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2.デリー  (1) エアポート鉄道は運休中

デリー空港の長い通路を通り、イミグレへ。イミグレでは横から入るネパール人がいても皆気にしない寛容さ。スムーズに通過し、荷物を受け取り、外へ。何と順調なことか。両替でもしようかと思っていたが、これから乗るべき空港鉄道の表示が見当たらない。1年半前、活用して本当に便利だったあの鉄道、今回も宿泊先の直ぐ近くに駅があるため、使うつもりだったのだが。

出口のオジサンに聞くと「何らかのトラブルで動いていない」という。そして目の前のバスを指して「ISBT、あれに乗れ」という。夜だったら迷わずプリペイドタクシーに乗るため空港ターミナルに引き返しただろうが、昼間でもあり、場所も分かっているのでちょっと冒険してみた。




バスは左程込まずに出発したが、直ぐに国内線ターミナルへ寄り、大混雑になる。皆荷物が多い。どうやら一般のインド人が使うバスに乗り込んだようだ。そしてバスは時々停まるものの、そこが何処だかアナウンスはなく、不安な時間を過ごす。途中大統領の所用地と書かれた場所があったが、あまりの広大さに流石はインドと思ってしまう。




30分以上乗っていると、見慣れた風景が出て来て、少し安堵。ところが今日の宿泊先であるYWCAの前を通ったにもかかわらず、また降りる先を運転手と車掌に告げたにもかかわらず、無情にも通り過ぎる。慌てて降りると告げたが、なかなかバスは止まらず、遂にコンノートプレースでようやく下車。前回泊まったYMCAの前を重い荷物を引いて通過し、約1㎞歩いてYWCAへ。

(2)    YWCA

YWCAでは空港鉄道が動いていないことでA師が心配して待っていてくれた。今回の旅はA師の尽力で供養の儀式がなされる。流石インド在住20年。因みに空港鉄道は技術的な問題で何と半年前から運休していた。インドでは前回の経験は生かされないこともある。確認が重要と再認識。




午後2時、ちょうど昼ごはんだというので、参加する。今回A師はタイのヨーガ生徒を連れて来ていた。皆でインドの焼そばを食べる。何だかスパゲッティとの中間のようで・・。タイ人も口に合わないらしい。

YWCAの部屋は簡素だが清潔で広い。ベッドもダブルかと思ったが、2つに分けることが出来て満足。シャワーとトイレも部屋にあり、熱いお湯も出て、問題なかった。都心の一等地にあるが、リーズナブルな料金で泊まれるのは嬉しい。また何より、男性も宿泊可能なのは何とも嬉しい(スリランカのコロンボでは地球の歩き方に宿泊可能と書いてあったが、実際に行くと女性のみと言われた)。




この時期のデリーは完全なオフシーズンなのだろう。デリー到着後、持って来たダウンジャケットを着こむ。インドでダウン、イメージが崩れる。YWCAは普通予約が多く、部屋が取れないこともあるが、今回は宿泊客も多くない。やはり寒さのせいだろうか。部屋には小さなヒーターが一つだけ。これは相当寒い夜になる予感。


 

《デリー・リシュケシュ サバイバル》 2013年1月5日-14日

インドには1年以上行っていないな、と思っていたところへ、私も少し交流のあった日本人の方が亡くなったとの知らせがあり、その供養の儀式が年初インドで行われると聞いた。個人的に自らの死後、遺体をどうするのか、遺骨を墓に入れるのか、などを考え始めていた時であり、供養の旅に参加し、他国の状況を見てみたいと思った。

また私だけが供養の儀式を見ても、私が死んだ後を託せるのは子供、との思いから、今回は初めて次男を帯同した。彼は4か月のアメリカ滞在を終え、少し英語が出来るようになっており、大学も休みのため、いい機会だと思ったのか、参加を表明した。

尚インドビザの取得が非常に厳しく、いつ取れるか分からないとの話もあり、またオンラインで申請するなどルールが変わっているとのことで、一時はインド行を諦めかけたが、どうやらインドは我々を呼んでいた。12月に東京に戻り、インドビザセンターへ行くと、以前と同様の手続きで2日後にはビザが出てきた。因みにオンラインで申請してしまうと、15日は掛かるらしい。これもまたインド。

1月5日(土)  デリーまで

バンコックで久しぶりの早起き。5時過ぎに起きて、タクシーで空港へ向かう。大型のスーツケースを使う羽目となり、バスと電車の組み合わせではちょっと辛い。今回もインドではお気に入りのジェットエアーに乗る。チェックインもスムーズ。一番驚いたのは、何とスターアライアンスメンバーでもないのに、何故かANAとコードシェア便で、ANAマイルが貯まるらしいこと。本当?

昔のスワナンプーン空港の朝は大抵大混雑。特にイミグレは外国人で長蛇の列だったが、今日は空いていた。やはりLCCをドムアン空港に移した影響だろうか?まあ、空いていて嬉しい。時間があるので無料WIFIパスワードを貰い、いつもの場所でネット。1時間はあっという間に過ぎ、気が付くと搭乗時間に。




機内はほぼ満席。ジェットエアーは座席も広めで、CAの対応も悪くない。後にインドで聞くと、民間で航空業界に参入したビール会社はすでに運航を停止したとか。キャンペーンガールのような格好良いお姐さんをCAとして乗せて、インドのイメージを変えようとしたが、上手くいかなかったらしい。







乗客はヨーロッパ人が多い。どうやら休暇で訪れたバンコックから自国へ戻るために、デリー経由のジェットエアーを使っているようだ。きっと安くて良いと評判なのだろう。イミグレカードを貰わない人の方が多かったのがその証拠。食事はオムレツ。悪くはない朝食。4時間、ほぼ定刻にデリー着。


 

11月20日(火)   さらばスリランカ

  

とうとう2週間のスリランカ滞在期限がやって来た。うーん、長かったような短かったような。午前9時にスマが迎えに来てくれる予定であり、4泊したこのホテルをチェックアウトした。フロントのおばさんともすっかり仲良し、名残を惜しんだ。ところが9時になってもスマは来ない。まさか何か間違いがあったかと電話してみると渋滞に巻き込まれているらしい。車はようやく9時半に到着。コロンボも渋滞がどんどんひどくなっている。そしてここから空港まで24㎞、どのくらいの時間で到着できるか全く読めないという。




フライトは12時35分でだいぶ余裕を持っているが予断を許さない、と緊張する。ところが・・、何と渋滞は全くなくスムーズに進み、10時半には空港に着いてしまった。スマに最後の別れの言葉をと思っている内に着いてしまい、しかも車が長く駐車できないということで、何も言えないで、ただ握手を交わして別れてしまった。車が遠ざかるのを見て、後悔したが、後の祭り。

空港でのチェックインはスムーズだったが、何だか出発時間が違っていた。あれ、1時間ぐらいデレーしたらしい。周囲で戸惑っている人々がいた。中国労働者の人々だった。英語も現地語も分からない、訳が分からない彼らに「1時間遅れだよ」と中国語で言うと、安どした様子。それからネットが繋がるというカフェでパンケーキなど食べながら待つ。ネットのスピードは遅く、多くの人が使うと繋がらない。これが今のスリランカの現状だろう。







そしてフライトはそれ以上遅れることはなく、スリランカの大地を離れた。何とも不思議な2週間の旅だった。




 

最後の晩餐

午後は少しホテルで休息。インド洋を眺めて過ごす。暑さが感じられるが、エアコンもあるので快適。そして夕方、再び歩き出す。ここ数日の体調を考えて、いい物を食べようと思う。昨日も通ったクリケットクラブを目指したが、どうもこういう場所は敷居が高い。すると向かいにオシャレなカフェがあった。ギャラリーと書かれていたので入って行くと、伝統家屋を改造した立派なレストランだった。







渡り廊下に絵画が掛かり、骨董品が置かれている。相当に暗いシックな作りで、ヨーロッパの雰囲気が醸し出される。うーん、こんなスリランカもあるのか。思わず、カフェに座り、アイスティーを飲む。広い中にはテーブルが配置されているが、食事をしない人はバーコーナーに座るらしい。




折角なので少し早いがクラブサンドイッチを注文してみる。ここのマヨネーズ?の使い方が絶妙でパンも美味い。あるところにはあるんだな、美味い物が。2時間近く座ってまったりしていたが、お客は殆ど来なかった。まだヨーロッパ人のディナータイムにはかなり早い時間だったのだろうか。




それにしてもスリランカ滞在の前半はお坊さんとの修行の旅、最後のコロンボは少し贅沢な旅。うーん、もう少し修行を重ねる必要がありそうだ。

夜な夜なパーティーが

このホテル、WIFIはロビーでしか使えないため、毎日毎晩ロビーのソファーに座り、PCを眺めていた。すると初日、夜8時を過ぎるとソファーが満席になった。地元スリランカの人々がキチンと正装して、座っていたのだ。何だこれは?その日はどこかの会社のパーティーが開かれていた。

次の夜もまたタキシードを着た男性、ドレスの女性が集まって来た。お金持ちのパーティーがあるらしい。確かに1階の奥にはボールルームがあり、かなりの人が入れるようになっていた。それにしても現時点でそれ程豊かではないスリランカで2日も続けてタキシード姿を見るとは。子供達もおしゃれしているので驚く。

そして今日、紳士淑女がまたやって来た。今回は結婚披露宴。新郎新婦が入場していく横で、私はPCを眺めていた。違和感、ありあり。しかしこう言ってはなんだが、このホテルは外観もそれほど美しくなく、部屋がきれいなわけでもない。それでも紳士淑女が夜な夜な集まるということは、ロケーションが抜群なうえ、料金的にもそれほど高くない、穴場なのだろう。

常に突然始まるので写真を撮ることが出来ずに残念だったが、実に面白い物を見せてもらった。これからはどこのホテルでもロビーでWIFI使うのが良いかもしれない。

 

11月19日(月)   投資事情

今日は午前中、2か月前にバンコックで会った日本人に会いに行った。駐在経験が3年あり、忙しい中、まとまった話をしてくれた。最近は中国問題の発生もあり、東南アジアのみならず、南アジアも注目されていると言う。2009年の内戦終結後、欧米を中心に観光客が増えたが、それに対応するホテルが不足。これから欧米一流ブランド、シェラトン、ハイアット他、シャングリラなどが出来て来る。スリランカ政府は観光業に不慣れ。外国人から法外な入場料を取ってしまい、今後リピーターが来ることを想定していない。接客業も不慣れで、問題が多い。

日本企業で30年、40年と当地で工場経営している会社もあり、手先が器用、真面目、などの利点はある。だがここへ来て、給料の値上がり、オフィスや工業用地の不足による値上がりなど、投資環境は変わってきている。それでも他のアジアに比べればまだ安いし、競争相手がいないのだから、進出の余地はある。

日本のODA関連で建設会社も結構進出しているが、地元の要求がむちゃくちゃで、結構苦労しており、儲けも出ていないという。中国はワーカーまで中国から丸抱え、違いは鮮明。政府の汚職などは大問題と言うほどのことはない。ただこれからエスカレートしてくる可能性はある。税関の嫌がらせは小遣い稼ぎ。法律は英国法がベースだが、執行はケースバイケース。労働法など企業経営者の立場に立っていない。解雇などは慎重にやらないと裁判沙汰になる。感覚的に言うと、現在のスリランカは「80年代半ば(改革開放初期)の中国」と言える。

日本料理屋

昼はインドのチェンナイの日本人駐在員が飛行機に乗って食べに来ると言う「日本ばし」という店へ行って見る。ちょっと分かり難い場所だが、宿泊先から直ぐ近くだった。12時に行ったがお客は居なかった。店内は綺麗で個室もいくつかあり、本格的な日本料理屋というより、モダンなレストランといった印象だ。入り口に立っていた女性は日本語が出来たが、ウエーター達(ウエートレスはいない)は基本英語。それでも無料のお茶は運んできてくれる。







今日の定食を頼む。1400ルピー。他に数種類の定食があり、1400-1700ルピー。夜は居酒屋メニューも豊富とか。今日のメインはメンチカツ、あと野菜炒め、ポテトサラダ、ホタテ焼にご飯とみそ汁が付いていた。味噌汁を一口吸うと、成程これならチェンナイからも来るはずだという味。全てが日本の味で美味しく、久しぶりのメンチカツにも思わず涙。米もパサパサしていない。人間、たまにはいい物を食わないといけない、と昨晩からの続きで思う。12時半過ぎに日本人や地元の人が入り始めた。ここは香港などと同様にランチは1時からだろうか。イギリス植民地の名残を感じる。デザートにパパイヤも出て来て大満足。





 

11月18日(日)   優雅なブランチ

翌朝は昨晩の苦しみもあり、9時過ぎまで寝る。もう食べたくないという気持ちと、何となく腹が減ったという気持ちが交錯。こういう時ジャンクフード系は体にも心にも良くないので、立派なブランチを食べることに。向かった先はお向かいのシナモングランドホテル横のショッピングモール。そこの1階にはSugarという名前のレストランがあった。ここに英字新聞を持ち込み、朝食セットを頼む。しかし料金はホテル並み。1000ルピーを超えた。

ジュースとトースト。パパイヤ、マンゴとバナナのフルーツセット。ここまででそこそこお腹が張ってきた。更にオムレツ、ソーセージ、ベーコンなどが乗ったプレートが現れ、大満足。食後の紅茶も美味しく頂き、充実した食事を終える。実は便秘解消法として推奨されていた中に、お茶を飲む、バナナを食べるなどがあり、それを実践してみた。翌朝の効果は抜群でほぼ正常に戻っていた。

周囲のお客は欧米人が多く、インド系と思われる人もちらほら。まあ地元の人には敷居も高いが、ある意味ここで食べる必要性はないかもしれない。私には必要だったので、良かったのだが。

博物館

午後は日差しが強い中、国立博物館に向かう。何となく急に行ってみたくなったのだ。途中に立派な中国料理店を2軒発見。海鮮などがメインのようで、中国人団体観光客用だろうか。日本人の団体も行きそうだ。




道を間違えたこともあり、へとへとになって到着。そこは白亜のお城、ならぬ白亜の博物館。1877年に建造されたという立派な建物。前庭も広くて立派。大体この周辺には相当立派な建物が集中している。




入場料500ルピー。カメラ代250ルピー。展示物はスリランカの仏教美術が中心。植民地時代の歴史は敢えて触れないのか、殆どない。私が少し期待していた紅茶貿易の話なども全くなく、個人的にはあまり見る所もなく、終わる。カメラ代を支払ったが、損した気分。おまけに写真を撮ろうとすると、「カメラ代払ったのか」と聞かれ、不愉快に。もうちょっと分かり易い工夫をしないと面倒だ。







その後、ふらふら歩いて行くと、高級住宅街へ出る。本当に昔風の建物がきれいに保存されている。スリランカの金持ちはこのようなところに住んでいるのか、と感心。クリケットクラブという名前のカフェがあった。なかなか良い雰囲気だったが、私にはその辺のレストランで40ルピーのミルクティを飲む方がよほど疲れが取れる。事実、これを飲むと又歩き出せるのだから、不思議だ。


 

11月17日(土) フォート周辺

部屋にばかりいても仕方がないので、出掛けてみる。フォートと呼ばれる港があるエリア、旧市街地へ行く。歩いていると鉄道線路の脇に恐ろしく古そうな建物が見えた。Castle Hotelと書かれており、ホテルのようだ。中へ入ると本当に古い。200年は経っていると言う。1泊、1200ルピー、流石にここに泊まるとダニに食われそうだ。イギリスが侵攻してきたのが1796年。歴史だ。







その付近にはモスクがあり、イスラム系が住んでいるようだ。子供達は道でクリケットに興じている。昔々の日本の風景だ。豊かではないが、楽しそうではある。空軍の前を通ると一人の若者が日本語で話し掛けて来た。岐阜で3年働いた経験があると言う。月給30万円貰ったが、毎日12時間労働で疲れた。今は月給3万円だが、辛くはない。お金だけが全てではない。日本にはもう一度行きたいな、と言っていた。




ヒルトンホテルを過ぎると突き当りが港だと分かる。そしていかにも古めかしい建物が並ぶ。中でもカーギルのビルが目を惹く。実に重々しい風格のある建物だ。ところが何と中にあるのはKFCとFood Cityというスーパー。特にKFCには違和感があるが、返ってそのギャップが良いのかも。




オリエンタルという1875年に建てられた大きなホテルもある。今は改装されて綺麗だ。港についたイギリス人が泊まったホテルであろう。とても便利なロケーションにある。そこから駅へ行く。フォートステーションで列車に乗ろうかと思ったが、切符を買うのが面倒で、駅前のバスに乗り込む。これがまた満員で大変だ。途中で降りるのに苦労したが、何とバスが我がホテルの真ん前に停車した。バス停なんか、あったっけ。









オシャレなカフェが見えた。帰りにそこへ寄る。韓国人の若い女性たちが楽しげにコーヒーを飲んでいた。私は2階の屋外のテーブルに腰掛け、爽やかな風にあたりながら、アイスティーを飲んでみた。結構濃厚なアイスティー、恐らくはミルクティを作る茶葉を使ったのだろう。それでも雰囲気もよく満足。かなりの時間をまったり過ごす。




夜は疲れたので、昨日のフードコートへ行き、チャウメンとビールを頼む。満足して帰ったのだが、その夜、何故か今までなったことが無い便秘に襲われ、難渋する。何が原因か分からないが、水分や食生活の変化ではないか。それにしても便秘がこんなに苦しいとは、初めて知る。


 

ゴールロードを彷徨う

あまりに高級ホテルが並び、南側には首相官邸、アメリカ大使館などもあり、食事をするところが無い。飲み物を買う所すら見つからない。これは失敗だったかと思う。仕方なく、両替に行く。スリランカの両替レートは銀行によりかなりの差があるので、良く選ばないといけない。今回はセイラン銀行へ行ったが、対応は悪くなかった。ただ3回の両替で分かったことはセイロン銀行が手数料も安く、結果的にレートが一番良いということ。




さらに北上すると、ゴールフェイスホテルの前に、突然ゴールフェイスグリーンと言う広場が広がっている。インド洋が目の前だ。ここに観光客向けのスタンドが並び、飲み物が買える。普通の店の10%増し程度だから良心的か。それでも冷たい飲み物を置いている所と置いていない所がある。何とか冷たいスプライトを探し出し、口に含むと本当に爽快だった。それにしても最近水分を抑えて来たな、と感じる。







夜はゴールロードを南へ行って見るが、どうしても美味そうな店がない。思い余って、やけくそで、シナモングランドホテルに向かう。するとホテルの横にショッピングモールがあった。中を覗いていると地下に何とフードコートがあった。10軒ほどの店が並んでおり、食欲が涌いてきた。




食べたいと思って立ち止まった所、そこは何とタイ料理屋だった。そこのチキンチャーハンにのっていた野菜炒め、懐かしかった。バンコックから来て態々コロンボでタイ料理。それが今の私かもしれない。おじさんは中華系に見える。流暢な英語を話し、新入りかと思われるスリランカの若者に一生懸命何かを伝えている。その若者の姿と自分の息子たちがだぶる。


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