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5.デリー2  (1)土産

デリーでは皆さんの買い物に付き合った。普通の観光旅行をする機会が殆どない私にとっては実に新鮮だった。先ずは土産物を売る高級ショッピングモールへ。外国人が買いそうな、きれいな物がたくさん並んでいたが、値段はかなり高い。ディスカウントも受け付けない。日本的でよいのかもしれないが、インドに来てこれでは詰まらない。


 

スイーツを売るお店にも行った。こちらは庶民が買いに来るところで、値段も手ごろ。ただどんな味か分からないのでなかなか手が出ない。英国風のクッキーがあったのでちょっと買ってみる。紅茶を飲む上流家庭には美味しいクッキーがあるものだ。そこの2階は簡単なレストランにもなっており、そこでお昼を取る。買い物の時間というものは私にとっては短ければ短いほど良いのだが、女性にとっては長ければ長いほど良いらしい。インドで買い物するのは疲れると思うのだが、皆ランチもそこそこに次へ移動する。






 

次はこの店の直ぐ近くにあるM教授のご自宅へ。M教授はハリドワールの儀式で喪主を務めた方。忙しく飛び回っている彼は自宅には居なかったが、奥様とお目に掛かる。実は私は1年半前この家に招かれている(http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4583)。

 

今回は紅茶を頂く。美味しいクッキーも出てくる。「紅茶はやっぱりミルクティがいいわね。砂糖も入れるわね」と言われると、そうだなと思ってしまう。ある意味で紅茶は雰囲気で飲むものなのかもしれない。

 

紅茶と言えば、日本人女性がデリーで新しく開いたお店、「ハッピーハンター(http://www.makaibari.co.jp/info2013happyhunter/)」にも行った。ここは以前行ったインドダージリンのマカイバリ茶園の紅茶を扱うマカイバリジャパンの姉妹店としてオープン。ファミリーのお嬢さんが切り盛りしている。インドで日本人女性がお店を開く、並大抵の苦労ではないと思うのだが、インドとの付き合いの長い石井さん、か細い雰囲気からは想像もできないほど、バイタリティーのある人なのだろう。きれいな店内には喫茶スペースもあり、紅茶とクッキーをご馳走になる。ここで大量にお土産を買い込んだ人もいた。やはり日本人向きのパッケージ、手頃な量など、ニーズは高い。





 

1月11日(金)  (5)朝から停電

朝5時半に起床したが、何と部屋の電気は全く点かない。フロントに電話しようと思ったが、結局時間が掛かると思い、部屋のドアを開けて、通路の明かりを頼りに荷造り、トイレをした。最近はこんなことにも慣れてきた自分が少し怖い。

6時前にロビーへ行くと、チェックアウトで色々と揉め事が。2部屋の支払いをキャッシュカードと現金で1部屋ずつ行おうとしたが、ダメだと言われる。我々は「朝食付き」の部屋を取り、昨日朝食券を貰ったにも関わらず、朝食を食べるには一人250rpの追加が必要と言われる。そういわれると「朝から電気さえついていない、一体このホテルは何だ」と言ってしまう。フロントは困ってマネージャーに了解を取り、我々の朝食を無料としたが、既に食べる気はなかった。このホテル、比較的きれいなのだが、サービスという面では何とも言い難い。決して悪気がある訳ではないが、サービスシステムが整っていないということだ。




6時半に出発。昨日来た無人の高速をひたすら戻る。途中タージマハールが朝もやの中に浮かぶ幻想的な光景を車内から見る。また朝日が昇り、爽やかな一日が始まろうとしていた。田舎の畑の中に、何故か鹿がいたり、レンガ工場の大きな古びた煙突が何本も見えたりした。この風景、なかなか良い。3時間ほどでデリー郊外まで戻る。




デリー郊外、ノイダで高速を降りたが、そこからは大渋滞だった。デリーの渋滞は年々深刻とは聞いていたが、実際体験するとその厳しさが分かる。金曜日の朝10時に車が動かない。動かないので、車の車種を見る。マルチスズキは相変わらず多いが、現代もかなり見られる。ホンダやトヨタは多いとは言えない。タタも少し。現代がシェアを伸ばしているような印象があるがどうだろうか。


 

(4) ランチと買い物

2つの見学を終え、食事に向かう。レストランは運転手が紹介する。何となく観光地で運転手が紹介すると聞くと、店側とつるんでいるようだが、この運転手はそういうことはないらしい。今回の店もきれいでなかなか良かった。ただ皆そろそろ食欲がなくなっている。インドの料理に飽きてきている。確かにいい料理が出ても、毎回食べるのは辛い。チャイを飲めばそれでよい。




今日宿泊するホテルにチェックインした。ネットで予約していのだが、「予約が無い」などと言い、なかなか進まなかった。部屋は一応綺麗であったが、観光地料金で水準以上に高い。ネットはロビーで辛うじて繋がる。外国人も多く使うホテルなのに、そのあたりの整備が遅れている。




 

アグラの街に買い物に出た。土産物屋の前に行くと運転手が「この店のオーナーは日本人だ」という。こんな所で日本人が店を開いているのか?と興味を持つと、出てきたオーナーはインド人。聞けば奥さんが日本人で、何と東京の我が家の直ぐ近くでインド雑貨の店をやっているという。




そうなると私は買い物そっちのけで彼と話し込む。彼も奥さんとの馴れ初めから、色々と話し出す。Google Earthで東京の店を見たりする。その間、他のメンバーはお土産を物色。通訳は次男が担当。インド人相手に何とか値切り交渉などしている。その内次男が何故か興奮して服を買いだした。買い物は人を躁状態にするのだろう。




皆さん、それぞれ頼まれ物などがあり、それから何軒もの店を見て歩くがなかなかピッタリくるものが無い。お土産、それは旅の一部だけれど、探して歩くのは本当に大変だ。とうとう夕方まで街を歩く。日が暮れてホテルに戻ると、ロビーでダンスが披露されていた。まさに観光客向け、サービス。私はこういうのに慣れていないと改めて知る。





 

(3) アグラ城

タージマハールを後にして、そのままアグラ城へ向かう。この城はヤムナー対岸にあり、タージマハールから見ることも出来た。タージもアグラ城も世界遺産に登録されている。ムガル帝国第3代アクバルによって建造され、5代シャージャハン時代に白い大理石を使った宮殿が作られた。ところが彼は3男によってここに幽閉され、8年間、亡き妃の為に建てたタージマハールを眺めながら外へ出ることが出来ないまま息を引き取ったという。




そう言われてみれば、何となく物悲し雰囲気があるような気がする。いや、それはシャージャハンのことだけではなく、その後ムガル帝国、インドの歩んだ苦難が反映されているのかもしれない。外側の城壁は赤砂岩でできており赤っぽい。ヤムナー河に2.5㎞に渡り面していると言われ、その規模は壮大。強大な帝国の城、という武骨なイメージが強い。ところが中へ入ると白を基調とした優美な宮殿が続く。そのコントラストが面白い。




城内はかなり広く、日差しも強くなり、歩いていると結構疲れる。モスクに入ると一部は入室禁止。河に面した場所からタージマハールを眺めると、風情が感じられる。城内の一部は後世の反乱などで破壊されており、ムガル帝国のデリー遷都後の衰退の様子が見て取れる。







ここもタージも観光客が多い。特にインド人観光客が増加しているらしい。最近の中産階級の勃興により、国内旅行は花盛りになって来ている。ヒンズー教徒もイスラム教徒も区別なく訪れる。インドの多様性も見えてくる。

 

(2) タージマハール

そして、そしてついにタージマハールにやって来た。先程のベビータージとは当然ながら規模が全く違う。先ず建物の近くまで車が入れない。大型の駐車場に車を停め、そこから参道のようになっている道を歩く。土産物を売り込む若者がしつこい。その熱意にうちの若者二人はかなり驚く。馬車やミニバンに乗れとの攻勢もすごい。これが観光地だ、そして私の苦手な所だ。







何とか敷地内に入るがそこからもタージマハールまではかなりある。今日は良い天気なので気分よく歩く。サルがいたり、鳥が鳴いたり。そしてあのテレビでもよく見た荘厳な建物が見える。記念写真を撮るインド人がはしゃいでいる。写真スポットだけでも何か所もある。




人々が中央の建物に集まって行く。靴を脱いで上がり、中に入るが人が多く薄暗い。更には柩の付近には行けない。外側から眺めるだけ。ベビータージを見学した後では不満が残るが、本来はこんなものだろう。

左右にも大きなモスクなどがあり、とにかく規模が大きい。横には河が流れ、壮大な感じがする。今日の天気は快晴で、タージマハールが実にくっきり浮かび上がる。こんなタージを見るのは初めて、と何度もここを訪れているSさんがつぶやく。我々は日頃の行いが良いのだろうか、それともこれまでの修行生活のご褒美だろうか。





 

4.アグラ   (1)アグラまで

翌朝は早く起き、ホテルをチェックアウト。インド最大の観光名所タージマハールへ向かう。何といってもデリーの渋滞は凄いため、朝6時台には出発。最近出来たという高速道路にスムーズに乗る。朝日が昇る頃、高速には車の影もなく、実に順調に進む。インドでは驚くべき光景だ。これもインドか。朝8時前にきれいなドライブインでチャイを飲み、ホテルで貰って来たサンドイッチや卵などで朝食を取る。この高速は昨年後半オープン、ドライブインは新設で、インドの会社が経営している。










本当にあっと言う間にアグラに着いてしまった。2時間ちょっと、以前友人から「デリー―アグラは悪路で6-7時間はかかる」と言われたことが嘘のようだ。昨年前半に行った人でも「高速で4時間以上掛かった」ようだから、この第2高速?の存在は驚異的だ。運転手によれば、高速料金が少し高いので多くの車は使わないらしい。

アグラの市内は我々が思うインドであった。ただイスラム教徒が多いな、と感じられる。当たり前か、タージマハールだって、イスラム建築なのだし。それにしてもインドはヒンズー教、というステレオタイプな考え方はちょっとな、と思う。

車が停まる。タージマハールに着いたのか。何となく小さいがタージマハールに似た建物が見えた。あれ、と思う。地元ではベビータージと呼ばれる建物。ここには観光客は殆どおらず、ゆっくり見学できる。建物の中に入り、つぶさに柩の周囲も見ることができる。実は本当にタージの内容を確認したければ、ここに来た方が良いらしい。







鮮やかなモザイク、シンプルな壁画。私が思うタージマハールがそこにあった。規模も小さく、それほど疲れずに回れるのも嬉しい。それにしても今日は天気が良い。気温も少し上がり、ちょうど良い。こんなインドもあるんだ、素晴らしい。





 

(10)  デリーへ 車の旅

午後早く、アシュラムを離れる。行きは列車だったが、帰りはA師等と別れ、S氏ご親族一行に便乗し、共に車でデリーを目指す。車はなかなか快適なのだが、何しろ走る道は一般道。道はでこぼこ、対向車は来る、人は横切る、牛も居座るでは、なかなか進まない。屋根に載せた私の荷物は大丈夫だろうか、と心配になる。覚悟はしていたものの、そう簡単に前に行かない。これもまたインドだろう。それにしても聖地への道なのだから整備してもよさそうに思うが、聖地だから簡単には行けないのだろうか。




途中でトイレ休憩する。トイレ探しも一苦労なのかもしれない。そんなにきれいなトイレは見付からない。周囲では色鮮やかな野菜やフルーツを売っている。本当に普通の田舎なのだ。かなり夕陽が西に傾いた頃、きれいなドライブインがあり、本格的に休息した。チャイを飲み、スナックを食べる。車の狭い空間から解放されるとそれだけでうれしい。インドで日差しと言えば灼熱を想像するが、この寒さの中、陽が当たるのもうれしい。段々車に飽きて来たのかもしれない。







デリーが近づくにつれ、マンション・商店建設現場が増えて来た。この辺がインドの経済成長の証拠なのだろう。道もよくなってきている。そしてデリー市内に入ると日も暮れていたが、大渋滞。何とかホテルに到着した時は既に午後の9時近かった。列車の4時間の所を8時間近く掛かったことになる。正直疲れた。




今日のホテルはそれまでのアシュラムとは別世界。次男は目を輝かせて、「素晴らしい」という。厳しい所を経験していれば出る言葉だろう。夕飯はホテルで取るが、イマイチ。ネットも何だか繋がらず。ただいいベッドだったので、ぐっすりと就寝。


 

《関西探訪記》 2013年3月21日-28日

これまで2年間、アジアをほっつき歩いてきたが、いくつかの問題にぶつかっていた。その中に・・・『日本のことがわからない』『日本の仏教とは何か』など、日本に関するものが、多く含まれていた。今やアジア旅行より敷居の高い日本国内旅行。今回は岡山に所用があったので、関西を歩いてみた。すると様々な発見があり、自分が日本を知らなかったことを思い知らされた。

3月21日(木) 関西まで

ピーチが高い

岡山行きは1月には決まっていたのに、なぜかフライトをなかなか取らなかった。最初に見たときはキャセイの夜行便でも香港⇔関空は2万円台だった。やはり関西は安い、と思って放っておいたら、えらいことになっていた。何とどのフライトも4万円台に跳ね上がった。ピーチ、今やLCCの代表格になっているエアライン。ピーチは全日空が出資して作った会社だが、実は3分の1は香港資本。しかも香港の出資者は知り合いであり、一度乗るように前から言われていた。だが、関西に用事がない私にはピーチに乗る理由がなかった。今回は千載一遇のチャンスと思い、1週間前に予約しようとして驚いた。全日空と数千円も違わない料金なのだ。

 

元々搭乗率は高い、と聞いていたが、これは異常だ。しかもピーチは香港を深夜に出る。予定の関係から全日空の日中便を予約し、ピーチ搭乗はお預けとなった。それにしてもLCCのピーチと親会社の料金にあまり差がないとは。これがエアライン革命というものだろうか。LCCもシーズンによってはかなり高いことがあると知る。

空港から市内までの電車

関空に降りるのは十数年ぶり、しかも気が付けば大阪の街を一人で歩くのは生まれて初めて(これまでは修学旅行、出張など、誰かが案内してくれた)。まさに私にとっては異国である。そもそも関空から大阪へどうやっていくのか、大阪のどこに泊まると便利なのか、皆目見当がつかない。それでもあえて地図なしで行ってみた。




しかし日本で道を聞く、それも大阪へはどうやって行くのか、などと聞くのは日本人である私にとって相当のプレッシャーだった。『そんなの検索すれば』とか『IPhone、持っていないの』と言われそうで怖い。ここでは外国人特権が通用しない。取り敢えず南海に乗る。ラピートという空港鉄道があったが、特急料金を節約しつつ、急行でなんばへ向かう。この電車、通勤用であり、会社帰りの人々が疲れた表情で携帯に目をやっている。今宮や岸和田など何となく知っている地名が見え、安堵する。







1時間ほどでなんばに着く。ここは色々な電車が入り組んでいてややこしい。今日のホテルは一応なんばにした。それは明日高野山に行くのに便利だとあったから。結果今来た道を戻ることになる。


難波の駅で道に迷う。道頓堀に行けないのだ。日本の道路標示も正直分かりにくい。地下鉄の出口も多すぎてわからない。夜の9時前に一人高島屋の前でウロウロ。何とな道を見つけてホテルにたどり着く。そのホテルは『大阪帝国ホテル』。何と立派な名前か。だが、そこはチープなビジネスホテル。このギャップが良い。東京なら間違ってもこの名前は付けない。


安いホテルだが、フロントは親切。そこが日本らしいところ。サービススタンダードがホテルのレベルとマッチしていない(良い意味で)。すごく狭い、寝るだけのホテルだが、妙に落ち着く。

 

1月9日(水) (8) 極寒の中 朝の儀式

前日はサボったので、午前5時の儀式に30分遅れながら参加する。次男は無理そうだったので放置する。河沿いの石造りのお堂の中は、まさに極寒だった。5時からの儀式は特別のようで、真ん中に備えられた像に司祭者が火を近づけたり、カーテンで我々から見えないようにして、中で何かをしていたり、全く内容は分からなかった。年配の女性と男性の二人が祈りを唱え、後の者はただただ祈るのみ。




少しずつ辺りが明るくなるが、濃い霧が立ち込め、荘厳な儀式を彩る。一体私は何故ここで寒さに震えながら、座っているのか、私の存在は何なのか、どうしても考えざるを得ない。目を閉じると眠気が襲うが、寒さがそれをも妨げ、ただただ考えろ、と告げていた。




最後は次男も参加して、儀式を見る。その後また甘い物が出され、そしてチャイを飲みに行く。A師から1時間ほど、様々なレクチャーを受ける。特に次男に対しては「宗教を学ぶというより、先ずは文化人類学の基礎を学べ」など、今後の学習の仕方も教えてもらう。そして朝ごはんも美味しく食べられるようになり、次男の修行も1つの区切りとなった。




(9) バンダーラ

本日は昨日のハリドワールでの供養に続き、アシュラムでバンダーラが行われた。バンダーラはサドゥウと呼ばれる修行者、世捨て人、全てを他者に任せて生きる人々を集めて行われる。日本だったら軽蔑の対象になりそうだが、インドではこのような人々の存在が認められ、一般人は彼らに食べ物を与え、支援する。




今回のバンダーラは、S氏の供養のために行われる。午前11時前、いい感じの日差しの中、次々にサドゥウが集まってきた。確かにきれいとは言えない格好の男たちが招かれて、アシュラムの庭にやってくる。庭にはござが敷かれており、その上に座る。

S氏の親族代表として、昨日も活躍した16歳が一人ずつに、食事を届ける。その父親も加わる。また別の参加者も亡き親族の供養として、食事を配る。暖かい日差しの中、サドゥウが食事をしている姿を私はじっと見ていた。その姿に昔のお坊さんの姿勢を見る。ただサドゥウはもっと欲しければ自ら要求していた。本来お坊さんは要求することができない。施しというものは人のためにするのではなく、自分のためにするものだ、と改めて思う。


 

(6) 市場

アシュラム滞在組は河近くにある市場を見学する。本来は日本からの組もアシュラムへ1泊する予定だったが、あまりの寒さに防寒具が無いこともあり断念して、ハリドワールに残る。

市場は昔ながらの建物が建つ狭い道の両側に店があり、客が道を歩きながら品物を物色する。南のプネーから来ているラトゥール一家はやはりスカーフやセーター、帽子などに目が留まる。タイ人も寒さ対策で買い込んでいる。




寒いせいもあるが、それほどの喧騒もなく、ここがインドかと思うほど穏やかな午後。道を長閑に歩く牛、午後の日差しがその牛を照らすと、寒さが忘れられ、極楽が見えたような気がした。A師がサモサを買い、皆に配ると歓声が上がる。やはり寒さには食べ物だろうか。







(7) 美味しい食事

アシュラムへ帰ると、また寒さが堪える。次男はここの食事に恐怖感が出てきている。あまり好き嫌いの無い子だが、相当食べにくい。やはい味気ないのだろう。そしてここの米は日本人には合わない。




だが、今晩のおかずは何故か我々の口にも合った。ご飯を少ししか貰わなかった次男は後悔し、もう一度並ぼうか迷っていた。インドでは何が起こるか分からない、その時々の自己判断で全てが決まる、ということだ。




部屋では熱いお湯が出る。次男は何とか体を洗おうと試みた様だが、湯を浴びる前に部屋の寒さに耐えきれず、また浴びた後の湯ざめが凄く、「インドに居る間は風呂には入らない」と宣言。ぶるぶる震えていた。それ程に寒かったのだろう。私は最初から諦めていた。寝袋に早々に入り、寝入る。ここでは他に出来ることはない。

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