お知らせ

>>お知らせ一覧

Myカテゴリ
コラム (88)
ブログ(タイ) (74)
ブログ(香港) (43)
プロフィール (1)
寺子屋チャイナ(ビジネス) (9)
寺子屋チャイナ(学生) (6)
旅行記(アジア) (293)
旅行記(インド) (138)
旅行記(スリランカ) (39)
旅行記(トルコ) (41)
旅行記(ベトナム) (61)
旅行記(中国) (189)
旅行記(台湾) (43)
旅行記(日本) (48)
茶話会 (9)
読書感想文 (2)
講演会 (21)
«前 || 1 | 2 | 3 |...| 36 | 37 | 38 |...| 105 | 106 | 107 || 後»
 

10月2日(火)  トプカプは門を開かず

とうとうトルコ滞在最終日がやって来た。ここまで色々なことがあり過ぎて、あっという間に過ぎて行ったが、少し疲れも覚えていた。2週間、ちょうど良かったのかもしれない。流石に山盛りのパンも食べ飽きた。

昨日の流れで、トプカプ宮殿へ向かう。「トプカプは広いだけで何もない」と言われたので行っていなかったが、昨日の城壁を見ていると、そこにいるだけで何かが感じられたので、宮殿でも何かが感じられそうで行って見た。ところが宮殿前の門が開いていない。聞けば「火曜日は開放していない」というではないか。まさにご縁が無かったんだなとすごすごと坂を下る。




実は午後タクシム近くにある軍事博物館にも行ってみたが、こちらは「月曜日、火曜日は休み」と言われ、入れてもらえなかった。週2日も休むとは、怪訝に思ったが、これもご縁の成せる業と諦める。




博物館にも行っていなかったので、行って見る。ここにはアレキサンダー大王の柩があるという。これが本物であるかどうかは疑わしいが、きれいな装飾には目を奪われた。他の柩や彫刻なども素晴らしく、珍しく見入ってしまった。










そして路面電車に乗り、カバタスへ。そこから一駅だけの地下鉄に乗り、タクシムへ。先日のガラタ塔とは別方面から丘を登った。そして地下鉄で数駅行き、初日にあったTさんのオフィスへ行く。この辺りは完全なオフィス街で、ランチタイムには人が溢れ、活気があった。ただ皆やたらとタバコを吸っていること、特に若い女性がミニスカート姿でタバコをスパスパやっている脇のモスクからコーランがガンガン流れて来ると、一体この国はどうなっているんだ、と思ってしまう。







Tさんのイスタンブールでの任期は実は本日までだった。何たる偶然、いや必然。しかも次の赴任地はモスクワ、と聞かされて、本当にびっくり。その忙しい最後の日にお邪魔して、しかも知り合いを紹介してもらった。そのお知り合いはトルコに20年住んでいる日本人で、非常に面白い話を連発してくれた。トルコを私の頭の中で整理するのに、これ以上の僥倖は無かった。Tさんには感謝したい。


 

イシドロスの城壁

船を降りると午後4時を過ぎていたが、心は昨日路面電車から見た城壁の風景に飛んでいた。とにかく路面電車に乗り込み、あの城跡風景を追う。いくつ駅が過ぎただろうか。城が見えてきた。トプカピという駅で降りる。思ったより更に大きい。そして南北にずーっと続いている城壁。




イシドロスの城壁と呼ばれるこの地区は、コンスタンチノープル攻防戦の際、枢機卿イシドロスが守備した場所という。イシドロスと言えば、スルタンの侵略に対して、カトリックとギリシャ正教の東西教会統一を模索した人物。どのような思いで戦いの臨んだのだろうか。そして捕虜となり、命永らえたと伝えられるが、どのような思いだったのだろうか。




この戦いではモハメッド2世はまるで織田信長のように見える。ハンガリー人ウルバンの大砲を採用し、城壁を破壊する様子は日本でいえば信長の鉄砲。現在私の前に広がる崩れた城壁も大砲で破壊されたのだろうか。




隙間から城壁に上る。周囲が良く見える。夕陽が眩しい。ゴミ拾いのオジサンたちの基地があり、裕福とは思えない子供達の格好の遊び場となっている。ここには時代を超えた空間が存在している。500年以上前の戦闘後、何も変わっていないのかもしれない。例え周囲がきれいな公園になろうとも。




夕方の涼しい風が吹き抜けて行った。帰りの路面電車からモスクが見えた。ブルー・モスクに寄ろうかと思ったが、既にその気力は無かった。


 

(3月6日) DBの交通

香港でスカバリーベイ(DB)に拠点を移してから既に1か月半。だが半分はDBに居なかった。昨日もシンガポールから帰って来たが、明日はまたバンコックへ。どうしてこんな生活になってしまったのだろうか。暇が売り物だったのに。

昨年はラマ島に滞在した。ラマ島は自然が豊かで、ゆったりとした落ち着いた島だった。DBはきれいで、緑は豊かだがだけれどもどこか人工的。ただラマ島には車が全く走っていなかったので、全て徒歩で過ごしたが、DBはバスが走っており、実に便利。夜フェリーで島へ戻ると、バスが待っている。この環境に慣れてしまうと、もう戻れない。

特に便利なのが、空港へ行く時。宿泊先のマンションから歩いて1分の所にバス停があり、そこから30分で空港へ行ってしまう。乗っているのは、空港利用者とキャセイの職員。これだけ便利だと航空会社の人が多く住むのも分かる。バスは30分に一本。夜中でも直通はないようだが、DBに帰ることができる。同じ島(ランタオ島)というのは如何に便利か。ラマ島なら、フェリーでセントラルへ出て、そこからエアポートエクスプレス。夜中は島へ帰れない。料金も100ドル以上掛かるが、DBバスは32ドル。




でもフェリー代は高い。同じ30分でセントラルへ行けるのに、ラマ島16ドル、長洲島24ドルに比べて、33ドルは明らかに高い。島内のバス4ドルを足すと37ドルにもなる。毎回だとかなり高い交通費となる。




ただラマ島や長洲島のように、交通手段がフェリーしかない状況と異なり、バスで市街地へ行くこともできる。マンションの前からサニーベイまでバスで15分。そこはディズニーランドへ行く線が走る。そこから尖沙咀まで1回乗り換えてMTRで30分は掛からない。シンセンに行くのも、一度乗り換えで1時間はかからない。交通に関しては、満足しているDB生活である。







因みにDBで自家用車として、ゴルフカートが走っている。老人でもこのカートで移動できる。また使ったことはないが、乗り合いタクシーのようなバンも走っている。ある程度の所得層が住むDBにはそれなりのバリエーションがあるが、如何にも香港らしい。


 

10月1日(月)  ボスポラズクルーズ

朝、散歩に出た。昨日はかなり疲れが溜まっており、今日は一日休日にしようと思っていたが、起きてみると体調が良いので出掛けた。トプカプ宮殿の横の道を海の方へ下り、海沿いを歩いて見る。何となくスルタンアフメット2世のコンスタンチノープル攻略の地を歩いて見たかった。この付近は最後まで破ることが出来なかった場所。相当高い城壁と迫る海、天然の要塞だ。ここを今は電車が通っている。







20分ほど歩くと、フェリーターミナルへ出た。本当に偶然にボスポラズクルーズに乗らないかと声を掛けられた。ふらふらと乗り込む。そして気が付く。このクルーズは片道1時間以上かけて、アナドルカヴァウまで行き、そこで3時間休息し、戻ってくることを。しかし既に船は出てしまった。




ガラタ橋を横に見る。いい天気だ、本当に。風も爽やか、気持ちが良い。大きな客船が停泊している。流石国際港、イスタンブール。スルタンの居城、ドルマバフチェ宮殿。立派だ。アタチュルクはここで亡くなったようだ。オルタキョイ・ジャミイ、白いモスクは海に映えている。第一ボスポラス大橋も潜った。大きい。










そしてとうとうルメリ・ヒサリを見た。ヨーロッパ側の城、対岸にはアジアの城もある。 アナドル・ヒサリ。1452年3月マホメッド2世自らが指揮して建造。3班に分けお互いを競わせ、4か月で完成させた。全長250m、高さ15mの城壁、70mの塔が3つ。大砲で両岸から威嚇した。この城塞がコンスタンチノープルの運命を決定した。私は何故かこの風景だけが見たくて、この船に乗ったのだ。血が騒いだのは何故だろうか。







12時過ぎにアナドルカヴァウに到着した。折り返しの船は午後3時発。皆真っ直ぐに歩き始める。私は後をついて行く。ひたすら坂を上り、そしてレストラン街を抜けると頂上に到達する。そして遠くは黒海まで見える丘の上の立ち、遥かなる時を思う。僅かな城壁を残すのみだが、それはそれで風情がある。







船の乗客は思い思いのレストランに入り、ランチを取る。眺めの良い上のレストランで一人で食べるのは何故か憚られ、下に降りて、魚やイカを食べる。勿論ここは海鮮が売り物だが、観光客向けの食事というのはどこもそれほど美味しくはない。残りの時間を付近の散策にあて、時間を潰す。帰りは来た道を帰るだけで面白味はあまりない。


 

7. イスタンブール2  チャイナタウンの無い街

イスタンブールの空港は2回目で慣れたので、電車に乗って市内へ出る。初めは地下を走るが直ぐに地上に出る。今日もいい天気だ、イスタンブールは。途中で路面電車に乗り換え。ここも意外とスムーズ。







陽が西に傾く中、昔の城壁跡が見える。かなりの規模だ。電車を降りて見に行きたい衝動に駆られたが、荷物もあり、断念。そして懐かしいスルタンアフメットに戻ってきた。今回はこの前泊まったホテルの2倍の宿泊代を払い、部屋を取った。だが、それでも部屋は広いとは言えず、イスタンブールの物価の高さを実感した。




部屋に居ても仕方がないので、外へ出た。どうしても気になることがあった。この国際都市、イスタンブールで中国料理屋を1つも見たことが無かった。チャイナタウンはない、と初日に言われたが、まさかレストランが1つもないことはあるまい、きっとどこかにあり、少なくとも中国人観光客は食べているはずだ、と思った。

そして観光地区をくまなく歩いたが、発見したのは、たった1軒だけだった。トルコ人店員に聞けば、オーナーは中国人だというが、不在で会えなかった。中国人の存在が薄い街、それもありかもしれない。豚肉の調達も難しく、中国人向きではない。




因みに翌日街の旅行会社で「中国語で来ます」という張り紙を見て飛び込んでみた。香港等に滞在したというトルコ人が普通話を話していたが、二言目には「絨毯、買ったか?」と聞いてきたのを見ても、中国人は単なるいいお客さんなのだな、と感じた。

 

9月30日(日)   トラブゾン空港

翌日は午後の便でイスタンブールへ戻ることになっていた。疲れも出ていたので、休息を前提に街をぶらつく。トルコの街の良いところはどんなところでも街頭にテーブルがでており、誰かがチャイを飲んでいること。私もつられて腰を下ろし、チャイを頼む。この雰囲気は実によい。チャイを飲んでいると皆が笑顔で話し掛けてくる。




空港へはタクシーで行けるが、敢えてミニバスに乗ってみる。ホテルからほど近い広場の裏道にバス乗り場があった。特に空港行きのバスは無く、昨日行ったリゼの方面へ向かうバスに乗り込む。トラブゾンも土地が狭いため、黒海沿いに住居が広がっている。




昨日空港までアイファンさんを送っており、空港の風景も分かっているので、安心して乗っていたが、乗客はどんどん降りていき、なかなか辿り着かないので、ちょっと不安になった頃、ようやく海沿いの空港が見えた。バスは道路沿いに停まり、後は歩いて道を渡り、空港へ入る。空港の端から端まで歩くと結構な広さであることが分かる。この地で飛行機に乗る人々は殆どが車で来るのだろう。




ターミナルは新しく、きれいで広々しているが乗客の姿は殆どない。バスの時間が読めない為相当早く出て来たので、時間が余る。ラウンジに入れてもらうが、誰一人おらず、スタッフもまだ営業前といったムード。国内線のラウンジであり、パンやお菓子程度しかないが、それで昼ごはんとする。




何とこのラウンジに人が集まり始めたのは、出発時刻の30分前。普通ならラウンジに寄らず搭乗口へ行く時間だが。出発時刻の20分前になると突然、滑走路に面したドアを開け、乗客が歩き出した。ラウンジから直接飛行機に向かうシステムだった。タラップを上り機内へ。トルコでも最近いくつかのLCCが出来ているようで、色々な飛行機が駐機しているのが面白い。







機内での1時間ちょっとはあっという間だった。何しろこれまでのバスの旅は5-11時間、飛行機が如何に速いかを実感したが、同時に味気なさも残った。私はトルコのバスの旅に何故か強く魅了されていた。


 

9月29日(土)  スメラ修道院

翌朝はKさんが是非行った方が良いと言って、わざわざツアーを予約してくれたスメラ修道院へ行く。トラブゾンには観光地が殆どなく、皆必ず行く場所と言われたが、一体どんなところだろうか。

10時前に指定された旅行社前に行って見たが、バスは見当たらない。数人外国人がいたので、同様に待っていると、時間ちょうどにミニバスがやって来て、観光客を収容する。半数は欧米系、後は中東系とアジア系、アジア系と言っても何人か分からない。日本人ぽい人は一人乗っているだけ。料金はスメラ往復で20リラ。これはKさんの予約で5リラの割引があったらしい。感謝。




バスはマチカという街を通り過ぎ、かなり深い山に入る。急な上り坂をグルグルと上り、トラブゾンから小1時間ほどで修道院が見えた。このスメラ修道院、断崖絶壁にはへばり付く建物、という表現が妥当なほど、切り立った山の斜面に建っている。一体誰が何のためにこんな建物を建てたのだろうか。高所恐怖症の私には信じられない。




1時間の自由行動で、各自思い思い、坂を上り、修道院へのアプローチを開始する。観光客、特に女性が多いので、写真を撮りながらゆるゆると歩いて行く。15分ほど歩くと、修道院の前に到着。だがここからさらに厳しい階段を登らなければならない。4世紀の建てられたとも言われるこの建物、作業には途方もない時間が掛かっただろう。











中はいくつもの洞窟があるが、今は殆ど開放されていない。カッパドキアと同じような宗教壁画が描かれており、その後の破壊の爪痕を見ることができる。修行の場として作られたという修道院だが、こんな山の中に敢えて作る必要があったのか、やはりこれは迫害を逃れた人々がいたということだろうか。どうも歴史はよく分かっていないらしい。非常に興味深いのだが。







建物を一通り見学すると、後は待ち合わせ場所である下の駐車場まで降りていく。この下りの道は本当に林に囲まれ、静寂の中を歩く。目を瞑って木々の声を聴こうとしても何も反応しない。それ程に深い山の道である。まさに思い思いに降りていく。時折写真を撮ってくれと依頼すされるほかは、一人の空間に浸る。




駐車場に降りつくと軽い疲労を覚える。小川のせせらぎの中、木の椅子に腰掛ける。向こうの男性がIpadを触っており、日本人だと分かり声を掛ける。彼は1年半ほど、バックパッカー生活を送っており、アジアのみならず広範囲に旅を続けている。会社を辞め、また社会の戻るための道を探しているのだろうか。彼からスリランカの情報を得たが、これはのちに役に立った。生の情報は非常に貴重であり、また重要だ。




帰りが元来た道を淡々と戻る。午後2時ごろトラブゾンに着いたが、空腹感もなく、そのままホテルに帰って昼寝する。夜はベッドから這い出し、昨日の食堂で別の魚を食べ、満足する。既にトルコに入って10日、疲れが出て来ていた。




 

6. トラブゾン2  夕飯

トラブゾンの街に帰って来た。今日は本当に充実した茶旅が出来た一日であり、満足した。これも全てご縁であり、Kさんのお蔭であった。Kさんはトルコに来てわずか11か月だというが、既に相当のトルコ語を話しており、驚く。「周囲に日本人が一人もいない環境がそうさせた」とのことだが、それにしても凄い。

ホテル近くにKさん行きつけの店がある。地元の人が行く小さな店だが、そういう所が美味い。夕方5時過ぎだというのに客が続々と入ってくる。入り口には生の魚が並べられ、客は魚と野菜を選ぶようになっているが、常連が多いようで、一声かけて席に着く。




Kさんが「ここには美味いスープがあるが、すぐに売り切れる」というので注文すると幸いあった。レモンを絞り、香菜に似た物を入れるせいか、非常にさっぱりした味で、飲み易く、そして何故か後に惹く。魚ベースだったろうか。実は後日もう一度このスープが飲みたくてやって来たが、その時は6時前でも売り切れていた。




魚は豪快に焼かれ、どーんと出てくる。ここトラブゾンが元々漁港であり、魚を食べることに慣れていることが分かる。塩味で新鮮な魚を焼いただけ、と言えるが、その鮮度からしても美味である。玉ねぎとししとうを混ぜて食べると良い。食べ放題のパンを入れると直ぐに腹が一杯になる。




食後は街を散策。夕暮れ時、多くの人々が歩いている。きれいなお店も増えているようだ。一軒のカフェに入り、トルココーヒーを頼んでみた。ドロッとしており、かなり濃い味で、決して飲み易いとは言えない。それでも若者などはコーヒーを飲んでいる者もいる。一つのファッションだろうか。




Kさんと私、年齢も現在の境遇も違うが、お互いに日本から飛び出した人間として、様々な話で盛り上がる。それにしてもKさん、定年退職後、未知の国トルコへやって来ただけでもすごいが、そこでその生活をエンジョイしていることが羨ましい。一つの理想的な形ではないだろうか。


 

茶工場と博物館

午後はアイファンさんの案内で、茶工場見学に向かう。トルコの茶業者は、国営のチャイクル1社でほぼ市場を独占している。最近民間企業も出てきたようだが、それでも85%以上のシェア握る。茶業試験場も国営なら、チャイクルも国営。アイファンさんの名刺にもチャイクルの文字が見える。実質的に一体なのだ。リゼの街には当然のようにチャイクルの工場がいくつもある。先ずは海沿いの最新鋭のきれいな工場に行って見た。だが、現在製茶は行われていないということで、何も見ずにあっさりと立ち去る。何だかもったいないが仕方がない。


 

次の工場は結構年季が入っていたが、工場は稼働していた。最初に工場の責任者を訪ね、挨拶する。するとやはりお茶が出てきた。そのお茶は例のセンチャ。日本人にはセンチャだろうと気を利かしてくれたのだ。だが、このセンチャには砂糖は入っていなかったが、ミントが交ぜられていた。「どうだ、味は」と聞かれたが、正直、うーん、という感じだ。「トルコ人は砂糖を入れない茶は飲まないが、ミントを入れれば飲むのではないかと期待している」とは責任者の弁だが、どうだろうか。


 

工場の責任者は広い個室に陣取り、如何にも街の名士といった雰囲気で貫録がある。リゼの街でチャイクルの工場長と言えば、相当の地位だろう。いや、全トルコでもかなりのステイタスかもしれない。ただ、その時代がかった対応は、トルコの茶業の前途を少し暗示しているようにも見えた。

 

工場に案内された。どこにでもある紅茶工場、ほぼ機械化され、人手はそれほどかかっていない。トルコのチャイは、細かく砕いて飲む。それ程厳しい基準で製茶しているようには見えなかった。一方センチャは日本から持って来た蒸機なども使い、力を入れて作っているように見えた。より美味しいお茶が出来、トルコの人がそれを飲むこと期待するばかりである。


 

一端試験場に戻り、また庭でチャイを飲む。兎に角一日中、チャイを飲んでいる。隣では格好いいお姐さん達がタバコをふかしながら携帯をいじり、チャイを飲む。今のトルコの一般的な風景だ。


 

街の中心部にある博物館へも行った。ここはチャイクルの博物館であるが、国の博物館と言ってもいい。初期の製茶機械など様々な物が展示されていたが、残念ながらトルコ茶の歴史についてはそれ程展示は無かった。もし一人でやって来て、ここへ来ても何も分からなかったと改めて思う。茶縁に感謝するばかりだ。





 

アイファンさんが時計を気にした。実は彼はこれからイスタンブールへ出張する。そんな最中に我々と一日付き合ってくれた。感謝してもしきれない。彼をトラブゾンの空港まで送り、我々も帰路に着いた。

 

«前 || 1 | 2 | 3 |...| 36 | 37 | 38 |...| 105 | 106 | 107 || 後»