夜のバスターミナルと黒海の朝焼け
ホテルに戻り、ロビーでネットを使う。このホテルも親切で、ゆったりと席に着き、作業に没頭できた。そしてバスターミナルへ向かう。先ずは地下鉄ウルス駅の付近のバス停でターミナル行きのバスを探すが、なかなか見付からない。するとちょうど走り出したバスに乗れ、という声がしたので、慌てて乗り込む。本当にこれでよいのだろうか。
街は暮れなずんでいく。帰宅時間なのか、人がどんどん乗って来て身動きが出来なくなる。バス料金も乗客の手渡しで支払う。昨日行ったバスターミナルだから分かるだろう、と思っていたが、何だか不安になる。そしてとうとう暗くなる。益々どこが何処だか分からない。だが聞くすべもない。ちょうどバスが停まり、少し大きな荷物を持った人が「ここでいいのか」と聞きながら降りていった。ここに違いない、と咄嗟の判断でバスを降りる。向こうの方に大きな建物が見えた。やはりここで降りて正解だった。てっきりバスターミナルに入って停まると思っていたので、危なかった。
ターミナルは広いが、時間を潰すところが無い。レストランでWifiが繋がるか聞くと、どこもないという。階上にネットカフェがあると聞き、上がって行ったが、何故か今は繋がっていないとの答え。諦めてじっと待つ。
8時半発のバスだが、8時を過ぎても現れない。イスタンブールの悪夢が蘇ったが、ここは始発。少し気分が楽だった。直前になりバスが入線。2階建てだ。乗客は定員の半分ぐらい。ゆったりとスタートした。そしてまた規則正しく3時間ごとにサービスエリアで休息。私も慣れて来たので、スープとパンで夕食を取るなど余裕が出てきた。チャイは欠かさずに飲んだ。
バスはアンカラから一路黒海を目指して進んだ。そして3回目の休憩の後、サムソンのバスターミナルだろうか、そこから海岸線に出た。バスの窓から見事な朝焼けが見えた。あー、これを見るために私はこのバスに乗ったんだな、と直感した。
アンカラ城
ホテルに戻らず、午前中に行けなかったアンカラ城へ向かう。しかし正面から入ろうとしたら、何と工事中。土煙がもうもうと上がっていた。少し横を登って行くと、博物館があり、見学する。ここには石器時代の土偶や鉄器時代のカップなどが展示されていて、トルコの歴史が面白く見られる。特に土偶は日本でも見られるような形をしており、何らかの繋がりが感じられる。
博物館を出てさらに上ると、城へ入る入り口がある。一つの小さな街へ入る感覚だ。中には今も住民がおり、普通の生活を送っている。子供達は跳ねまわり、城の上ではサッカーに興じていた。
小高い丘の上に築かれた城。今も外壁が残り、アンカラの街を見下ろしている。夕陽がきれいな場所だろう。眼下にはきれいなマンションが出来始めており、ここトルコの発展が見て取れる。歴史が発展へと動き出した感じだ。
上って来た道と反対側を下る。カフェがあったのでチャイを飲む。ここの道が観光客が来る場所だと分かる。チャイはどこで飲んでも美味しい。そして何とおしゃれなカフェでも1リラ(40円)は嬉しい。他の物を飲む気には全く慣れない。歩き疲れた体を休めるには砂糖を入れるとちょうど良い。やはりトルコのチャイには砂糖、なのだろう。
チャンカヤ散歩
午後バンコックのAさんより紹介されたSさんを訪ねた。場所は宿泊先のウルスからは大分南に下った官庁街。地図で見ると近そうに見えたので、先ずは日本大使館を目指すことにした。しかもタクシーで行ったのでは面白くないので、ホテルのフロントにトルコ語で「チャンカヤ 日本大使館」と書いてもらい、その紙切れ一枚を持って出る。何とも無謀な話だ。
ホテル近くのバス停からチャンカヤ地区へ行くバスが出ていると聞き、行って見ると、ちょうどバスが来た。「チャンカヤ」と叫んで乗り込もうとすると運転手さんが何か言っているが分からない。向こうも言葉が通じないと分かると、「乗れ」と合図。取り敢えず乗り込むと、何と100m先のバス停まで送ってくれた。勿論無料。そして「XX番のバスに乗れ」と言って去る。すごい。
次に乗ったバスでは、料金が払えない。全てがカード式のシステム。車掌のおばさんから何とかカードを買って払う。だが、おばさんが「どこへ行くんだ」と聞くので、紙を見せると、大騒ぎに。「誰か日本大使館の場所知ってるか?」と聞いてくれる。すると一人の男性が英語で、「乗り換えた方が良い」と言い、一緒にバスを降りた。そしてバスを乗り換えるとまた料金が払えない。今度の運転手は顔を横に振るばかり。すると前に座っていた男性が私のお金を受け取り、自分のカードで払ってくれた。
そしてこのバスで近くまで行こうとしたが、隣の男性が「このバスは違う」と言い出し、一緒に降りるように言われる。従って降りたのだが、どうやら彼の勘違いだったようで、それから延々と、登り坂を歩いて登る羽目に。それでも皆の親切でどうにか大使館に辿り着いた。
だが私の目的地は大使館の近く。ところが地図では近くても、この目的地は相当に遠かった。歩いていると、私が降りたバスが横を通って行く。あー。でもいい運動になったし、アンカラの山の手の雰囲気を存分に味わった。首都とはいえ、イスタンブールに比べればアンカラは小さな都市だった。帰りはバス一本でホテル近くに帰り着いた。
9月26日(水) アンカラ ウルス散歩
翌朝ホテルで朝食を食べた。トルコではどこのホテルでも食事の内容は同じで面白味はない。外へ出ると、朝から皆チャイを飲んでいる。近くを散歩するとハトが沢山いる広場に出た。実にのどかな朝だった。
ある横道に入ると、「セイロンティ」の文字が見えた。トルコのチャイは殆どが国産だが、何故ここでセイロンティを売っているのだろうか。興味本位で長屋風の店を覗くと、おじさんも笑顔で迎える。トルコでは英語があまり通じないと感じていたが、そのおじさんは英語が流暢。
何故セイロンティを売っているのか、驚いたことにここはクルド人居住区だった。クルド人と言えば、イラク北部など広く中東に居住し、国家を持たない最大の民族などと呼ばれている。トルコにも相当数が流れ込んでいるらしい。オスマントルコが消滅した時、彼らの国家も無くなったようだ。
「クルド人は商売人さ、トルコのチャイは国内ようだが、俺たちは国際的なセイロンティの貿易をしているのさ」と説明してくれたが、このお茶誰が買うのだろうか。ティバックのセイロンティを頂きながら、親しくお話を聞いた。ここでクルド人と会うとは、世界はまだまだ広い。
そしてアンカラ城へ行こうとしたが、道を間違え、小高い丘の上に有る博物館へ来てしまった。絨毯や食器など、トルコの伝統的な文物が並んでおり、地味ながら面白かった。途中で中学生が大勢やって来て見学していた。
ウイグル人留学生
ホテルはウルス地区の安宿を予約していた。ウルスの地下鉄駅でバスを降りたが、方向が分からない。売店のオジサンに住所を見せると親切に方角を示してくれた。これで安心と思ったが、なかなかホテルに辿り着かない。また通行人のオジサンに聞いてみると、英語は出来ないが、親切に対応してくれた。トルコ人は親切だな、と感じる。ようやく辿り着いたホテルは予想以上に駅から離れていた。かなり下町の雰囲気があり、そこかしこでチャイを飲んでいる。
夕方ホテルにウイグル人留学生、K君が訪ねて来てくれた。彼はトルファン出身、北京で学び、中国大手企業に就職したが、昨年からトルコ政府の奨学金を得て、トルコで学んでいる若者である。先週アンカラの大学院へ転学してきたばかり。それにしてもウイグル人とはいえ、中国人がトルコ政府の奨学金を貰っている所が面白い。勿論漢族中国人は貰えるわけではなく、同じトルコ系ということがポイント。
彼はアンカラは不案内ということで、宿舎で同室のトルコ人学生を連れてやって来た。皆で英語で話そうと思ったが、トルコ人学生はシャイで話したがらず、結局アンカラにも拘らず、K君と普通話で会話した。
トルコには漢族学生は殆どいないこと、ウイグル人も多くはないこと、また中国政府はトルコに興味を持っており、接近を図っているが、上手くいっていないことなど、様々な話が出た。そして彼は「留学が終わったら、中国とトルコを行き来するビジネスがしたい」という。その可能性は大きいと感じた。中国がK君たちをうまく使えるのか、興味深い。因みにトルコ語とウイグル語は70%程度共通であり、言語習得の問題は少ない。また緩いイスラム教ということでも同じで、生活習慣も近い。
9月25日(火) 3. アンカラ アンカラまでのバス
今日はカッパドキアを離れ、首都アンカラへ向かう。先ずはホテルからユルギュップのバスターミナルへ。小型バスに荷物を積み込みだが、時間は十分にあるので、ユルギャップの岩山を上る。いい眺めであり、またこの緩さが良い。ところが降りてみると道が分からなくなる。こんな小さな街で迷子か?バスの出発時間ぎりぎりに何とか間に合う。
小型バスでカイセリのターミナルへ行き、そこから大型バスへ。ここは一昨日の朝、夜行バスが到着した場所。アンカラ行のバスは沢山出ているのか、乗客はそれ程いない。昼間にバスに乗っていると、トルコの道路が快適であることが良く分かる。そして車は殆ど走っていない。このインフラはどこから来たのだろうか。EUの支援で出来たのだろうか。
乗車するとイケメン車掌がチャイを配るのは夜行と同じ。今回はリプトンのイエローラベル。食べ物は出ない。途中でトイレ休憩があり、美味しそうなクレープを焼いていたが、朝ごはんの食べ過ぎでパスしてしまう。残念。
約5時間でアンカラに到着。郊外の巨大なバスターミナルだった。ここで先ずトラブゾン行きのチケットを買った。明日の夜行だ。アンカラ滞在は約1日半と決まる。そして市内へ。大型バスで来ると市内まで無料の小型バスで運んでくれる。これで今日のホテルの直ぐ近くまでやってきた。
9月24日(月) 奇岩ツアー2
今日も奇岩ツアー。ただ昨日と違い、ツアーは私の若者男性2人のみ。昨日とは明らかに雰囲気が違う。今日行った奇岩は非常にはっきりと切り立ち、動物の形に見える岩など、ユニークなものが多かった。一体カッパドキアにはどれほどの奇岩があるのだろうか。
相変わらずどこでもだれでもチャイを飲んでいる。私も仲間に入れてもらい、チャイを啜ると猫まで膝の上に乗ってくる。言葉は通じなくても何だか一体感はある。コーヒーも売っているが、これは観光客用らしい。
トルコ絨毯の店に連れて行かれる。店では直ぐにチャイが出てくる。そして日本語の説明員がちゃんと絨毯やスカーフなど伝統的な織物の説明をしてくれる。聞けば、機械織りに押されて、伝統織りは徐々に少なくなってきている。非常に細かい作業で時間も掛かるため、コストも高い。何とかしてこの伝統を守ろうと、カッパドキアをあげて、売り込みに力を入れている。日本まで輸送しても送料は無料だというが、どれほどの人が買うのだろうか。
ランチは洞窟レストランで食べる。何だかいい雰囲気で、ヒンヤリとした洞窟へ入る。トルコ音楽の演奏が響き、気分は高まる。だが、同時に相当煩い話声が洞窟内に響き渡る。中国人団体観光客の甲高い普通話だ。うーん、もう少し雰囲気を考えて欲しい。無理か??
午後ギョレメの博物館へ。博物館と言ってもここも奇岩の山。5-6世紀にキリスト教の修道士が修行場として使っていた場所。かなりの絶景だが、洞窟内にはキリスト教関連の壁画が残されていた。ただ顔の部分は殆どが潰されており、後からやって来た民族に破壊された様子が生々しい。
洞窟カフェで一休みした。階段を上がると中には絨毯が敷き詰められ、なかなか居心地の良い環境が整っていた。ここでチャイを頂くと、何となく落ち着く。それにしてもここカッパドキアは乾燥地帯なのか、のどが渇く。チャイが美味い。
宝石屋さんにも寄った。トルコ石は世界的に有名で多くの観光客が買いに来ていたが、中国人団体の姿はなかった。店員に聞くと「トルコ石は高い。中国人は宝石を見ると偽物だと思うようで、誰も手を出さない」との説明。うーん、確かに。
更に奇岩ツアーは続いたが、流石に飽きてしまった。日本人女性なら一日中岩を見て癒されるのだろうが、私はカッパドキアに既に十分満足した。
ユルギュップ
夕方一日目のツアーを終わり、ホテルへ。私は皆と異なり、ユルギュップという街の外れのホテル泊。カッパドキアは全体として時間の流れが緩く、人々の流れも少なく、実にゆったりとしているが、ユルギュップでは特にそれが感じられる。
ホテルは大型で団体客が泊まる所。広いロビー、部屋もゆったりとしている。何と朝ごはんだけでなく、夕ご飯も付いている。宿泊客はロシアや東欧の人が多いようだ。食事は肉などがふんだんに盛られているが、羊肉はない。残念。
先ずはホテルから歩いて5分ほどのバスターミナルへ行き、アンカラ行の切符を買う。前回でバスは懲りたような気もするが、またバスに乗りたくなったのは何故だろうか。勿論アンカラなら5時間、飛行機に乗ってもそれほど変わらないからか。
街は実に落ち着いており、ふらふら歩くにはちょうど良い。街の中心には岩山が見えるのがカッパドキア風。ホテルの向かいのモスクからコーランが響いてくるが、それすら緩やかに感じられるから不思議だ。
静かな夜、夜行バスの疲れが出たのか、シャワーを浴びて早々に寝る。気持ち良い眠りが待っていた。やはり癒しのカッパドキアだろうか。
奇岩ツアー
ハトの谷、という奇岩を見る場所へ行った。カッパドキアの奇岩は世界遺産であり、その風景は壮大で、圧倒的、信じがたいものがある。そしてここは何故かハトが多い場所。ハトと奇岩、関係はよく分からない。
観光地なので土産物を売る店がある。お婆さんが手編みの服やテーブルクロスなどを売っていた。実に細かい作業で感心したが、『誰も買ってくれる人が無い、生活が大変だ』と嘆いていた。ここカッパドキアには産業はあまりないようで、人口も少ない。観光客頼りの生活にならざるを得ない。ヨーロッパの経済危機などもかなりの影響があるのかもしれない。何だか少し寂しい話だった。
もう一つ奇岩のある場所を見学。私には何となく同じようにしか見えない。お昼は川沿いのレストランで取る。土鍋料理が有名だということで鶏鍋を頼む。パンはどこでも美味く、スープもまあまあ。そして土鍋は良く煮込まれており、いい味出していた。満足。
私の参加したツアーは女性ばかり。ランチしながら、彼女達に『カッパドキアには日本人女性が100人以上結婚して住んでいるらしい』と言ってみると、『分かるわー、その気持ち。私もチャンスがあれば自分の人生、劇的に変えてみたいと思うもの』との回答が印象的。日本で働く女性のストレスは並大抵のものではなく、それ故時間がゆっくり流れ、癒される、非日常空間を現出するトルコへの愛着、憧れは強いということだろうか。
午後も奇岩を見ていた。何という所か分からない。ツアーに参加する一人の女性が、ジーッと奇岩を眺めて佇んでいる。その様子がちょっと尋常ではなく、そのまま岩に向かってダイブしてしまいそうに見えた。思わず声を掛けると『この岩、癒されるわー』。日本女性がカッパドキアに憧れる様子が良く分かったが、私には理解できない。
カッパドキアツアー1 地下都市
ツアーバスに乗り込むと、空いていた。何故だろうと思っていると、何とこれから各ホテルに迎えに行くのだという。何だ、焦ることもなかった。時間がゆったりと流れている。この日本語ツアー、HISの旅行ツアーで来ている人が殆ど、しかも30-40代の女性ばかりだった。彼女らはギョレメあたりの洞窟ホテルに泊まり、イスタンブールとの組み合わせで来ていた。初めての人は2-3人で、リピーターの中には一人で来ている人も数人いた。
私のカッパドキアでの関心事は1つ。地下都市の存在だった。高橋克彦の小説『竜の柩』。一見奇想天外な小説に思える内容だが、良く読んでみると著者は本当にこれを信じて書いていることが分かる。その中にカッパドキアの地下都市が出て来るが、この都市は実は核シェルターだったと推測する。
カッパドキアは5-6世紀、キリスト教の修道士たちが住む修行場だったと言われているが、それにしては手が込んだ作り出し、第一数十万人が暮らせる能力を有していた、ワインを製造する場所すらあったことを考えると、修行の場というのは後から来た人が利用しただけだと思われる。実際に地下に潜る狭い道、確かに巧妙に出来ており、敵を避けるための石のドアなど仕掛けもある。高橋克彦の推測は正しい、と思ってしまう地下都市だった。表に出ると眩しい日差し。何だか夢のような見学であった。