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2. カッパドキア   9月23日(日)  夜行バスで行くカッパドキア

それからバスはほぼ3時間ごとに規則的に停まった。これは運転手の休息とトイレ休憩だろう。トルコの道路は素晴らしく、あまり揺れることもなく、寝るのには十分。そしてサービスエリアもきれいで充実。





 

降りると1リラの有料トイレに入り、そして1リラのチャイを飲む。何だかマッチポンプ??カフェテリアで食事を取る人も多く、夜中といった感じはない。眠気も徐々に冷め、バスの旅が楽しくなってきた。相変わらずバス内では殆どの人は寝ている。私は何を考えるでもなく、何をするでもなく、ただ薄らとした闇を見つめていた。




このバスには外国人も数人乗っていた。欧米人が4-5人、そして日本語を話す人が3人。一人の若者が私に近づいてきた。一緒にチャイを飲んだ。彼はヨーロッパからアジアを旅するバックパッカー。車掌のニーちゃんともすぐに仲良くなり、楽しそうに旅行していた。私は車掌に『何時に着くのか』と何度か聞いたが、要領を得ず、ちょっと愉快でなかった。ただ明け方、ドライブインで停まっているバスの後ろでタバコを吸う彼と遭遇し、話をするとにっこりしていた。ようは言葉が上手く使えなかっただけなのだ。日本人の若者が眩しく見えた。




明るくなると、道路脇に湖が見えた。朝日も眩しい。午前8時に到着予定のバスは当然のように遅れた。実は私は今日と明日、朝からカッパドキアツアーに参加予定だったが、間に合わない。仕方なく、朝8時の段階で旅行会社の人に電話でその旨を告げた。この人、友人の友人に紹介されたのだが、日本人女性である。




香港にいる時に某大学の先生から『カッパドキアには日本人女性が100人以上トルコ人と結婚して住んでいる』と聞いたことがある。そんなはずがない、何故、咄嗟の反応はそんなものだったが、実際にそうした人々が現れ、実際にトルコの地を踏むと満更変でもないと思えるから不思議だ。




9時前にようやくバスターミナルへ到着。皆降ろされ、ドルムシュというミニバスに乗った。私はユルギュップという場所へ行くミニバスへ乗ったが、旅行社から電話があり、途中のカッパドキアインというホテルで降りた。周囲は荒涼とした大地だが、空は実に青かった。






 

夜 恐怖のバスターミナル

そしてシルケジ駅から電車に乗ってみる。たった一駅、トプカプ宮殿の脇を通り、マルマラ海へ出た所で降りる。完全なローカル線だが、この時間は20分に一本走っていたから、通勤線だろうか。海岸を散歩。夕陽が眩しい。




ホテルに戻り、ネットを使う。ホテルのオジサンとは初日に喧嘩したが、その後は色々と親切にしてくれ、最後は『また来いよ』と言われて、抱き合って別れる。何だか結局いい人ばかりだ。




重い荷物を引き摺り、歩き慣れた道を港へ。ハレムカラジュ行きのフェリーは30分に一本だが、9時前に終わるとの話もあり、少し早いが8時半に乗る。夜の海もまた良いものだ。乗客は少ない。

埠頭に着き、バスターミナルへ向かう。Metroという名前のバス会社、相変わらずよく分からないがまだ早いので待つ。9時半集合だったが、9時過ぎにはバスに乗れと言われ、ミニバスで郊外へ。アジア側郊外は初めてだが、マンションが立ち並び、ネオンも見える。




郊外の大型バスターミナルは乗客でごった返していた。電光掲示などは一切なく、ひたすら来るバスの番号と行先を確認しなければならいが、人が多くて、荷物もあるため、大変な作業となる。そして周囲の人は男も女もやたらとタバコを吸う。イライラしているのは分かるけど、健康に悪そう。煙でこちらもイライラ。





10時15分の出発時間になったが、バスは来なかった。これには慌てた。どうしてよいか分からない。ターミナル内にInformationと書かれた場所があったので、チケットを見せて聞いてみるが、英語が出来ない。トルコ語で言われても意味が分からない。ようやく英語が出来る人を探し当てても、待て、の一言。バスはひっきりなしに来るので、番号チェックで心の休まる暇はなく、人はどんどん膨れ上がるので、極度の疲労が襲う。


   

チャイを飲ませるカフェがあったので、バスを気にしながら飲む。しかしチャイを飲めばトイレが気になる。バスにトイレが無い場合、困ったことになるのは明白。一体どうなるのだろう。このままバスが来なかったら?いろいろ考えたが、11時を過ぎると全てが面倒になり、どうにでもなれ、死にはしないだろう、ぐらいの気分になる。すると急に楽になる。人間は本当に不思議なものだ。





バスがやって来たのは何と12時過ぎだった。2時間遅れ、と言ってもこの深夜。ほとほと疲れた。バスに乗り込むと満員だが、座席は比較的広く、快適。早々に寝ようとすると、イケメンの車掌が何とアイスを配りだす。何というサービス。先ずは頂き、チャイも飲む、幸せな気分で寝る。


 

ペラパレス

タクシムまで地下鉄で戻り、又歩き出す。トラム通りを避け、一本裏道へ。そこには何故か日本食屋さんがあった。値段は結構高いようだ。それにしても文花とは何だ?細い道を歩いて行くと『ピラフ』の文字が見えた。あのピラフだ。







かなり歩いたな、と思った頃、おしゃれな建物が目に着き始める。そしてそのハイライトがペラパレス。先日探したが見付からなかった、アガサクリスティも宿泊したという由緒正しいホテル。だが、意外にきれい。2年ほど前に全面改装したらしい。




入ったものかと躊躇っていると、ドアマンから『ウエルカム トゥ ペラパレス』と迎え入れられる。中は想像通りの重厚な印象。古いエレベーターに歴史が感じられる。このホテルはオリエント急行を降りた欧米人乗客がシルケジ駅から籠で運ばれてきたとの話がある。




地下へ降りるとアガサという名前のレストランがある。『オリエント急行の殺人』を着想したと言われるアガサルームというのもあるらしいが、アガサに関する出来事をくどくど説明するものはなかった。それが一流ホテルというものだろう。アガサ以外にもピエール・ロティ、グレタ・ガルボ、ヘミングウェイといった、歴代様々な有名人が宿泊、セレブの憧れのホテルとして人気があるようだ。




今度は重厚な階段を渡り、2階へ。白を基調とした落ち着いた廊下。一度は泊まってみたい雰囲気を漂わせる。ガイドブックによれば1泊、200ドル以上はするらしい。いつか泊まってみよう。

結局そのままガラタ橋まで歩いてしまう。結構疲れたので、夕陽を見ながら、橋の袂のレストランで休む。夕陽がかなり強くて、暑さを感じた。そしてやはり、腹ごしらえは今日もサバサンドになってしまう。完全に気に入ってしまった。


 

最新ショッピングモール

タクシム広場に辿り着き、地下鉄に乗る。最新ショッピングモールへ行って見た。イスタンブールは本当に広い街なのだと実感するほど、そこは遠かった。地下鉄は結構地下深くに作られており、ホームまでが遠かった。




2007年に開業したイスティニエ・パークはITU駅から歩いて10分ほど。近くには大学のキャンパスが広がり、郊外の巨大モールという印象。シェラトンホテルが見える。アラブの富豪はこういった高級ホテルに泊まって、買い物するのだろうか。現在建設中の高い建物が目を惹く。




イスティニエ・パークに入ると、まず目を見張るのは、高級ブランドが並ぶブティック街。フェラーリやポルシェといった高級車が目立ち、運転席から颯爽と降りてくる30代のトルコ人。これぞイケメン実業家、格好良いタイトな服を巧みに着こなし、ヤングエグゼクティブの風格。平均年齢29歳のトルコではこのような一部の青年実業家が国の経済を引っ張っていると思われる。




モールの中もかなり広い。高級車の展示もあり、4層ほどの各階には、ブランドショップが並ぶ。地下には家電売り場があり、Sonyセンターはあったが閑散としていた。一方サムソンは好調のように見えた。家電量販店で日本製品を探したが、冷蔵庫などは見当たらない。PCでもサムソンが多く、その横に東芝がちらり。ここでも韓国勢の優勢であった。







地下鉄でレバント4駅まで戻ると、駅に直結した高層ビルが。サフィール、トルコ一の236mの高さがあり、下はショッピングモール、上はオフィスと住居。展望台へ上ればイスタンブールが一望できるらしいが、高所恐怖症の私はパス。




レバント駅まで15分ぐらい歩く。途中に日本領事館の入っているビルがあり、駅の直前にはまたまたショッピングモール、ケニオンが。ここは建物のデザインが目を惹く。全てのショッピングモールはテロ対策で荷物検査は厳しい。このモールにも有名店がかなり入っている。お客も沢山歩いており、日本とは違っている。旺盛な消費が感じられた。ここで日本の無印良品のアンテナショップを発見したが、全体的に言えば、日本企業の存在感は全くなかった。これでよいのだろうか。


 

ガラタ

ガラタ橋を歩いて渡る。いい天気だ。釣り人も多い。観光客も多い。歩いている人の顔も様々だ。国際都市、という雰囲気を漂わせる。遠くにガラタ塔が見える。新区の方へ進んで行く。




先程のシルケジ駅でどうしてもオリエント急行が頭から離れない。Tさんから『この近くにアガサクリスティが泊まって小説を書いた』というホテルがあると聞いたのを思い出し、探す。だが、何とホテルの名前を聞いていなかった。勿論住所も通りの名前も。結構歩き回ったが、結局何処だからわからなかった。

しかし歩いていると、下町のような小さな工場街があったり、歴史的な建造物に立派な銀行が入っていたりする。この辺り、特に目玉はないが、見ていて飽きない場所だ。こんないい加減な散歩は楽しい。




観光客が吸い込まれていくビルがあった。入ってみると、そこはトンネル登山鉄道?トゥネル。開通して130年以上経つというから歴史的だ。たった一駅だが、ガラタ塔まで上がれるとのことで乗ってみる。一駅でも3リラ。この料金設定、便利だが何となく・・・。完全な地下鉄で走行時間僅か3分。あっと言う間に上に到着。




ガラタ地区はオスマントルコ来襲まで200年に渡るジェノバの居住区であり、貿易拠点だった。その中心にガラタ塔が置かれている。塔は駅から300mほど下った所にあった。1455という数字が見える。建造年だろう。




この付近は坂がいい。坂の両脇に店が並んでいる。上にはトラムが走っており、それに沿って繁華街が続く。スタバなどもあり、ここは新しい街の雰囲気がある。道沿いでデモをしている一団に出会う。何に抗議しているのか分からないが、色々と問題があるのだろう。





 

オリエント急行の終着駅

昨日同様歩いて海峡付近へ。駅があった。気になっていたので今日は行って見る。シルケジ駅、1890年に駅舎が完成したあのオリエント急行のトルコの終着点であった。なかなか雰囲気のある建物。




オリエントエキスプレスという食堂がある。こんな所で食事をすると気分が出そうだ。飾り窓のある待合室もある。相当に暗い中、光が窓から差し込む。いい雰囲気がある。最近オープンしたという博物館には鉄道関連の展示物がある。







あのアガサクリスティが『オリエント急行の殺人』を発表したのは1934年。アガサは夫の仕事に同行して何度もオリエント急行に乗ったというが、やはりここに到着したのだろうか。ヨーロッパ人のオリエントへの思い、憧れが詰まっている街、それがコンスタンチノープなのだろう。




周囲には沢山の人が、低い椅子に座り、チャイを飲んでいた。この仲間に入りたかったが、何となく入りかねた。そこには常連だけが許される何かがあるような気がした。駅舎の外壁工事も進んでいる。




駅に新しい電車が入って来た。今はイスタンブール付近を走るだけのローカル列車。今でもブカレストやベオグラードへ行く国際列車も運行しているようだが、とてもそんな感じはしない。静かなローカル駅である。

 

9月22日(土)   気持ちの良い屋上で朝飯

翌朝はいい天気だった。こんないい天気に1階の暗いロビーで朝食というのも何だなと思っていると、このホテルには屋上があることが分かり、パンとサラダを持って狭い階段を上がる。




ビルが小さいので屋上も狭い。だが、ここからもマルマラ海が一望でき、素晴らしい景色が広がっていた。昨日の雨でテーブルとイスは少し濡れていたが、気にならない、それくらいいい気分になってしまった。




この環境で食べる朝飯、美味い。昨日と全く同じメニューなのに、何故か味が全然違う。人間は一体何を食べて味覚を感じるのだろうか。食物だけではなく、空気も一緒に口に運ばれ、更には視覚でも食べていることが良く分かる。




良い空気を吸って気分爽快になったが、旅はそうそう良いことばかりではない。当初はドミトリーを一人で占拠していたが、昨日部屋を替わると、物凄く狭い所となった。ドアを開けるとベッドとぶつかる、シャワーとトイレはほぼ一体。これがイスタンブールの格安ホテル事情だ。

それでも小さな窓の向こう、隣の屋根に泊まる鳥、何だか小さく救われる。早々に部屋をチェックアウトして、街へ出た。


 

サバサンド

ヨーロッパ側に戻ったが、どうしてもサバサンドが食べたくなる。またガラタ橋まで歩いて行く。橋の向こう側にはサバサンド専用の小舟が三艘停まっており、大勢のお客で賑わっていた。







1つ5リラでサバサンドを買う。周囲にも香ばしいサバの焼けるにおいがする。焼サバをパンに挟むだけ、後は玉ねぎとレタスが入るぐらいの簡単な食べ物がどうしてここまで美味しいのか。近くの丸テーブルに腰掛けると、若者がやって来て、あっちへ行け、という。どうやら3軒の店に縄張りがあるらしい。どこが美味いのか比べてみたい。





ようやく買った店の丸テーブルに座り、食べ始めると、向かいで食べていたオジサンが黙ってピクルスを差し出す。有難く頂く。何て親切なんだ。これがトルコ人か。このピクルスの酸っぱさがまたサバに合う。良く出来ている。更にはテーブルの上に2つのボトルが。1つはドレッシングだが、もう1つは塩。トルコ人は塩好きだと聞いたが、確かに盛んに塩を振る人々がいた。我々には十分塩気のあるサバサンドに更に塩を振る、健康に悪そうだ。







それから歩いて、イスラムのマーケットへ行く。ここにお茶屋があると聞いたので行ってみたが、言葉が通じない。リゼのお茶、チャイクルのお茶が置かれていたが、それ以上は分からなかった、残念。



   

 

トルコ名物延びるアイスクリームにも挑戦したが、味はそれほど良いとは言えない。何だか5リラも取られて、損した感じだ。それならサバサンドをもう一つ食べた方が良かった。


 

ハレムカラジュ

アヤソフィアから海へ向かって歩いて行く。昨日使ったトラムに沿って歩くと迷わない。途中で携帯のシムカードに料金を追加。携帯屋に入ったが、ネットカフェに連れて行かれ、無事入金。面白いし、皆親切だ。




ヨーロッパ側の港へ到着。ここからアジア側へ渡る。ハレムカラジュが目的地だ。何故ハレムカラジュか、それは「深夜特急」で沢木耕太郎がこのフェリーに乗ったから。そして美味そうにサバサンドを食べていたからだ。フェリー代は3リラ。




結構大きな船。車も運ぶようだ。2階へ上がり、キョロキョロすると、売店があったが、残念ながらサバサンドは売っていない。仕方なくパンとチャイを注文。潮風に吹かれながら気分を出そうとしたが、ちょっと違ったかな。




対岸まで15分程度だが、ボスポラス海峡の雄大な景色、きれいな風景が見られて満足。これでようやくアジアが少しは味わえるかと思ったが、うーん。対岸、アジア側もアジアとは名ばかりで、やはりヨーロッパの雰囲気。ターミナルから高台へ上がってみたが、石畳の街並みはヨーロッパ。そして何故か、アコーディオン弾きが登場し、誰もいない住宅街で悲しい音色を響かせる。







ターミナルへ戻り、バスのチケット売り場を覗く。当然ここからバスに乗ってみたくなる。沢木はアンカラからここへバスで辿り着いたのだ。バス会社は沢山あったが、「カッパドキ」行きを見付けるのに苦労した。チケットは65リラ。明日夜9時にここに来い、ここから別のバスターミナルへ行き10時過ぎに出発、翌朝8時カッパドキア着だ、と乱暴にわれるが、言葉があまり通じないので取り敢えず押されて買う。後にホテルで聞くと、ホテルで買えばホテルまで迎えに来てくれたのに、と残念そうに言うが仕方がない。




そして特にすることも無くなり、ハレムカラジュを離れる。元来たフェリーで戻る。何となく寂しいアジア散歩となる。


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