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こんなところに日本通が

 

 

オフィスに戻る。ここは地場の旅行会社。日本語が出来る人がいるというので話を聞きに行く。するとこんなところにこんな人がいるのか、と思うほど、日本語が達者で、しかも私より数段日本のことを知っている。写真もプロ並みの腕前で、日本各地で撮った写真を見せてくれるがただただ驚くばかり。この会社の毎年のカレンダーの写真にもなっている。


 

山東のお茶事情も聴く。やはり日照の緑茶が取れる程度。隣の河南省などともあまり関係がないようだ。出してくれたお茶も福建省の紅茶だった。『緑茶は来年の春に日照へ行って飲んだらどうだ』と言われ、もっともだと思う。

 

なんだかんだ話していると夕方になり、Oさんの上司の上海人と一緒に夕飯を食べることになる。この季節はザリガニだろう、と連れて行かれたのは、おしゃれなレストラン。ピアノまで設えてある。外では豚や鳥を焼いているので、そのギャップもまた面白い。済南のエンゲル係数は異常に高い、というのは本当だろう。


 

上海人Lさんも30年にわたって旅行業界で活躍、日本語も達者で『日本と日本企業の弱点』を明快に説明してくれた。特に日本は謝ればよい、すぐに『すみません』というが、それは『中国人には謝っているようには聞こえない』という点が、今の日中の感情的な面を助長しているように思う。


 

そして夜ホテルに戻ると衝撃のメモが置かれていた。済南は面白い。

⇒ http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5810


 

2.     済南

ホテルまで

 

 

駅から市内までかなり距離があると聞いていた。タクシーに乗るほか方法はない。タクシー乗り場へ行くと、何とタクシーが溢れかえっていた。運転手はみんな、移動するのに、自分のタクシーを押している。エンジンをかけずに燃料を節約するためだ。


 

タクシーに乗り込むと、駅の周辺までタクシーだらけ。この街はまだ発展途上だな、と直感する。市内で客を待つよりここで待つ方が距離は稼げる、ということだろう。だがこれだけ多いと、客があるのだろうか。運転手は『正直23時間待って客を乗せられれば良い方』と諦め顔。確かに10数キロ走っても40元程度。これを12往復しても商売にならないようだ。

 

市内に入っても高い建物はあまりなく、むしろ昔懐かしい中国の都市、という雰囲気が出ている。街の真ん中のホテルにチェックイン。ロビーはきれいにしているが、部屋は古めかしい。部屋からOさんに電話すると『会社の近くまで来て』と言われる。なぜ会社ではなく、近くなのだろうか?

 

街中道路工事

 

 

ホテル前からタクシーを拾い、行き先を告げたが、『その道は工事中で行けない』と断られる。Oさんから回り道の方法を聞いていたので、それを告げると『それなら行ける』と。何とか客を運ぼうという考えはないのか?しかし走ってみて分かった。工事だらけで進まない。運転手が『相乗りさせてもいいか、収入が苦しいんだ』という言葉に思わず頷くほど。しかし残念ながら相乗りの客を見つけることもできず、何とか目的地に着いたのだが。


 

そこは大きな道のある交差点。だが、その大きな道、済南市内のメインロードの1つ、は全面改装中で、全く通行できない。山東省の省都が今頃、こんな基本的な工事をしていることが信じられない。中国は広い、そして沿海部と内陸部などという簡単な区分けでは説明がつかないことが多い。高速鉄道が開通して、済南はようやく開発が始まったらしい。『中国には経済の時差がある』を実感する。


 

Oさんが向こうからやってきた。北京で分かれて以来、5年ぶりの再会か。彼のオフィスはこの大通りに面しているが、今は歩いて行くしかない。先ずはランチに行ったが、そこは20年ぐらい前の北京を思わせる社区の中にある小さなレストラン。きつい山東訛りの従業員に餃子を頼む。とてもいい感じだ。餃子もうまい。元々餃子と言えば山東だから。


 

《済南を歩く》 2013715-17

 

 

東京からバンコックへ戻る途中、北京でストップオーバーした。北京では経済小説家Kさんのお供をしたが、3日ほど時間が取れた。どこへ行こうかと思っていると、最近音沙汰の無かった大学の同級生Oさんから『4月に山東省済南に転勤になりました』というメールを貰ったことを思い出す。何となく寂しそうなメールだったので、激励の意味を込めて行ってみることにした。

 

 

715日(月)

1. 済南まで

 

 

山東省と言えば青島が思い浮かぶ人がいても、省都が内陸部にある済南である、と知っている人は多くはない。最近ではなぜか薄熙来事件の裁判が済南市で行われ、ちょっと注目を集めた程度。私も一度も行ったことはない。ただ27年前、上海に留学してすぐの国慶節に列車で北京へ行った時、通過した記憶がある。この列車は17時間ノンストップで走っていたが、唯一貨物の関係で停車したのが済南だった。

 

 

http://hkchazhuang.ciao.jp/asia/china/mukashi01beijing.htm

 

 

朝北京南駅へ行く。27年前と違い、北京には駅がいくつもでき、高速鉄道が開通している。今では北京―上海は5時間程度で結ばれている。その中間に位置するのが済南。今回は高速鉄道で行ってみる。南駅までは地下鉄が繋がっているので便利。駅で切符を買うと30分後の列車に乗れる。ああ、何というスピーディーな。中国の進化が実感できる。駅には吉野屋まで出店しており、どんどん日本の駅の風景に近づいているような気がする。

 

 

 

そして高速鉄道に乗りこむ。満員の乗客。これが1時間に何本も走っている。列車は田園風景を見ながら進む。そして2時間強、あっという間に済南に到着する。済南西駅、高速鉄道の為に新たに作られた駅で真新しい。





 

8.   大阪

チェックインは午後4時から

 

 

大阪駅から市営地下鉄の乗り場まで大きな荷物を持って歩くのは結構大変。人が多い。ようやく梅田駅から地下鉄御堂筋線に乗り、本町へ。しかしこの地下鉄、初乗り200円は高い。橋下市長がこの件を問題にしているようだが、その気持ちは分かる。特にJRの初乗りが関東より安い120円なのだから、この料金の高さは当然問題だ。大阪で気が付くことは、各電車に女性専用車両があること。そしてその乗車位置がほぼ真ん中にあること。東京だと先頭の一両が女性専用というケースが多いが、どう考えても真ん中にある方が使い勝手が良い。大阪はやはり女性が強い、ということだろうか。


 

本町でまた重い荷物を階段で引き揚げ、何とか地上へ。氷見を出るのが遅れたので、予定到着時間を1時間ほど過ぎた3時過ぎに、本日の宿泊先、東横インに着いた。カウンターでチェックインをお願いすると『お荷物をお預かりします』と言われる。何の話か分からなかったが、何と『チェックインは4時から』だとか。えー、チェックインが午後4時のホテル、アジアを歩いてきたがそんなホテルは聞いたことがない。

 

フロントの研修生が『もしホテル会員になれば3時からチェックインできます』というので、それはいいサービスだ、と入会しようとすると、『入会費は1500円です』と言われ、唖然。何でも金に換算している。入会金を払っても3時からしかチェックインできない、恐ろしくてやめた。ホテル側もちゃんと備えはしている。荷物を預かるだけではなく、1階ロビーにテーブルを用意し、麦茶を出し、無料WIFIも設置されている。そこに座ってネットでもやって、1時間待て、ということだ。仕方なく、Kさんに電話して来てもらい、場所を移してお茶を飲んだ。





http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5807


 

その日の夜はKさん主催の勉強会。関西の皆さんと楽しく歓談した。これまで長い間来ていなかった大阪に、今年は既に2回来た。何だかご縁が繋がり始めた。

 

625

せんば

 

 

翌朝ホテルの朝食を食べる。1階のロビーが食事をする人々で埋まる。食事無料、というが、食事込みの料金、という方が正しいのではないか。1泊の基準、国外は一般的に24時間だが、このホテルでは18時間(午前10時チェックアウト)、なのだから、食事を入れてももう少し安くてもよいのでは、と思ったが、泊まる人が沢山いるという現実は顧客ニーズに合っている、ということだろう。


 

確かに出張者なら、夜遅く戻って寝るだけ、翌朝の朝ご飯が付いていればそれを食べてチェックアウト、だから16時から翌日10時で何も問題はないのだろう。ホテルライフを楽しむという習慣は日本人にはあまりない。そんな文化が生み出した合理的なホテルチェーン、全国一律のサービス内容、それが東横インの強みなのだろう。でも、正直『おもてなし』はあまり感じられない。

 

ホテルの近くにせんば心斎橋商店街、というアーケード街があったので歩いて見た。ここは観光地化しているので、日本中から、また海外の観光客が大勢歩いている。『ええもんやうしもん なんやかんやありまっせ』と書かれた看板が妙にいい。この商店街、330年もの歴史があると書かれている(http://semba-shinsaibashi.jp/top.htm)。豊臣秀吉の大阪城築城以降、この付近は商業の中心地、として栄えてきた。天下の台所、もこの辺を指すのだろうか。


 

まあ、何でもある。中国、香港、台湾系に人気なのは食べ物。粉もののみならず、洋菓子系の人気も高い。私は探していた手ごろな小さなリュックを1つ買う。東京では見つからなかったものが大阪にはある。地下鉄2駅分を歩き、なんばへ。





 

そして難波で昔のお知り合いに会い、ランチ。それからホテルに戻って荷物を取って、新大阪へ行き、新幹線で東京へ戻った。長いようで短い国内旅行だった。

 

 

 

624

氷見から

 

 

翌朝は7時に起き、すぐに朝食に呼ばれる。また一人でテレビを見ながら、和定食をたらふく食べる。どうしても生卵などに手が行き、ご飯を大量に食べることになる。ただ美味しいものは美味しいので、それを押さえるのは体に良くない、と考えて食べる。


 

隣のおじさんは早々に車で帰ってしまい、部屋に一人取り残される。こんな場所でゆっくりしているのだからと原稿など書いてみる。これはなかなか捗る。そして時間を忘れて没頭、気が付くと10時が近づき、慌ててバス停へ。

 

民宿のおかみさんが言う。『お客さん、氷見まで行って電車に乗るより、バスで直接高岡へ行った方がかなり得ですよ』、その意味は市が補助金を出して、高岡までのバス料金を押さえているため、安いということだった。それでもバスは老人を中心にそれほどの乗客もなく、40分ほどで高岡へ戻った。


 

そして大阪行きのサンダーバードに乗る。ゆったりしたシートで快適に過ごす。それにしても車掌が車両に入るのに、いちいち頭を下げるのは、ちょっとやり過ぎではないだろうか。インドでビシッとした制服を着た車掌の毅然とした態度とは正反対の、どこかおどおどして見える対応は、客によい気分を与えるとは思えないのだが。


 

列車は、福井、鯖江、・・など、未知の世界を走っている。いや、未知ではない。20数年前、かみさんと金沢・輪島へ行ったことがある。その帰りに東尋坊、永平寺へ行ったのではなかったか。記憶が定かでない。帰りは米原から新幹線に乗ったように思うから、この線路も走ったのだろう。そう考えると、実は富山も20数年前、金沢までの夜行列車で通過していたことになる。既にかなり長く生きてしまった。忘れることもどんどん多くなっている。


 

京都、新大阪で多くの人が下りた。大阪まで約3時間、確かに富山は関西との結びつきが強い。北陸新幹線により、そこに変化があるのか、ちょっと注目である。

 

 

民宿は泊まるところではなく料亭

 

 

さっきの観光案内所のパンフを見て、今日の宿泊先を確認したところ、何と『個人送迎あり』との記載があった。案内所に戻り、この記載を質したが『書いてあるけどないんです』との答え。そんな馬鹿な??重ねて問うと『ないものはないんです』と強く言われ、まるで泊まれるだけで幸せだ、とでも言わんばかりの対応。『どこの宿もギリギリでやっているんで』と言われても話の筋が違う。

 

どうしてもこんなことが起こるのだろうか。このパンフは民間人が作ったものではない。観光協会が作ったものであるという。まさに虚偽表示だと思うのだが、当事者に悪びれた様子もなく、謝るという概念すらない。このおじさんも実は板ばさみなのかもしれない。そう思うと急に哀れ、とも感じられる。

 

仕方なく言われたバス停へ。しかし時間になってもバスは来ない。踏んだり蹴ったり。15分ほど遅れてきたバスに乗り、民宿のあるところへ。こじんまりしたその宿は何だか普通の家へ行ったよう。


 

2階に通されたが『今日はお客さんしかいませんよ』とふすまが全部空いている。何であんなに苦労して泊まる先を探すんだ、解せない。送迎のことを聞いても『お客さん、バスで来たの』と驚いている様子。ましてや『明日大阪へ行くんだけど』と言ってみても、『ああ、バスは7時台に3本あるけど、あの後は10時だわね』と呑気なもの。もうこうなればアジア式。なるようにしかならん。因みにWIFIなど当然、全くない。

 

夕飯まで時間があるので散歩に出る。小さな城跡、小山にのぼり、海を眺める。海沿いを歩く。そんな日常風景的なことしかない。でもそれはそれでよい。何だか気分が少し晴れた。そしてお風呂を独占して、長湯する。だんだん極楽気分になる。





 

夕飯前に男性がフラッと泊まりに来たので、ふすまを閉める?今晩はこのおじさんと二人で飯だな、などと思っていると、何と一人ずつ1階にある個室に通される。そしておかみさんが運んできた料理をポツンと一人で食べる。何とも侘しいのだが、しかしその刺身の素晴らしさ、煮つけ、焼き物、全てが実においしい。これならみんな大喜びだろう。ここの宿主は魚の仲買の資格を持ちプロ。とにかく素晴らしい。黙々と全部平らげた。





 

そして分かった。ここは泊まるところではなく、地元の人や常連さんが食事に来る料亭のような場所なのだ。だからおひとり様は手間のわりに儲からないので、あまりいい顔はしないのだ。食事だけに来ても5000円から掛かるらしい。朝食まで付いて10000円は安いと言わざるを得ない。満足して広い部屋で寝る。


 

 

7.   氷見

観光案内所は案内してくれるの?

 

 

氷見線という電車に乗った。僅か一両。何とも微笑ましい。欧米人や中国人などが乗っており、意外と国際的。彼らは途中の海岸のある駅で降りてしまった。有名な場所なのだろうか。私はゆらゆら揺られて終点まで。


 

駅には観光案内所が併設されていた。『今日泊まりたいんですけど』と声を掛けると、60歳を過ぎたと思われる男性が『一人?電車で来たの?』と聞いてくる。何だか変な感じ。ここは駅なのだから電車できても不思議ではないだろうに。そして1軒の宿(12食付き7000円と言われた)に電話を入れてくれたが、何と満員と断られる。今日は日曜日、その夜に満員とは、はて。


 

おじさんが困った顔をしてパンフとにらめっこ。そこには40軒以上の宿が記載されていたが、『受けてくれるところがあるかどうか?』と不思議なことを言う。『駅の近くのビジネスホテルに泊まったら?』と言い出すおじさん。さすがに『民宿に泊まりたいから氷見に来たんです』と若干語気を荒げると『そうですよねー』と。そんなに混んでいるのか、と思っていたが、どうやら『おひとり様お断り』が多いらしい。結局何とか1軒受け入れが決まる。9600円に料金も跳ね上がるが仕方がない。

 

送迎はないので、バスで行け、と言い、時刻表のコピーをくれる。しかも入室は3時以降だから、それまでは行くな、とも言う。『ではこの辺で見るところはありますか?』と聞くと、なんとなんと『この辺り見るとこ、無いんだよね』だと。観光案内所が案内しない、どういうことだ。おまけに『じゃあ、適当に歩くから、荷物を預かって』というと、『預かってもいいけど、この間無くなったことがあってね、それでも良ければ』と言い放つ。もう何とも声が出なかった。ちょうどコインロッカーがあったので、何とか荷物を押し込む。ここの街には客を受け入れるという考えはあるのだろうか?一体どんなところなのだろうか??


 

藤子不二雄の出生地

憮然としながら、街を歩く。日曜日なのに商店街に休業が多い。これは街の伝統か、それともシャッター通りか。街の中にキャラクターがあちこちにある。忍者ハットリくんや怪物くん等。何とここは藤子不二雄Aさんの出生地だった。Aさんはお寺で生まれたようで、宗光禅寺という寺にはモニュメントまであった。アニメファンなら喜ぶだろう。地元の人は見慣れているから何とも思わないかもしれないが、これはなかなかいい。どうしてそのような説明はないのだろうか?





 

氷見の港も晴れ渡り、風が気持ちよかった。その先には道の駅があり、ここにはかなりの人が来ていた。とにかく皆車で来る。電車で来る人など想定していないのだ。海の幸もあり、屋外で食べ物を食べることもできるいい場所だが。





 

運河沿いにヒミング(http://himming.jp/)という倉庫を改造した喫茶店、いやアートギャラリーがあった。ちょっと中を覗くと、おじさんが『よかったら、寄ってって』というので、そのままギャラリーを見て、2階に上がり、座り込んでしまった。ここは何とも居心地が良い。NPOが経営しており、大学生がボランティアをやっているようだ。その手作り感と丁寧さが良かった。観光案内所とは大違い。ぼっーと過ごす。


 

高岡散歩

 

 

翌朝はホテルで出された大量の朝食を平らげ、高岡の街に出てみた。ここはこじんまりしていて散歩にはちょうど良い。高岡古城公園に着く。ここは前田家2代藩主利長が隠居した場所。設計はあのキリシタン大名、高山右近とか。右近は信仰を捨てなかったが、前田家に庇護されており、この建築に携わる。その後家康の伴天連追放でマニラに行き、そこで亡くなる。何とも歴史を感じさせる。ただ利長亡き後は廃城となっていたのを明治になって保存された、とある。今は公園となり、高岡の人々のゆったりした生活を感じさせる場所となっている。特にお濠は美しい。





  

 

次に高岡大仏に向かう。一応地図はあったが、歩いて行けば分かるだろうと高を括っていると意外と分からない。着いてみると、街の真ん中にポツンとある。奈良、鎌倉と並ぶ日本三大仏の一つという頭が混乱のもとだった。現在の大仏は20年の歳月をかけて昭和の初めにできたらしい。1980年には11m、後ろに下がった、とあるのが、なんとも微笑ました。大仏の下には展示物があり、薄暗い中に置かれた仏像に迫力があった。


 

それから街歩き。高岡には土蔵造りの旧家が点在していると聞き、訪ねてみる。江戸時代の商家などが残されているが、その繁栄は如何ばかりであったか、今はそれを見ることは難しい。午前中は人の往来も殆ど無く、それはそれでゆったりしていてよいが。


 

駅の反対側へ向かう。曹洞宗瑞龍寺、ここは前田利長公の菩提寺。山門は実に風格があり、国宝にもなっている。江戸初期、利長の転居で街が開かれた高岡。加賀百二十万石を築いた人に相応しい立派な寺である。周囲は高い塀で囲われ、堀もめぐらされている。まるで城のようなのが、面白い。こんなところが駅のすぐ近くにあるのが嬉しい。


 

更に山門の前の道をずーっと東へ歩くと、利長の墓所がある。そこまでふらふら歩いて行って、疲れてしまった。さあ、そろそろ電車に乗ろう。


 

 

バンコックに居ながら、バンコックを知らない。それではいけない、ということで、時間があるときはバンコック市内を探索することにした。今日はこれまで足を踏み入れていないラーマ5世の宮殿などに行ってみる。

 

なぜかBTSでパヤタイ駅へ。駅のすぐ近くに都会のオアシスがあると聞き、訪ねてみた。スアン・パッカード宮殿、確かにビルの間に挟まれたひっそりとした邸宅があった。建物に入り、100バーツを払い、荷物を預ける。そして隣の展示室へ。係のおじさんが、日本語の単語を連発して、案内に精を出す。どうも日本人観光客が多いらしい。この宮殿はラーマ5世(チャラロンコーン大王)の孫であるチュムポット親王の住まいとして建てられた。元はキャベツ畑(パッカード)だったことからこの名が付いたとか。今でもここだけは喧騒から逃れているようだ。

 

南の端に建つラッカー展示館。チーク材を使用した高床式建築で、2階は仏間になっている。内側の壁には仏陀の物語などが細かく描かれており、その煌びやかさがすごい。続いて展示館が並ぶ。鉱石や魚介類の化石、コーンと呼ばれるタイ舞踊の面や人形が展示されている。なんだかちょっと見入ってしまった。





 

楽器を集めた建物もあった。普通はあまり興味がないのだが、正面に飾られたソウサムサイ、という楽器が3本の弦を持つサンシンに似ていることに注目した。家主であるチュムポット親王も自ら弾いていたようだが、その姿は三線ではなく、バイオリンかチェロを思わせる。ある資料によれば、イランあたりの楽器が東へ行き胡弓やソウサムサイになり、西へ渡ってバイオリンなどになったとある。沖縄とタイ何か関連があるのだろうか。


 

靴を脱いで2階へ上がる。ここは建物が橋で繋がっている。宮殿の中心の建物にはリビングのような場所があり、庭が見渡せる。そしてそこにも仏間がある。信仰の厚さが感じられる。後ろ側には居間、寝室。写真はダメだったが、アユタヤ式の極彩色な茶碗が目を惹いた。どんなお茶を飲んでいたのだろうか。


 

おじさんが『庭の建物の写真を撮れ。背景はあれだ』と指差したのはAJINOMOTOと書かれたビル。日本人に対するサービスだろうか。そういえば大学の後輩Y君があそこで働いている。


 

そこから歩き始める。ひたすら歩くと、物々しい警戒と並木道が見えた。チットラダー宮殿、王家の住まいだ。その向こうには昨年訪れたマーブル寺院が見えた。昨年はここが警察の詰所扱いであったが、今年もこの周辺は警察の機動隊が立っている。デモは収まっているかに見えるが、予断を許さない雰囲気がある。


 

更に行くとラーマ5世騎馬像があり、その向こうには重厚な建物が見える。アナンタ・サマーコム宮殿、旧国会議事堂だ。入ってみたかったが、中国人の団体観光客が押し寄せており、断念。団体50バーツ、個人150バーツというのも何だか気に入らない。





 

そろそろっと、裏へ抜けるとそこには何とも美しいモザイクのような繊細さを持つ建物が見えた。ウィマーンメーク宮殿。ラーマ5世の住まいだ。議事堂の重厚さと住まいの繊細さ、このコントラストがたまらない。中へ入ろうとしたが、既に時間は4時近くで残念ながら閉館。その後ろにもいくつか建物があり、広々とした庭になっていたが、基本的に閉館。入場する時のドレスコードだけがやけに目につく。しかも中国語が。





 

外へ出ると、そこも警戒厳重。バスも迂回を余儀なくされる。何とか戦勝記念塔まで戻り、BTSで帰宅。今日は結構歩いた。よく眠れそうだ。


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