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ランチ

キャンディの市内近くに来たところで、ランチを取るという。かなり立派なレストランに入る。まだ11時で誰もいない。スマは僧侶だから、食事は午前中に取るのだろうか。ビュッフェ形式、チキンカレーやチャーハンなどが並ぶ。野菜の煮込みなども含めて一通り取って食べてみる。味は悪くない。




周囲に客が増えてきたが、いずれも観光客。中国人の団体が相変わらずの大声で騒ぎながら、料理を取り、食事を始める。韓国人の団体もやって来た。出張者と思われる日本人も2人で食事をしている。そういえば、昨晩の飛行機では、前の席に日本人出張者が乗っていたのを思い出す。確かキャンディの近くへ行くと言っていたが、違う人だった。

この国では僧侶は尊敬されているのか、お客が増えて来ると、デザートは自動的にボーイが運んできた。フルーツは美味しかったが、ケーキは余りにも甘すぎて食べ切れない。先日のトルコを思い出し、苦笑する。恐らくスマはこのような場所で食事をすることはないだろう。私の為に態々やって来たようだ。感謝。

ペーラーデニヤ植物園と大学

街から少し離れた大学へ行った。大学と言っても相当の敷地に緑が溢れ、まるで植物園のよう。駐車場に車を停めると一人の若い坊さんがやって来た。スマの寺の若者で、この大学で勉強しているという。彼が大学内を案内してくれということでスマは去っていった。




スリランカ最古の大学で一番入るのが難しい大学。彼の説明では入試で満点を取った者だけが入学できるほど、厳しいという。大学の建物も由緒正しく、古い。図書館には相当の蔵書があるようだが、事前の許可が無ければ部外者は立ち入れない。

それにしても本当に恵まれたキャンパスで、大きな木の下で学生達が楽しそうのおしゃべりしている。木の下のベンチにはカップルが並び、恋愛も盛んなようだ。気が付くことは女子学生が非常に多いこと。70%以上が女子ではないかと思われる。内戦の影響で男が多く死んだから、と言われ、戦いがつい最近まであったことを初めて認識した。これが今後のスリランカの大きな問題なのだと知らされる。




横には大きな川も流れており、別のキャンパスには橋を渡って行く。本当に広い。橋にはサルが何匹もいて、愛嬌をふりまく。




隣と言ってもかなり離れているが、同じ名前の植物園へ行く。ここは1867年、イギリス人が中国から茶樹を持ち込んだ場所と言われ、来てみたが、当然茶樹などはない。これはカルカッタの植物園と同じパターンだ。




ここもかなり広い。迷子になりそうな大きさだ。ガイドブックには全て歩くとまる一日掛かるとある。1821年に出来たというから古い。しかもそれまでは王妃の庭園だったか。確かに相当に古い木が多数見られる。




日本庭園と言う名の庭もあったが、雰囲気は少し違う。オーキットガーデンは素晴らしい蘭の花が何種類も咲いて、良かった。こんな感じで一つ一つ見ていくと確かに相当の時間を要するのは間違いない。ここもデートスポットなのか、カップルが多い。


 

11月8日(木)  朝

殆ど眠れない状態で朝を迎えた。スマは5時には起きて瞑想等の行をするという。私は6時半に起きて、支度をする。階下でスマが朝食の用意をしていた。トースターでパンを焼いてくれた。お坊さんを使ってしまってよいのだろうか。フルーツも用意され、結構食べてしまう。




食後スマは率先して皿を洗う。お寺ではそうしているのだろう。その動作が実に機敏。私も反省して自分の使った皿を洗う。その後、この家の周りを散歩してみる。結構立派な家もあり、別荘地帯にも見える。少し行くと村外れとなり、田んぼが広がる。鳥が囀り、いい雰囲気である。




8時に出発し、先ずはこの家の大家に鍵を返しに行く。大家はスマの同僚だというのだが。実はスマは寺に所属する傍ら、コロンボ郊外のパーリ大学で教えていた。その大学の関係者らしい。この村から少し離れた所に彼女の家があった。こちらもそこそこの大きさがある家だったが、近々我々が泊まった方の家に引っ越すらしい。スリランカにもお金のある人が意外といるものだ。

3. キャンディ    ピンナラワの象の孤児園

キャンディに向かう。キャンディは仏教の聖地であり、最後の王国の首都であり、そしてスマの寺のある場所だと聞く。車はフォルクスワーゲン。日本車がかなりを占めるスリランカでは珍しい車だ。コロンボ郊外の大学へ通うスマの為に大学が提供しているようだ。コロンボ⇒キャンディ間は約100㎞。だが、道はカーブが多い片道一車線。バスもトラックも走るのでかなりの時間が掛かる。中国のような訳にはいかない。しかも途中で幹線を外れた。

ピンナラワという所に象の動物園があり、そこが面白いので連れて行くという。動物園と聞いてタイの象動物園を思い出す。象の上に乗ったり、餌をやったり。それは面白いだろうか。ところがここは孤児園だった。病気などで親を失った象を引き取り、育てているのだという。勿論国の施設だ。ただ外国人料金は高過ぎた。2000ルピー(日本円約1200円)と言えば、簡単なゲストハウスに泊まれる料金。スリランカ人は不要のようだから、観光客目当ての政策だ。インドと似ている。




象は100頭以上いるという。確かに広い敷地には沢山の象がいた。寝ころんでじゃれ合って遊んでいたり、かなり自由だ。スタッフが象と一緒に写真を撮ってあげるというので撮ってもらうとチップをくれという。国の施設なのにと思うが、国の施設だからとも思う。生まれたばかりの象も2頭いた。こんなに小さいのかと思うほど小さく、直ぐに大きくなるのだろうかと心配するほどのサイズだ。観光客にも一番人気。




メインイベントは100頭以上の象が、一斉に水浴び場に向かって歩いて行くところ。何と園を飛び出し、道路を渡り、のしのしと歩いて行く。このパフォーマンスを見るために時間を合わせて来ている観光客も多いようだ。


 

空港で

出発は遅れたが、定刻にコロンボの空港に着いた。空港は大きくはないが綺麗であった。これも日本のODAだろうか。例の中国人達は入国カウンターには進まず、別の場所へ行く。どうやらビザの申請らしい。アライバルビザも可能であった。なんだ。




入国審査は簡単でビザ認可のコピーを提示しなくても、名前で分かるらしく、直ぐにビザのシールをパスポートに張ってくれた。これは早い。そして預けた荷物を待つ。直ぐにテーブルが回り始めたが、荷物が多過ぎるのか、なかなか自分の荷物が出て来ない。バンコックの空港で手荷物は1つだけと言われて、素直に従ったのが恨めしい。他に乗客は2-3個平気で持ち込んでいたのに。

乗客の中のインド人と思われる人間が非常に横柄な態度でポーターを使って荷物を探している。どうもこういうことに慣れていない日本人は反感を持ってしまうが、使われるスリランカ人も習慣なのか、平気な顔をしている。だが荷物は見付からず、何と別の空港へ行ってしまったらしい。私の荷物もまさか同じように、と思い始めた頃、ようやく出て来てホッとした。

荷物検査もなく、直ぐに外へ出る。先ずは両替をする。そして迎えが待つ場所へ出てみた。今回はお坊さんが来てくれているので、直ぐに分かると思っていた。そして一番前にお坊さんが立っていたので、そこの前へ行ってみたが、立派なお坊さんは全く無反応であった。人違いかと思い、更に探したが、見当たらない。と思うと、さっきのお坊さんが背後に立ち、私の名を呼んだ。恐らく彼は私が日本人に見えなかったに違いない。私もそのお坊さん、スマがもっと若いと勝手に想像していた。




知り合いの豪華な家

私を車に乗せたスマはコロンボ市内とは反対の方角へ進んだ。時間は既に夜の11時。車はあまり走っておらず、道も明るくはないが、意外とスムーズ。車はある村に入り、大きな門の前で止まる。スマの知り合いの家だと聞いたが、相当大きな家だった。

中へ入ると、2階建てリビングにはソファーセットが2つあり、2階にもリビングに相当する場所があり、ソファーセットがあった。部屋はいくつあるのだろう。日本なら豪邸だろう。だがこの家、まだ人は住んでいない。今晩は運転手を含めて3人が泊まる。




スマが言う。この家には何もないので、簡単な食事を買ってきておいたと。スリランカのレストランはコロンボの繁華街以外は8時頃には閉まってしまうのだという。ダイニングテーブルの上を見て少し驚く。何とマックの袋が置いてあった。スリランカにマック、そしてお坊さんとマック。何となくそぐわない感じだが、スマに寄ればマックは以前からあるという。紅茶のティバッグを淹れながら、冷えたチキンバーガーを食べる。何となく可笑しみがある。しかし考えてみれば偉いお坊さんの手を煩わせる、有難い話である。




夜も遅いので早々に寝る。私が宛がわれた2階の部屋は大きかったが、何とドアがキチンと閉まらなかった。特に問題はないし、何となく暑いのでそのまま寝ようとしたが、蚊が何匹もいるようで、耳元で煩い。煩いだけでなく刺してくるので始末が悪い。寝るどころではなかった。3時間ほど格闘し、疲れ果てて浅い眠りに入った。

 

(4月1日) 梅窩からDBまで

昨日のDB散歩で目覚めてしまったのか、本日も雨が降っていない、ということで、散歩に出掛けた。今日は梅窩に行って見ようと思い、地図を眺めたが、どうやってDBから行くのかイマイチわからなかった。取り敢えず行って見よう。

いつものフェリーターミナルの更に先、湾の反対側に実は大変小さい船着き場がある。恐らくその辺から歩いて行くのだろうと当たりを付けて歩いていると、後ろから欧米人親子がダッシュで私を抜き去る。何だと前を見ると、渡し船が停まっている。確かあれば梅窩行ではないだろうか、と思うと自然と私もダッシュとなり、船に乗り込んでしまった。すると同時に船は出航した。これは完全に俺を待っていたんだな、と勝手に自分を納得させ、船旅を楽しむ。








この船、小さいが2階建て。客の半分は欧米人の親子、そして飼い犬、といった感じで、観光船のような、ローカル船のような。ちょっとしたお出掛けには最適か。料金は15ドルだが、どうやって払ってよいか分からずまごつく。何とオクトパスカードが使えた。




梅窩は意外に開けていた。ターミナル前のパークンショップがあり、マックもあり、何と普通にタクシーまで走っていて、特に鄙びた風情は無かった。ビーチもそれなりにあるが、大きくはない。私は梅墺には古い民家などが残っていると思い込み、歩き始めたが、なかなか見付からない。畑があり、それなりに民家もあった。旧村と書かれた場所へも行ったが、古民家と呼べるものはなかった。







1時間ちょっと歩くと、ほぼ街と村を歩いてしまったようだ。梅窩は落ち着いたいい街であり、一部の欧米人などが好んで住んでいるのは分かった。まあ、イメージはラマ島と似ている感じだ。







帰りの渡し船は1時45分、まだ少し時間があるなと思っているとビーチ横の看板に「DBへ」の表示が見えた。そうか海沿いに行けばはやりDBへ歩いて行けるんだ、と思い、そのまま歩き出す。ビーチを終わるとそこから急な坂となり、一気にハイキング気分となる。




恐らくは途中で道を間違えたのだろう。その急な坂を上ったあたりから、行き止まりになり、また犬にほえられて進路を遮られたりと、なかなか進めなくなっていた。これはおかしいと思ったが、元に戻るのも難しい。結果相当厳しい山道を分け入るように上る羽目になる。既に息は荒くなり、喘ぐようになる。何とか1つの山を越えたが、またもう一つ山が来た。その度に大幅に迂回した山道を行く。そして何とお墓まで出てきた。

そこを過ぎると、物凄く急な坂道を上る。普通に行って足が滑るほど。草を踏みしめ何とか上がる。向こうにはDBのゴルフ場のコースが見えた。あそこで何回OBしただろうか。でも助かったと思った。しかも何とそこにはベビーカーまで持ち込んだ欧米人がいて驚く。彼らから道を教わり、後はひたすら下りを行く。




自転車で分けって来る人、老夫婦でゆっくり上って来る人、犬の散歩という感じの人など、実に様々な人が登って来た。下るのは私のほか数人だけ。修道院が見えてきた。こんな所にあったのか、でもこれで直ぐにDBだと思ったのは間違いだった。そこからも延々と下り、ようやくDBの隣の湾に出た。こちらの方が鄙びていて風情があった。







最終的に2時間掛かって家に帰った。時間的にはたいしたことはなかったが、その疲労度たるや尋常ではなかった。もう少しハイキングを楽しめるような体力をつける必要がありそうだ。

 

2.   コロンボへ到着   11月7日(水)  スリランカ航空

今回のコロンボ行きでは、当然エアアジアが安いだろと思い、最初にその予約を試みる。ところが10月11日を最後にネット上での予約は出来なくなっていた。バンコックーコロンボ線は今年運行を開始したが、当初は毎日1便であったのが、6月には早くも週3便に減便されており、恐らくは乗客数が伸びずに運休したものと思われる。




次に安いのはどこか、ネットで検索するとスリランカ航空と出た。そして出発と到着が意外といい時間である。特に到着が深夜になるキャセイとタイ航空は出来れば避けたかったので、スリランカにする。更にネットではなく旅行会社経由としたところ、料金がまた安くなり、結局往復2万円ちょっとで行けることとなった。エアアジアに競争力が無い理由が分かった気がする。




午後8時発のコロンボ行きは、マイナーエアラインに有りがちな1時間前が搭乗時間とされていた。普通は行って見ると搭乗は始まっておらず、遅れる人間が無いように早めに設定しているケースが多い。ところが50分前に行って見るとゲート前にはほとんど人影が無い。慌てて乗り込むと既にかなりの席が埋まっており、本当に1時間前に搭乗を開始したことが分かる。そして30分前には殆どの乗客は乗り込み、出発を待ったが、いつになっても出発しない。一体何が原因なのか、さっぱり分からずに定刻を過ぎてしまった。




隣はミャンマーからスリランカに勉強に来ている尼さんで英語も出来たので、スリランカの事情などを聴いている内にようやく出発。機内は広く、LCCとは違ってサービスも悪くない。食事も出るし、飲み物もある。食事はちょっと中華風、デザートはかなりあまいスリランカ風。紅茶は何となくおいしく感じられる。




周囲をよく見るとなぜか中国人が多い。観光客もいるが、どうみても観光には見えない男たちが10数人ほど乗っており、入国カードの書き方などを皆で議論している。恐らく彼らは出稼ぎ者だろう。訛りが強い普通話を使っており、北の人間であることは間違いない。機内には中国人CAも乗っており、普通話の機内放送すらあった。スリランカと中国はそれ程密接な関係にあるのか、ちょっと不思議であった。

 

【スリランカ お坊さんと行く紅茶畑の旅】 2012年11月7-20日

スリランカ、とても遠くて未知の島。少し前まで行こうとすら考えなかった場所。それが最近の紅茶ブームでインド、トルコなどを歩き、台湾、中国の紅茶を見て来ると、スリランカへ行かない訳にはいかない、と思うようになった。

ある大学の先生が「お茶に熱心なスリランカ人がコロンボに居る。紹介するから是非行け」と言ってくれたが、何と連絡先を聞く前に病気で亡くなってしまった。日本スリランカ協会の人を紹介する、とも言われたが、実現しなかった。そして特につてが無くても行ってしまう私の旅を始めようかとした矢先、「スリランカのお坊さんを紹介する、彼は北京にも留学していたとてもいい人」と言われ、連絡してみた。そのお坊さんの返事は「Do not worry。Take it easy!」。では行ってみよう、未知の国へ。




1.   ビザ

トルコを旅行中、日本人バックパッカーに出会った。彼と話をしている内に、「スリランカに行くには今年からビザがいる」ことを知る。そしてその申請はインターネットで行うことも併せて教えられる。

スリランカへ行く前にトルコ、バンコック、中国、日本を転戦し、中国上海でビザのことを直前に思い出し、申請しようとしたが、どこが公式ページか分からない。在日本のスリランカ大使館のHPを見に入ったがエラーと表示される。中国では取れないのか。検索を続けると一つのサイトが出て来た。だが入力を進めるうちに、聞いていた画面と異なることに気が付く。そして何よりビザ代が違う。米ドル20ドルのはずが、何故か英国ポンドで29ポンドとある。流石におかしいのでフィッシング詐欺を疑い、入力を途中で取りやめる。しかし止めたらスリランカ行はどうなるのか。

バンコックに戻り、再度大使館のHPから入るとちゃんと入れた。何故だろうか、中国は相変わらず不思議な国だ。そして入力を完了すると1分後にビザ取得のメールが届いた。これは単に入場料としてビザを申請させているだけなのだろうか。それともテロ対策の登録であろうか。あまりに簡単で少し驚く。

 

4.ウドンタニ    街

ウドンタニのバスターミナルに入ったのはビエンチャンを出てから2時間半は過ぎていただろうか。距離にしたら50-60㎞かも知れない。やはり国境で時間が掛かる。先ずは腹が減ったので、その辺の屋台で麺を食べる。美味い。これが一番良い。


 

目の前にショッピングセンターが見えた。これがビエンチャンで聞いていた「ラオス在住者が買い物に行く場所」らしい。セントラルもバスターミナル近くに作るところ、良く分かっている。結局中へは入らなかったが、恐らくはタイのどこにでもある品揃えなのだろう。


 

空港へ行く方法が分からない。タクシーなどは走っている雰囲気すらない。トゥクトゥクが沢山列をなして停まっている。いくらか聞くと「100バーツ」だという。そんな高くはないだろうと「60バーツ」と言ってみると、誰一人振り向かなくなる。80バーツが定価のようだ。どうやらルールがあり、60バーツで乗せるとルール違反らしい。この辺、面倒くさい。


 

空港まではそこそこ遠いのだろうと思って、人のよさそうなオジサンのトゥクに乗ったが、田園風景を15分も行くと到着してしまった。こんなに早く着くのなら、もう少しウドンタニの街を見学しても良かったな。でも何もなさそうだったな、ウドンタニ。

 

空港で

空港も小さかった。チェックインカウンターも直ぐに見つかった。確か搭乗予定より一本速いフライトがあるはずだ。それに乗せてもらおうと申し出たが・・。何とそのフライトはキャンセルになっていた。エアアジア、なかなかやるな。

 

これから2時間以上、どうすればよいのか。空港内に無料のWIFIもないようだ。仕方なくレストランで聞いてみたが、「今日は繋がらない」とのつれない答え。どうするんだ。隣のカフェに聞いてみると「繋がるよ」と。本当にどうなっているんだ、ここは。


 

午後6時に恒例のタイ国家が流れ、全員が起立した。こういう動作は日常的になり過ぎているとはいえ、大切なことだと思う。日本のように日の丸・君が代に反対したり、宗教を教育でお教えない国、それは世界から取り残されていくことだろう。勿論日本人の特殊性を利用して、何かを企む人もいるので仕方がない面もあるが。


 

午後7時前には何事もなく、搭乗。あっと言う間にドムアン空港に着いた。あのファランポーン駅からノンカイまで16時間も掛かった鉄道の旅はなんだったのだろうか。まあ、それも旅、これも旅か。                            完

 

国際バス

午前中にバスターミナルへ行き、午後2時のウドンタニ行きバスのチケットを買った。午後1時半に行って見ると、既にチケットは完売、午前中に買っておいてよかった。だが一体どこから乗ったらよいのか分からない。人に聞くと「ここだ」というのだが、出発時間近くになってもバスは来ない。不安。今日はASEMで街中、大変。まさかキャンセル?







その時、バスが入って来た。立派なバスだ。考えてみればこれも国際バス。皆が一斉に乗り込む。荷物も積みこまれる。一応指定席である。2時は少し過ぎたが、それほど遅れず出発したのにはホッとした。何しろウドンタニから飛行機でバンコックへ戻るのだから。




バスは田園風景の中を一路国境へ。1時間も掛からずに到着。立派なイミグレだ。次々にバスが到着し、イミグレが込み合う。混んで来たらいきなり別のゲートを開ける。先着順も何もない。まあいつかみんな通れるんだろう。バスに全員が揃うとタイ側国境へ。




タイ側を抜けると、何故かそこにタクシーの運ちゃんたちが待っている。バスより速いらしい。というより、もし空港に直に行きたければ、このタクシーを使うのだろう。良く出来ている。私は飛行機の時間までかなりあったので、そのままバスに乗る。




タイ側では様々な雑貨を売っている。ここで物資を調達して、ラオス側に持ち込むのだろう。と思っているとバスの運転手がある店の前で停まり、店の人が何かをバスに投げ込んだ。これが運ちゃんの小遣い稼ぎか、面白い。こんな役得があって、バスの運ちゃんやってられるのかもしれない。


 

(3月31日) DBを歩き、体力の無さを痛感する

本日はイースター。連休も3日目。天気予報は最悪だったが、何故か雨は降らず。家での作業にも飽き、DBを散歩してみることにした。既に2か月以上住んでいるのに、殆ど知らないDB。これではいけない。歩き慣れたフェリーターミナルまでの道。いつもは湾側のみに注意していたが、山側は殆ど未開拓。欧米人がかなり急な階段を上っていたが、私には無理、断念。愉景山道という車が走る道路を登り始める。




この愉景山道は懐かしい。1990年代、2000年代前半、駐在員時代に何度もゴルフをしにやって来た道。当然歩いたことはなく、景色はかなり違う。そもそも90年代のDBはターミナル付近に低層住宅があったものの、あとは殆ど何もなかった。今のような高層マンションが立ち並ぶ光景は想像もできなかった。登って行くと、遥か下に湾が見えた。いい景色だ。水が流れ落ちていく。








それにしても体力が格段に落ちている。犬を連れて散歩している親子連れに抜かれた。昔なら抜き返すところだが、今やそんな気力はない。肩で息をしている。DBゴルフ場が見えてきたが、あそこまで行く体力はもはやなかった。展望台、の文字に釣られて、途中で曲がる。そこでも韓国人の親子に抜かれる。小学1年生ぐらいの女の子が走っているのだ。私も走りたかったが、全く体が言うことを聞かない。足がつりそうだ。何とか展望台まで辿り着き、下を眺めた。


   


 

そしてそのまま下へ降りていった。この道は土で、雨のせいか滑りやすく、何度もこけそうになる。体を鍛えておかないと本当にほっつき歩きすら出来なくなるという危機感が出てきた。気が付くと、見知らぬマンションの敷地へ入っていた。この高台までバスが来ていた。DBは本当に便利な場所だ。







更に下まで降りて、家へ帰る。雨がパラパラ降って来ていた。が濡れているのは雨のせいではない。汗びっしょりになっている。折角DBに住んでいるのだから、この自然環境、ハイキング環境を生かして、少し体を動かそう。

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