元々京劇の劇場だったようで、その舞台がロビーになっている。何となくおしゃれなライトアップもあり、好ましい。だが、ホテルの部屋はあまりにも狭かった。日本のビジネスホテルでもここまで狭い所はないと思う。ベッドの横の通路が狭すぎて、椅子が使えない。PCは壁に僅かにある場所に載せ、ベッドに座って打つしかないのだ。
トイレもすごい。便座に座ると、膝は壁にぶつかり、立ち上がれない。勿論シャワーはほぼ真上から湯が落ちてくる状況。香港のアマ部屋でもここまで狭くはないだろう。これで日本円6000円を超えている。チャイナタウンでこの状況だから、市の中心部ではどうなってしまうのだろうか。
空港から市内まで電車
10年ぶりのチャンギは、ターミナルが3つもあった(第4は使用していなかった)。そして空港から市内まで電車で繋がっていた。これらは皆、もう数年前に出来ていたが、私は知らなかった。インフォメーションセンターで行き方を聞き、タクシーやバスを勧められたが初めて電車に乗ろうと思った。
今日の目的地、チャイナタウンまでは2回の乗り換えがあったが、料金は安かった。約1時間で到着した。車内には空港からの電車ということもあったが、実に多国籍の人々が乗っていた。アラブ系、マレー系、欧米系、勿論中華系も。中華系のカップル、男は福建語で話し掛け、女は普通話で答えている。何とも不思議な言語行動だが、これがシンガポールだと、久しぶりに思い出した。工事現場の表示も4つの言葉で書かれていた。電車は満員。シンガポールの広がりが感じられた。
それにしても電車だと2S$(約150円)だが、空港のシャトルバスだと9S$、普通のタクシーだといくらかかるのだろうか。シンガポールの物価は10年の間に相当高くなってきている。それでも交通費は東京よりかなり安いのだが。
因みに恒例の空港で携帯のシムカードを買ったが、50S$ もした。これはイスタンブールより高く、アジアのどこよりも高い(日本はシムが買えないので除外)。電車のカードは10S$で購入して重宝した。
《アジア一の先進国 シンガポールを旅する》 2013年3月1日-5日
シンガポール、もう10年以上行っていなかった。かつては何度も行き、そして何故か良い思い出しかない場所。だが最近は茶旅が中心になり、足が遠のいた。近年のシンガポールの発展は目を見張るものがある。今やアジア一の国家とも言える。カジノも出来たらしい。一度見てみたいと思うようになった。
3月1日(金) 1.シンガポールまで SQはやはりすごい
今回は香港から向かった。LCCのタイガーエアーが安いと聞いていたが、1週間前の予約となったせいか、思ったより高かった。そしてアジア一のエアラインであるシンガポール航空(SQ)を見るとタイガーと僅か日本円で5000円しか違わない。久しぶりに乗ってみようという気になり、チケットを買った。LCCの参入でレガシ―の料金も安くなったものだ。それに合わせてサービスも落ちただろうか。サービスは世界一とも言われたSQ、そのサービスの質は健在だった。今回の旅はそれを思い出させてくれた。
機内で前列の外国人男性がシートを倒してきた。飲み物のサービスが始まったので「シートを戻すよう」にCAに依頼したが、その男は了承しなかった。するとCAは「食事の時以外はシートを戻させる権利はない」と告げた。まあ、仕方ないかと思っているとチーフパーサーがやって来て同じ説明をしようとした。説明を何度受けても変わりはないので、その説明をもう要らないと言った瞬間、彼女らの対応が始まった。
先ず男と私の席にシールを張ったようだ。続いて男と私にだけ食事を早く出し、男のシートを戻させた。それから他の人の食事が終わるまで、ずっと食器を回収せずに、シートを倒すのを防いでいた。最大限の対応を素早く試みたのだ。更にはその後もCAが代わる代わるやって来て、なにくれとなく声を掛け、サービスしていく。こんな対応、他のエアラインでもできるのだろうか。少なくともJAL、ANAは客同士の揉め事として介入しないような気がする。笑顔だけではない、SQはやはりスーパーエアラインだった。
チャンギの空港は以前よりサービスが落ちた、いや、セキュリティーが厳しくなったようで、少しスピードが落ちていた。昔は笑顔で応対していた入国管理官に笑顔は無く、厳しい眼差しを向ける者もいて、ちょっと驚いた。
(8) 別れ
Uさんに車で送ってもらい、ホテルへ戻る。今晩次男は帰国する。ホテルの部屋をツインからシングルに変更しようとしたが、料金は同じだと言われ、そのまま部屋に残る。次男も中華丼を食べて復活し、元気になる。これなら夜行便でも大丈夫か。夕方Sさんが車で迎えに来てくれた。S氏のご親戚で最後まで残っていた女性と次男は二人、エアインディアで帰国することになった。彼女と次男も相当に打ち解けていたし、何とか飛行機に乗ることはできるだろう。彼女も実は相当に参っており、体調は心配されたが。
車が行ってしまうと、何故か虚脱感がある。私の旅は通常一人、これが普通なのに何故か寂しい。インド最後の晩なのに、食事をとる気もしない。近所でバナナを買い、それで仕舞にした。一人でぐっすりと寝た。翌朝次男から無事東京に着いたとの連絡があった。しかし何故か東京は大雪。今回は最後までイベント続きだったようだ。
1月14日(月) (9) 霧の空港へ ネットダメ
翌朝は私がバンコックへ戻る日。ホテルのフロントは親切でタクシーを手配してくれた。当初は550rpと言っていたが、当日になり450rpで手配できたという。後はちゃんと来てくれるかどうかだが、これもほぼ定刻に登場。車は霧の深い中を走る。飛行機、大丈夫だろうか、と心配していると僅か30分で空港に着いてしまった。3時間以上前に空港に、これからどうするんだろうか。霧は晴れずに遅延するフライトが出ていた。心配だ。
チェックインもスムーズで出国手続きも直ぐに終わった。この辺はどんどん進化している。仕方なく、土産物を眺めると、至る所で中国語の表示が出ている。あまり見かけなかった中国人観光客、やはりここにも来ているようだ。そしてどうやら大量にみやげを買っている。
空港内には無料WIFIがあったが、そのパスワードを受け取るには携帯電話が必要だった。インドでは基本的に外国人観光客は簡単にシムカードを取得できない。カードを買っても直ぐに使えない事例が今回も出ていた。そんな中で、この対応はアジアの空港の中でもかなり遅れたサービスと言わざるを得ない。仕方なく今回の旅を思い出しながら旅行記を書き始めた。幸いにもフライトは左程遅れずにデリーを離れた。緊張感のあるインドの旅は今回も無事に終わった。
後日次男にインド旅行の感想を聞くと「寒かった」の一言、余程堪えたのだろう。良い経験だったと周囲は言うが、さて、どうなんだろうか。
(完)
(5)日本食
昼には紹介された日本人Uさんと会う。彼は大学の後輩だが、会うのは初めて。学生時代にインドに留学し、その後もインドと関わっている強者。インドと日本の考え方の違い、日本企業のインドでの活動とその弱点、インド生活の楽しみなどについて、たっぷりと話を聞いた。
「インドでビジネスして成功するのは時間が掛かる」「日本的な考えは捨て、インドのビジネスはインド人に任せるべき」「インドで一から日本的ビジネスを追求するほど、日本企業には余裕はないはず」「インドを起点に中東やアフリカを目指す戦略を取るべし」など、成程と思う話満載。
食事は初め、こぎれいなイタリアンへ行ったが、日曜日ということでビュッフェしかなく、その値段は一人当たり日本円で5000円を超えていたので驚く。確かに豊富な食べ物、ワインなどの飲み物、そして爽やかな中庭など、見るべきものはあったが、一体誰が来るのだろうか。マネージャーと交渉したが、少し安くなっただけ。早々退散。
そして今度は日本食レストランへ。日本人が多く訪れる所ということで行って見たが、確かに普通の和食屋。前日の日本食とはかなり違い、豚生姜焼きやかつ丼があり、インドではない感じ。迷わずかつ丼を所望。ご飯が日本的ではなかったが、十分に食べられる水準。これで日本円1000円程度であれば、良いということか。
デリーには本格的な日本レストランが少なく、日本のシェフがいる店も多くない。いても、コストが高いことから、高級となり日本人駐在員は行けず、インド人金持ちの為にインド風に味を変えているらしい。中華は昨晩分かった通り、インド風になっていて、本格中華は街では見掛けないとのこと。
Uさん曰く「この店で一番美味いのは中華丼です」。成程、やはりとろみが無いとインド人には受けないのだろうか、いやインド人が作る場合、一番作り易いメニューなのだろうか。次男は中華丼を頼み、ウマいウマいといいながら、あっと言う間に平らげ、ホッとした表情をしていた。インド料理はそれほどまでに厳しかったのか。私は敢えてかつ丼を食べてみた。肉は若干固かったが、許せる味だった。この店は日本人御用達の老舗、ということで、店内は日本人駐在員とその家族で埋まっていた。ここに来たことは良かった。
デリーの中華レストラン
時間は既に午後3時近くなり、慌てて食事に向かう。本当に忙しい中、良く付き合ってくれた。会員制クラブへ行ったが、既にランチは終了しており、近くのレストラン街へ。そこで何と日本食屋へ入る。だが、日本食というか、「タイ、中華、日本食」とあり何でもある。ご飯と中華スープ、点心と野菜炒めを食べたが、これは日本料理ではなく、さりとて中華料理でもない。面白いと思ったが、何とも不思議。店員は全てインド人で中華系も一人もいなかった。食後には別の店でアイスクリームまで買ってくれた。インド的にはデザートは必須なのだろう。そして自ら車を運転してホテルまで送ってくれた。何とも親切な人だった。
夜は少し回復した次男とSさんとで、食事をした。インド料理は食べられないという次男に配慮して中華料理を探す。ホテルで聞いた場所に行ってみたが、なかなか良さそうな店は見付からない。表から中が見えないようにしているレストランがあった。中国なら絶対に入らないような雰囲気があったが、インドが長いSさんは「ここが良い」と言って入る。確かにこぎれいな場所で若い男女が食事をしていた。成程、これは中国とインドの違いか。
しかし出てきた料理はやはり中華ではなかった。野菜炒めがドロドロしていた。「インド人はご飯に掛けておかずを食べるのでとろみが無いと食べにくい」のだという。うーん、その通りだとは思うが、他国の料理を簡単に受け入れないあたりもインドらしい。次男はスープを飲み、何とか料理を口に運んだ。
1月13日(日) (4)散歩
今朝息子は自分からパラタをたのんで食べた。体調の回復とインドへの微かな思いを感じる。でもコーヒーはミルクなしと注文したが、やはりミルクが入っていた。私はトーストと卵。悪くはない朝食だ。
今日もいい天気だ。初めてデリーに来た時の寒さが嘘のように快適。次男も誘って散歩に出た。ホテルの周囲は巨大な住宅街。相当前に開発された場所のようだ。広い敷地、立派な家々、環境は良い。きっと今ではこの土地、かなりの値段になっていることだろう。地下鉄からは遠いが、幹線道路も近く、車社会となったデリーとしては便利な場所でもあるらしい。
立派な車が沢山駐車され、可愛いペットの犬が大切に飼われている。住人は皆満足そうに陽を浴びている。喧騒のインド、というイメージとは程遠い光景がそこにあった。実に気持ちの良い散歩だった。次男は「インドには貧しい人もいるが、豊かな人もいる」ことを実感したのではないだろうか。この貧富の差、それ無しではアジアは語れない。その中で自分の立ち位置を考え、生きていく必要があるだろう。
1月12日(土) (3)デリーの病院
今朝も次男は体調不調だった。余程疲れたのだろう。考えてみれば初インドにしてはやはりハードだったのか。特に発熱や下痢はなさそうなので寝かせる。朝食は部屋で食べる仕組み。ところが電話が繋がらない。このホテルにはレストランが無いこと、インドでは基本的に電話で何でも頼むことから、朝は大忙しだ。午前中はゆっくりとネットなどをして過ごす。
昼前に私だけ出掛ける。今日は紹介された外科医を訪ねることになっていた。インドの病院、どんなところなのだろうか、興味が涌く。指定された待ち合わせ場所はYWCAの前。これは私が分かる場所に配慮した措置だが、何とそこに運転手が迎えに行くのでその車に乗るようにとのこと。何となくアクション映画のようだ。
3㎞の道を歩いて地下鉄に乗り、YWCAへ。しかしいくら探しても指定された車は見付からない。10分ほど、周囲を見ていると突然声が掛かる。そして車に誘導されたが、指定とは違う車。どうする、乗るか降りるか。ここは勘に頼るしかなかった。勿論私の名前を知っているのだから、乗るしかないのだが。運転手も気のいい男で問題なさそうだ。彼も一応確認の為お医者さんに電話を入れ、双方了解した。
車はどこをどう走ったのか分からない。途中でデモ隊と遭遇した。昨年末に起こった女性のレイプ事件に端を発した抗議デモ。インドの闇が透けてくる事件だ。抗議者は警察や政府の対応を非難している。宗教的、地域的な要因も孕んでいるのかもしれない。
病院に着いて驚いた。非常に大きい、そして立派。国立病院らしい。GB Pantという名前か。早々に紹介されたアニルさんの部屋へ行く。何とこの病院の外科部長だった。偉い。そして患者や助手などが沢山来ており、とても忙しそう。先に運転手が病院内を案内してくれた。
病院は相当に広く、設備自体の質はは分からないが、何でも揃っており、規模的には日本の大病院だ。中国なら人で溢れて居そうだが、そんなことは無く、入院患者の部屋もゆとりが感じられた。ある一定以上の層しか来ないのかもしれない。アニル先生に聞くと「この病院は誰でも来られる」とのことだったが。今日も天気がよく気温も上がっていた。入院患者に付き添っている人が陽だまりで寝入っていた。
アニル先生はインドで医学をおさめ、その後イギリス、アメリカにも滞在経験があり、今でも海外の学会にも良く出向くという。日本にも何回も行っており、日本びいきだ。部屋には日本の医師から来た手紙や記念の盾など飾られている。インドの医療に関しては「問題ない水準だし、一般市民への医療もかなりカバーされている」という。確かに他のアジアのイメージからすると、インドの医療は都市部では進んでいるのかもしれない。
(2)ホテルはどこ
ようやく買い物が終了し、ホテルに戻る人、空港に向かう人などに分かれた。我々は今日から皆さんと離れて新たに予約したホテルに向かった、のだが。ネットできちんと予約を入れていたが、何とその地図が間違っており、運転手が幾度も道を聞き、迷い、そして思いもよらない場所に連れて行かれた。地下鉄の近くにしたつもりだったのだが、何と歩いて3㎞の道のり。幹線道路は走っているが、周囲は住宅街でレストランや店すら見当たらない。しかも隣は改修工事中で砂埃が舞い上がる。
しかしフロントの女性は実に気さくで雰囲気は良かった。ファシリティが充実している訳ではなかったが、居心地は悪くない。ネットも何とか繋がった。部屋に荷物を運びこむと、次男がベッドに倒れ込んだ。これまでの緊張と疲労が一気に出たらしい。完全に寝込んでしまった。
夜はリシュケシュで一端別れたラトゥールさんと合流して食事をする。彼は家族を先に返して、日本から来た人々の空港への送りなどを担当していた。いつも律儀な人だ。同窓生Sさんと3人、リキシャでデリーのアメリカ村とも呼ばれるサケットへ向かう。次男は完全にダウンしており、ホテルにおいて行く。
サケットはデリーで最もモダン、アメリカナイズされたショッピングモールでその規模もアメリカ並み。驚くほど大きい。ショップはアジアのショッピングモールに入っているような所ばかり。インド的な部分は殆どない。これが現代インド、ということだろう。食事はフードコートで、タンドリーチキンを食べる。何だかんだ言ってもこれが落ち着く。