1月8日(火) (4) ハリドワールはお伊勢参りか
アシュラムでは朝5時から修行が始まるようだが、我々は大事を取り、7時に起床、8時に朝ごはんを食べた。7時半ごろチャイが飲みたかったがなかった。あの寒い中、同行のタイ人は5時に起きて祈祷に参加していたと聞く。余程寒くて眠れなかったのだろうか、それとも熱心なのか。
アシュラムを9時に出発。ハリドワールへ向かう。午前中は観光、ということで、ヒンズー教徒なら必ず行きたいという、寺院を目指す。これはお伊勢参りのノリであろうか。そこにはロープウエイを使わないと行けないらしい。ロープウエイは2か所あり、寺院は数か所あるとか。今日は1つしか動いていなかった。高所恐怖症の私はロープウエイを見て断念。下で待つ。
30分ほどで一陣が戻る。下の景色は霧で見えず、そのまま降りてきた。次男とラトゥール一家はそのまま寺参りに行ったようだ。結構高い所で怖かったとか。ラトゥール家の娘はロッククライミングをやっているとかで、山登りは平気とか。
そしてガンジス河沿いへ出る。橋の袂に立派なホテルがあり、そこが日本人グループの宿泊先だった。これはいいホテル、アシュラムとは大違いだ。そこで合流。一緒に昼食。昼食は簡単にスープとバラタ、それにチャイ。このスープを飲むと次男が「美味い」と一言。アシュラムの食事はスパイスが効いていない、ことを実感できたようだ。
(5) ヴィサールジャン
そして今回のメインイベント、ヴィサールジャンの会場へ移動した。ヴィサールジャンとは死者の骨を河に流す儀式。今回はインドに深くかかわった日本人S氏の供養の儀式となった。S氏はインドの「ラーマーヤナ」をアニメーション化するなど、インドの伝統的な文化を尊重し、多くのインド人と交流を深めた人物。惜しくも昨年84歳で亡くなった。
7年前に奥さんを亡くしたS氏はインドでの供養を行い、自らも死後はその供養を望んでいたようだ。そして今回の儀式に際しては、S氏に世話になったインド人M教授が忙しい中、わざわざ聖地ハリドワールのガンジス河、それもVIP専用ガートを抑えて、日本で言う喪主を買って出た。またインド映画のハリウッドと言われるボリウッドの大物も参列、S氏が如何にインドの人々に愛されていたかを伺わせた。
VIPガートは一般と反対にあり、橋を渡って行く。風は冷たいが、太陽の光は眩しい。ガンジス河と言えば、何となくゆっくりと流れ、淀んで濁っているといったイメージがあるが、ここハリドワールでは濁りは少なく、流れはかなり早い。そんな中でも鳥が河の中の魚をさっと咥えたりしている。
今回の儀式にはS氏の親戚も参列、代表して16歳の高校生がM教授に補助されながら、儀式を務めた。格好の良いバラモンの僧侶が現れ、厳かに儀式を進行していく。頭に白い頭巾を掛けた16歳は緊張した面持ちで、言われた通りにこなしていく。ガンジス川の水もすくって飲んだようだ。M教授が後ろから全てを指示していたが、それでもものすごく緊張したようだ。
全ての儀式は30分以内で終了した。皆で記念写真を撮り、故人の冥福を祈った。太陽が出ており、極寒ではなかったが、やはりこの寒さは故人が「俺のことを忘れるな」と言っていたような気がする。
(3)アシュラムの儀式
ダヤナンダアシュラムのプージャは午後6時に始まった。私は一番後ろの椅子席に座り、見学する。室内は明るく、怪しげな雰囲気はない。リーダーの声に合わせて経を唱えたりしている。リーダーは時々室内の中心にある囲いの中の像に向かい、火を焚いて近づけている。ナンディと呼ばれる像にも、火が近づけられる。これが儀式だ。本来は護摩壇で火を焚いて行うようようだが、現在では形式を変えている。
20人ほどが参加したプージャ。三々五々人が集まり、途中から入ってきた人は部屋の四方に置かれている像の所で手を合わせ、頭をくっつけ、祈る。そして皆の後ろに座る。夏はヒンヤリして気持が良さそうな床、今は冷たいため、茣蓙が敷かれている。それでも皆、相当の厚着をして出てきている。
終わりの合図もなく、終了。その後皆小さな花が入った入れ物を手に、河へ向かった。実は今日はブラジルから訪問団が来ており、彼らの希望で特別に灯篭流しの原点のような儀式が追加されていた。真っ暗な河の中に、蝋燭に火を点けた花籠を流していく。これは先日タイで経験したロイクロトーンとも共通している、願いを叶えるための儀式だそうで、日本の灯篭流しとは意味合いが違う。
終わると、甘い物が配られ、手で食べる。バナナも出て来たので食後のデザートに取っておく。そのまま食事となるが、相変わらず、美味しいとは言えない。これも修行の内、として飲み込む。
夜は当然ながら冷える。部屋は相当に寒い。ある程度着込んで、毛布をベッドに敷き、寝袋にすっぽりと包まり、その上から掛布団を掛けて寝た。これでようやく凍死せずに寝られた??1年前の香港ラマ島での2週間の寝袋生活が今回生きた。10時間以上ぐっすり眠れた。次男は初めての寝袋であまり眠れなかったようだ。これも全て修行か。
(2) リシュケシュ散歩
アシュラムの脇を流れるガンジス河沿いを歩いて見る。良く見ると薄い霧の向こうに山影が見える。リシュケシュの河沿いはヒンズー教徒憧れの場所。ここにアシュラムを持つことはステータスであり、ここの土地の価値は想像以上に高い。確かに河沿いには立派なアシュラムや綺麗なホテル、レストランが建っており、建設中の所もある。
河は乾季で水量は少ないが上流にダムが出来、水の量は調節されているようだ。川岸で子供達が元気に遊んでいる。向こうで大人、男性のみが川岸でたき火をしている。しかし近づいてみると、何とそこでは火葬が行われていた。木の枠組みの中に、何となく頭のような物が見えた。火は盛んに燃えているが、全て燃えるまでに半日近く掛かるという。当日は余熱で熱いので、骨は翌日改めて拾いに来るらしい。
インドでは死者の遺体は抜け殻としてすぐに処理される。日本では遺体は非常に重要視されおり、考え方の違いが浮き彫りになる。だが、良く考えてみれば、遺体を単なるモノのように扱うインドで火葬は半日掛かり、一方遺体重視の日本が現在では工場の処理施設のように、僅か45分程度で焼いてしまい、悲しみもそこそこに骨を拾って終了してしまうのは何故だろう。どちらが死者に対して哀悼の意を表しているのだろうか。
更に行くときれいな橋が見える。向こう岸には相当立派な施設も見えてきた。ヨーガで有名なシバナンダのアシュラムもある。リシュケシュは欧米人もヨーガの聖地として崇めている。またビートルズが逗留し、特にジョージ・ハリスンがここの音楽に入れ込んだことで世界的な場所となった。有名人が行って有名になった場所にはロクなことは起こらない、と思っているが、ここはどうだろうか。
3.リシュケシュ (1)リシュケシュのアシュラム
ハリドワールでガンジス河を見る。イメージしていた大河とは少し異なり、川幅もそれほどない普通の河に見えた。そこから30分、聖地リシュケシュに到着。ダヤナンダアシュラムという場所が宿泊地だった。
ここはアシュラム、修行場であり、ホテルではない。が、施設は予想外に立派。ただ部屋に暖房は全くなく、相当の寒さだ。最初1階の部屋を割り当てられたが、あまりの寒さに2階へ引っ越し。それでも殆んど変わらない。部屋はツインで毛布と掛布団が用意されているが、果たして寝られるだろうか。
直ぐにランチとなる。以前ロナウラのヨーガ学院で食べた方式。プレートを持っていくと、ライスやチャパティ、そしておかずを入れてくれる給食式だ。茹でたカリフラワーとジャガイモも入っており、塩を付けると結構イケタ。おかずは美味しいものとそうでない物が半々。ただ入れられたものは残さずに食べることにする。そしてセルフサービスで食器を自分で洗う。
食後は寒いので部屋に帰らず、陽だまりへ避難。椅子を出してPCで何やら書いているドイツ女性、おしゃべりに励むインド人、色々な人がいる。共通しているのは陽のある所へ行くことだけ。こんなに太陽が有難いと思うことは最近ないなと思う。それ程に部屋は寒い。
このアシュラム、ダヤアナンダという高名なヒンズーの師が寄付で建てた物らしい。ヒンズーの世界では偉い師が登場すると、そこへ信者が殺到し、一代を築くが、彼が死ねば、弟子は分裂し、また新たな師の出現を待つとも聞く。何とも不思議な世界だ。ダヤナンダ師は3-4月頃、ここに来てレクチャーをするようだ。その頃には世界中から人々が集まって来て、宿舎は満員だとか。今月が唯一のオフシーズンらしい。
アシュラムは広い。宿泊施設だけもかなりある。レクチャーホールからダイニングまで、そして何よりガンジス河の流れを直接目にすることができる。その脇には祈りの場もあり、如何にも修行場。
流石にアシュラムにはWIFIはないと思っていたが、何とあった。ただ普通には繋がらず、IPアドレスを入力する途上国によくあるタイプだった。ちょうど詳しい女性がやって来て入力してくれ、無事に繋がった。俗世との糸が微かに見えた。
1月7日(月) (7) インドの鉄道に乗る
今朝は5時に起きて、6時前にYWCAをチェックアウト。あたりはまだ暗く、冷え込みは尋常ではない。後で聞くと昨夜の最低気温は1.5度。デリーでは44年ぶりの寒さだったらしい。それでも寝袋を使うほど部屋は寒くなかった。
車2台でニューデリー駅へ向かう。案の定チェックアウトに手間取り、6時50分発の列車に乗るのにホテルを出たのが、6時15分。10分ほどで駅に着いたが、寒さの為かそれ程混雑していない。それでも広い駅のこと、列車の出発ホームの場所も分からない。皆大きな荷物を持っている。そこへ荷物担ぎのポーターが数人現れ、荷物を頭に乗せ、サッサと進む。そして一番端に停車していた我が列車に乗り込み、荷物を上の台に乗せて行ってくれた。何とも力強い助っ人たちだが、あとで料金のことで相当に揉めたようだ。インドは簡単には行かない。
兎に角列車に乗り込んだ。我々親子は後からチケットを取ってもらったため、別の車両となる。シャダブディ特急、車内は思ったよりきれいで整然としている。この特急列車、普通列車が通常100rp以下で行ける所を450rpするらしい。全席指定、全車両エアコン付き(今はヒーターが欲しい)。そして食事やお茶が無料で提供される。小さなプレートが配られる。ビスケットと飴が乗っている。その他紙の袋に何やら入っている。開けるとティバックと砂糖が入っていた。そこへポットが運ばれてくる。一人1つだ。蓋の部分をカップにして、ティバックを入れ、自分でチャイを作る。これはなかなか優れものだ。
ただ朝食が出ると聞いていただけに、ビスケット2枚は如何にも寂しい。と思っていると乗車から1時間半ほどして、ちゃんと朝食が出てきた。日本風のコロッケが2つ。小さな食パンが2枚、そして先程と同じチャイ。十分な朝ごはんだった。ベジかノンベジかも選べるらしいが、我々にはベジが配られた。これが無料で付いている、ということは如何にこの特急の料金が高いかを物語っている。
車両には日本人も乗っていた。外国人も少し乗っていたが、圧倒的にインド人だった。ある程度上流階級の人が乗るのだろう。車内は子供の泣き声を除き、静かなものだった。新聞が配られ、それを読んでいるか、寝ているか。全席指定、座席は2+3、我々は3席の窓側2つで、隣はドイツ人の女性だった。彼女はインドで2か月ほど何かの勉強をしており、これからインド各地を回るらしい。
本日曇りで、相当深い霧が出ていた。時間が経つにつれて、霧が晴れてきたが、そこに見えた風景は、冬枯れの大地。小麦畑も少しは見えたが、原野も多かった。いくつか駅にも停まったが、如何にも寂しい、プラットホームに人々が寒々と待っていた。
車掌の権限は強いようだ。席は指定だが、その差配も全て彼がしている。我々の所にチケットのチェックに来たが、チケットを出す前に「いいよ」と言って立ち去る。外国人が座っており、特に問題が起きていない、ということで無駄は省かれた。今の日本では何でもマニュアル化され、裁量とか、差配といった概念を持ち込む場がない。それではマネージャーの居る意味はないし、返って円滑な運営を阻害しているケースも多い。
列車は4時間半走り、ほぼ定刻にハリドワールに到着した。ハリドワールは神の入り口、という意味で、聖地への玄関口。駅には迎えが来ており、車に乗り込み簡単に出発した。インドでは簡単に物事が進むだけでうれしい。
ご縁を頂いている皆様へ
皆様、こんにちは。
一昨日香港滞在を終え、バンコック経由で東京に戻りました。
これから7月9日まで東京ベースで活動します。
皆さん、何かイベントや集まり、また個人的に会ってみたいという方など大歓迎です。
是非ご連絡ください。
またこの機会を利用して「寺子屋ティーサロン」アジアほっつき歩る記報告会を
久しぶりに開催したいと思います。
今回はシンガポール、フィリピン、インドネシアなどの
ビジネス事情、お茶事情を中心にご報告します。
お忙しいとは思いますが、是非ご参加ください。
・日時 6月16日(日)午後2-4時半
・場所 恵比寿
・発表者 須賀 努(アジアンウオッチャー)
・演題 「アジア各国最新事情」
・参加人数 10名程度(参加受け付けは先着順)
※5名以上参加で開催します
・参加費用 2,000円
1月6日(日) (5) デリ―観光 午前
本日はデリー観光。インドが初めて、デリーが初めての人もおり、名所へ行く。先ずはラール・キラー。車で行くとすぐに着く。前回はメトロに乗り、デリー駅からリキシャで辿り着くのにずいぶん時間が掛かったものだ( http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4585 )。寒さの為か、観光客は少なめ。帰り掛けにドームのような場所を通った時、何と天井の一部が落ちて来た。幸い誰も下を通っておらず、けが人もなかったが、日本では笹子トンネル崩落事故直後であり、皆青ざめた。神のご加護があったのかもしれない。
ラジブガートというガンジーのお墓のある場所へも行った。ガンジス川のほとりにある静かな場所だったが、表では物乞いをする子供達が沢山おり、次男は目を丸くしていた。結構優しい子なので、心が痛むだろうが、それもまた人間界の試練かもしれない。
昼はインド料理のビュッフェランチを食べる。次男も美味しいと言ってそこそこ食べる。同行者最年少、16歳の男子高校生は大きな皿で三杯食べていた。私が普通に旅行していては有りつけないご馳走だ。日本人はインド料理ではカレーとナン、そしてタンドリーチキンというイメージだろうが、ナンは高級品であり、ベジ料理が好きな私にはチキンも不要だ。
(6) 午後
クブミナールという古い塔がある所へ行った。何だか落ち着いた雰囲気でよい。私は何故かカメラのメモリーが一杯で、しかも予備カメラを忘れたため、写真は撮れなかった。きっとまた来い、という誰かの意思なのだろう。カメラが無いと、それはそれで自由になる。この雰囲気を十分に堪能した。
ロータステンプルにも行った。実は時間がかなり押しており、日本人はここをカットして買い物に行きたかったようだが、インド人母子からどうしてもという希望があり、進む。新興宗教のようだが、大きな蓮の形のドーム型寺院へ行くのに、結構歩き、靴を預け、寺院の前で並ぶ。一体何があるのだろうか。
中に入ると高い天井があり、下には無数の座る場所が。一斉に入場した人々は思い思いの場所に座り、目を閉じる。瞑想に入ったようだ。ここが何らかの精神的な聖地だと思う。だが我々は一瞬座っていたものの、時間がないということで直ぐに外へ。インド人母子は納得しただろうか。同時にタイ人も静かに瞑想に入っていたが、そこを妨げられた。
後で聞くと「タイ人には一日中遊んでいるという感覚があり、時間通りスケジュールをこなす日本人のやり方はつまらないと感じていた」という。確かに自分の気に入った場所でゆっくり過ごすことが私もよいと思う。日本的な旅は果たして面白いのだろうか。中国人観光客の弾丸ツアーを笑うことは出来ない。
昼ごはんの食べ過ぎで、夜はパラタとチャイとで済ませる。次男もパラタのファンになる。特にキャベツパラタは焼き立てだとかなり美味しい。少しお好み焼きを連想した。シャワーは無く、お湯を体に掛けて何とか洗い、就寝。
(4) 次男がやって来た
夕方エンポリアムという場所へ買い物に行った。私とA師は買い物に興味がないのでコーヒーショップで仏教、ヒンズー教談義。その間、タイ人女性が2時間に渡り、スカーフやテーブルクロスなどと格闘し、相当の戦利品を収め、7時の閉店まで頑張っていた。
腹が減ったのでYWCAで簡単に食事を済ませる。今回の旅にはタイ人の他、インドのプネーからラトゥールさん一家も参加していた。彼は私が初めてインドへ行った3年前に案内してくれた人でその後も親交がある。3年前に彼の自宅で会った奥さんとお嬢さんとも再会した。
ラトゥールさんは空港に日本から来る供養の旅一行を出迎えに行く。基本的には昨年亡くなったS氏の親戚及び友人達だが、その一行に我が次男も加わり、初めてインドの地を踏んだ。一行は良いホテルに泊まり、ラトゥールさんが次男を連れてYWCAに来てくれた。そしてこの日から次男との旅が始まった。彼は一体どんな体験をし、どのように感じるのだろうか。興味深い。
先ず試練は東京から来たのに、こちらの方が寒いこと。ヒーターは音ばかり大きく、部屋全体を暖めることはない。我々は寝袋を持参しており、毛布の上から寝袋を掛けて寝る。シャワーは怖くて浴びられない。ニュースではインドに大寒波が来ているという。明日はどうなるのか分からない、それがインドさ。
(3) シーク寺院 グルドゥワラ
食後、散歩に出る。A師とタイ人の後に従い、先ずは国立ヨーガセンターへ。残念ながら土曜日で閉まっていたが、インドでは近年ヨーガが見直されてきており、国としても様々な研究がなされている。因みにヨーガは以前サドゥウと呼ばれる「外道」の修養として位置づけられており、その手法・技法も口頭での伝承が中心で科学的な研究はなかったという。これはバラモン中心のカースト制度の影響である。近年のヨーガブームはアメリカに渡ったインド人が体操としてヨーガを捉え、健康、ダイエットなど普通の人々のニーズに合わせたもので、本来のヨーガと相容れる所は少ない。
YWCAのすぐ横に、グルドゥワラというシーク寺院があった。実に立派な建物で前回もここを通ったが、何だか怖そうな人々が出入りしており、見学すら躊躇った場所。我々日本人は一般的に思うインド人のイメージは「頭にターバンを巻いている」「インド人嘘つかない」であろうが、それはシーク教徒を指していることが今回分かった。シーク教徒は実に誠実な人々であり、そしてターバンを巻いている。ただインド全体から見ればほんの一握りの人口に過ぎず、何故日本でこのイメージが定着したのか大いに疑問(海外で商売をしているインド人にシーク教徒が多いのため、との説あり)。
A師に率いられて中へ入る。多くの人がお参りに来ている。外国人に対応する場所があり、そこで頭にスカーフを巻いたりして、髪の毛を隠す。これが作法だ。そして裸足で寺院へ。足は非常に冷たくなり、厳しさが突きつけられる。中では熱心に祈る人々の姿があった。一日座っている人もいるようだ。体が引き締まる。
外へ出る。チャイが無料で振舞われていた。これは有難い。この寺院、誰でもやって来た人にはチャイを振舞、食事時は食べ物も無料で提供されるという。ある意味ではそれこそが本来の宗教であろう。タイ人達はタイの仏教寺院で同様の施しがあるので、特別に不思議とは思わないようだが、日本の寺院でこのような場所があることを知らない。因みに私の大学の同級生O君は学生時代、インドを旅して、この寺院に1週間滞在したという。滞在費無料、食事も一日2食無料だったそうだ。頭にはタオルを巻いて、活動していたという。実に懐の深い寺院だ。あまりの美味しさにチャイをお替りした。
O君からのメール。「アムリッツアルの黄金寺院にも一週間いました。その後84年でしたかインディラガンジーさんが黄金寺院を襲撃し、結果として彼女はシーク教徒に暗殺されましたね。今のインドの首相がシーク教徒なのも面白い」