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プーケットで不動産投資

 

 

そしてまた雨が振り出しショッピングモールに逃げ込む。1階にはなぜか不動産販売のブースがいくつもある。何気なく近づくと『暇か』と英語で声がかかる。勿論暇なので話を聞いてみると、パトンビーチでマンションを購入する外国人をターゲットにした販売所であることが分かる。


 

巧みな話術で色々と説明してくれた。英語が通じること、不動産市況が分かること、そして雨宿りにちょうど良いことから、耳を傾けていると『物件を見に行かないか』と誘ってくる。暇だし、ビーチも飽きたし、そして『帰りはプーケットタウンまで送ってやる』と言われ、行ってみることにする。


 

案内人が現れたのは30分後。何とスエーデン人だった。タイが好きで住み始め、奥さんもタイ人、そして子供の環境なども考え、バンコックからプーケットにやってきたという。彼の車で3つの物件を見学する。

 

全てビーチから少し入った物件。そしてこれから完成する新築。現在プレセールをやっていた。マレーシアでもそうだが、タイもプレセールはディカウント価格、そして完成後自分が滞在したいとき以外は人に貸すことが出来る。完全な投資物件として賃貸することも可能。利回りは10数%らしい。40㎡程度で300万バーツ前後、家具や内装には別途費用が掛かる。ちょっと高いと感じる。


 

投資物件は狭いベッド1つの物件が多い。それは借りる側が大きな部屋を望んでいないから。家族で住む人は少ないらしい。一人かカップル、カップルの中には男性同士も多いとか?一人で来た人も2人になっているケースが多いらしい??1泊2000b程度が良いとか。屋上から海が一望できるところもあり、そこにプールが付いていたりもする。如何にもビーチリゾート。欧米人、最近はロシア人の投資も増えている。パンフにはロシア語もあった。中国人はどうかと聞くと、『彼らは英語が出来ないから来ない』と。中国人専用のブローカー(華人)はきっと別にいるのだろう。


 

帰りは送ってくれるとの話だったが、彼に急用が出来てしまった。『タクシー代を出すから一人で帰って』と言われたので、それを断り、またバスに乗る。購入もしないのに案内してもらって、その上600bも出してもらうのはちょっとね。バスの車掌がなぜか『写真撮ってやる』というので、1枚収まる。その夜は近くに食堂を見つけ、久しぶりにカオマンガイ(チキンライス)を食べる。





 

 

817日(土)

モンゴルNo.1の小麦農場を見学

 

 

本日も郊外へ出る。草原の中に牛がいる。羊や山羊ではない。これは牛乳を搾るための牛だろうか、それとも食用?とにかくのんびりした雰囲気が出ていて、とても良い。思わず車を止めて記念撮影。


 

それからいかめしい門を潜り、工場へ向かう。すごく立派な小麦の貯蔵施設が見える。草原の中、ここだけが別世界のようだ。モンゴル全体の15%の小麦をここで扱っている。牛も5000頭輸入し、食肉用として加工している。ここは一大食料備蓄設備のようだ。道理で設備がデカい。


 

ここのオーナーは元々金鉱山の開発で財を成したいたようだが、農牧に目を付け、2003年にこの地で事業を始めた。小麦は国策で政府が買い上げる。しかし2年前より支払いは止まっているらしい。政府資金の枯渇か、それとも不正か?小麦以外ジャガイモなど他の農作物にシフトしつつあるとの印象がある。これからはモンゴルでも牛肉を食べ、牛乳を飲む飲食文化が出て来ると予想。またアメリカ製のコンバインなど農業機械の代理店となり、モンゴル全体の小麦生産を機械のリースでサポートしている。このような動きも重要だろう。


 

工場敷地内に宿舎もあり、モンゴル全土から従業員を集めているが、人手不足とか。農業における人材の確保も重要性が増してきている。尚ここでランチをご馳走になった。牛肉とサラダ、とても美味しかった。こんなに美味しい食事が出て来るのであれば、従業員は集められそうな気がするのだが。やはり若者は都会を目指すのだろうか。


 

自然の中で蜂蜜を取る

 

 

別の場所に移動した。道端に車が待っていた。何とランチを食べるために待っていてくれたのだった。予想外の展開。我々はお腹一体だったので、飲み物だけにした。そしてまた車で、草原の中へ入っていく。


 

気持ちの良い草原に花が咲いている。その向こうに箱が置かれている。何だろうと近づいてみると、マスクをした人たちが小さな跳び箱のような箱を開けている。そこから蜂蜜を取り出していたのだ。棚にこびり付いた蜜を小刀で削ぎ取っている。車の中には機械があり、蜜を入れて回すと、濃厚な蜂蜜が絞り出されてくる。





 

そしてまさに大自然の中、皆でその蜂蜜を飲んだ。舐めるだけかと思っていたが、コップが渡され、何とウオッカを混ぜて飲んだ。強い酒を混ぜると強さが分からなくなり、どんどん飲めてしまう。途中頭がくらくらしたが、それがまた心地よかった。強い日差しに目が回る。


 

この事業は68月、花が咲く場所に合わせて移動しながら行われる。花から花へ、何とも優雅。この辺りは花の種類が豊富で蜂は50種類の花に触れ、蜜を作り出す。何というエコだろうか。ただ蜂蜜は国内需要がないので、日本などへ輸出されている。大自然の中で、1年の内3か月だけ働く。これは理想的な仕事の仕方ではなかろうか。聞けばこちらも人手不足。いっそこのキャランバンに付いて働いてみようか、と思ってしまうほど。モンゴルでは唯一ここだけで蜂蜜で作られているという。

 

 

910日(火)

朝ごはんはタラートで

 

 

ホテルには朝食がないので、街を歩いて探す。フラフラしているとローカル市場が見えたので入る。野菜や肉を売っている普通の市場で地元の人が買い物をしている。そこで朝ごはんを取る。適当に席に着き、適当に食べる。


 

目の前にタイ人の女性が座った。彼女は小さな袋を持っていたが、中からフライドチキンを取り出し、食べ始めた。私と目が合うと黙ってチキンを1つこちらに寄越す。私は黙って、受取り食べる。美味い、笑顔を返すと彼女も笑顔になる。たったそれだけのことだが、一日が幸せな気分になる。


 

パトンビーチ

 

 

今回の旅は特にすることがない。今日は丸一日あるので、パトンビーチへ行ってみる。ここはプーケットでもっとも有名なビーチだ。ジョジによれば、バスで小1時間。但し帰りのバスは午後6時までしかなく、それを過ぎたらタクシーに乗る。ただその場合も600b以上は払わないこと、と念を押される。

 

街の真ん中あたりのロータリーの北側にバスが数台停まっていた。その中にパトン行きもあったが、一番立派なバスだった。もっとローカルなバスに乗りたかったが、車掌に促されて乗り込む。30b。安い。


 

街を抜けると、田舎道。途中から山越え。結構アップダウンがある島だったのだ。パトンの街はプーケットタウンより立派で賑わっていた。さすがに観光客が多い。プーケットの産業は観光なのだから仕方がない。

 

ビーチには人影は少ない。やはり雨季なのだ、と思っていると、海上の雲が怪しくなる。慌てて建物の陰に身を潜めたが、物凄い土砂降りとなり、身動きが取れなくなる。皆が逃げ込んでくる。そして不思議な集団となり、黙って空を見上げる。毎日のことなのだろう、タイ人の子供などは嬉しそうに母親に甘えている。





 

30分ぐらいジッとしていると、空が明るくなる。人々が急に動き出す。商売を再開する人、観光を続ける人。私は何もすることがない。ビーチの脇を歩くが特に目ぼしいものもない。街の方も歩いて見るが、特に何も。仕方なくランチを取ることに。

 

ここは観光地、実は物価は高い。高いものを食べても意味がないので、フードコートに行くと、意外と外国人もここで食事をしている。確かに料金がリーズナブルで、きれいな場所だから。ここにトンカツがあったので食べてみる。柔らかくはなく、薄い肉だが、トンカツである。結構満足。


 

 

聖なる母の木

 

 

ほろ酔い気分で観光へ。といっても『聖なる母の木』を訪ねる。ほろ酔いではマズイ。モンゴルの精霊信仰の1つだろう。樹木に対する信仰は深い。そして驚くことに聖地の周囲は全てレンガ茶で囲われている。お茶と聖地、宗教と茶、非常に興味深い。


 

この囲われた場所は元々母なる木があった場所とされ、木の切り株に皆が頭を下げ、頭をつけて祈っている。中には体全体を大地につけて、祈る姿もあり、チベット仏教との深いかかわりも見られた。この辺りに来た観光客は聖地ということでやってくるのだろう。多くの人が祈りを捧げている。


 

日本語でこの儀式についてN教授と話していると、後ろから『この紙を木の枝に巻き付けて』と日本語で言われ、ちょっとビックリ。モンゴル人女性が日本語を話している。『日本で勉強したことがあるの』という彼女。モンゴルには日本に住んだことがある、日本語が出来る人が人口比で言うと非常に多いと言われたが、目の前に現れると納得してしまう。


 

そして現在のご神木へ。高い木が一本そそり立っていた。周囲には無数のカタ―(布)が巻かれているが、何となく象徴に過ぎないような雰囲気がある。やはり元の木が大切、ということだろうか。因みにこのカタ―、チベット仏教で用いられる。青海省西寧のお寺に行っても、インドのラダックに行った時も見られた。モンゴルでは高僧謁見の際、五色のカタ―を重ね合わせるという。道理で色とりどりのカタ―があるわけだ。チベット仏教とモンゴル、勿論歴史的に大きな繋がりがある。





 

 

華人博物館

 

 

そのまま午後はオールドタウンを歩くことにした。何しろここは歴史的景観の街。随所に映画のセットのようなヨーロッパ風であり、また亜細亜風の建物が見られる。ホテルのすぐ脇の道が、一応整備されており、観光街となっていた。時計台も見事に古い。


 

その観光街を歩いて行くと、普吉泰華博物館がある。ここはプーケット華人の歴史が展示されているということで、参観してみる。先ず博物館の建物が立派だ。1934年建造とか。1948年に博物館になったらしい。プーケットに最初の中国人が住み始めたのは1817年とある。そんなに遅いのか?その後ラーマ5世時代に移住が増えていった。福建人が大半を占め、広東、海南からの移住者もいたという。主に鉱山開発などに従事した。荒くれも者も多く、問題は常に起こっていた。


 

実はマレーシアのペナンとの縁が非常に深い。プーケットに来るとタイというより、マレーシアをイメージしてしまうのはそのような理由があるのかもしれない。建築物も、マレーシア風、というか、ポルトガルなどヨーロッパとの融合が感じられる。

 

街の外れにシノポルトギーズスタイルと言われる建物が残っている。今はレストランになっていたが、誰かのお屋敷だったのだろう。実に寛げる造りで好ましい。庭もとても広い。レストランに入るとクッキングスクールをやっているようだ。最近アジア料理のクッキングスクールが随所で見られる。単なる観光ではなく、その土地を知ろう、知らせようという試みか。面白い。その後どこにでもある天后廟、観音廟などを回る。本当に中西混合だ。








 

現在は雨期ということで、小雨が降り続いている。観光客も少ない時期だと分かる。夕飯を食べようと歩いて見たが、レストランはあまり多くない。仕方なく観光地化されたレトロなレストランで食べる。この店、元は薬屋さんか。聞けば隣で薬屋はまだ営業している。オーナーのおばさんは華人の顔をしていたが、普通話はしゃべれず、流暢な英語を話す。既に4代目、『私たちは華人と言っても単なるタイ人だよ』と。そう、普通の生活に中国語は不要だろう。








 

 

816日(金)

競馬協会会長は運送屋さん

 

 

今日もセレンゲ。ここは本当に色々なものが見られる。これも商工会A会頭の尽力だ。午前中は何と競馬協会会長の所へ行く。モンゴルには草原の競馬がある、賭け事というより、遊牧民のスポーツだろうか。会長の体格もいかにもがっしりしている。


 

この会長、運送・貿易会社の社長さんでもある。ロシア‐モンゴルの国境運送に長年携わってきている。90年代より中国企業と合弁で事業を展開。近年はロシアと中国を結ぶ役割が大きくなってきている。馬乳酒を作ったり、馬肉を輸出したりと馬に関わる仕事もしている。


 

レンガ工場も経営しているが、『今年は去年の半分の売り上げ』と嘆く。経済状況が悪く、学校建設などの予算が削られている。中国の景気減速の影響は大きく出てきているようだ。UBの建設ラッシュもいずれ止まるのではないか、とふと思う。

 

元外交官の絶品スープ

 

 

昼前に郊外の農園に行く。チャルツラン?という実からオイルを採っているという。社長の家に行くと、何ともお洒落な造り。社長は何と元外交官で、モスクワのモンゴル大使館勤務経験もあるという。確かに品のある人だ。退官後、これからは農業だ、と思い、セレンゲに住み、様々な商品開発などを行っている。


 

お昼ご飯を用意してくれていた。何と社長自らが農園で採れた野菜などをたっぷり入れたボルシチを作ってくれていた。この濃厚な味、忘れられない。数時間煮込んだという。サラダなどもふんだんに出てきて、さすが農園と思う。そしてお昼からウオッカ一気飲みが始まる。ボルシチとウオッカで酔いしれる?





 

社長の息子たちはアメリカ・カナダなどに住んでいるようで、1年の半分は向こうで暮らすそうだ。『夏はモンゴルだよ』という言葉に生活の豊かさが感じられた。こんな『半引退生活』はすてきだな。

 

2. プーケット

予約ミスは笑って帳消し

 

 

ホテルへ入り、チェックインを告げる。ネットで予約したとだけ話した。実は先日ネットで予約した際、日にちを間違えて入力していた。ホテルの女性オーナーは笑いながら一言『問題ない。このまま泊まってよい』という。何ともおおらかな。日本だったら例え部屋がいていても絶対に追加料金を取られただろう。


 

このオーナー、ジョジは非常に流暢な英語を話す。そしてどことなくヨーロッパ系の面影も感じられる不思議な女性だった。『家族はバンコックに住んでいる。バンコックでいい日本レストランはどこか』などと聞いてくるので、『エンポリの葵はどうか』と言ってみると『オー、あそこのカレーうどんは確かにおいしい』と意気投合。


 

親切にもプーケットタウンの地図にお勧めのレストラン、観光スポットをどんどん書き込み、紹介してくれた。これはグッドなサービス。『イギリスに留学していた時にベストフレンドは日本人だった』と日本びいきの理由を話す彼女。何とも面白い。

 

ホテルはカサブランカという名前の通り、白を基調としている。部屋もそこそこ大きく、ゆったりした感じがある。ビーチリゾートとは違うが、リゾート感覚のホテルだった。スタッフも英語が出来、お客の80%以上は、ヨーロッパ人だとか。何で私がここへ迷い込んだのだろうか、これも必然のなせる業か。


 

韓国人が行く麵屋

 

 

ジョジに勧められて、ランチに出かける。ホッキンミー、福建麺のことだが、美味しい店があるという。そしてなぜか『韓国人客が多い』ともいう。なんだそれ。店はホテルからそう遠くはなかった。

 

行ってみると確かに韓国語の看板が出ており、韓国語のメニューもあり、そして韓国人観光客が座っていた。この店は韓国系がやっているのかと思ったが、どうやら中国系らしい。ただ普通話で話し掛けても全く通じなかった。むしろ英語の方が通じた。


 

店の売り物は福建麺。これは太麺でラーメンに近い。スープはかなりあっさりしており、韓国人などは辛いソースでも掛けないと物足りないだろう。汁麺と汁なしがあるようだ。1杯、40bと庶民的な料金。というより、ここプーケットタウンは一部を除いて観光地ではない。ビーチとは違うのである。

 

モンゴル緑茶

 

 

夕方A会頭のオフィスに向かう。ここでお茶農家と会うことになっていた。私はお茶と聞くと現場の農場まで是非行きたかったのだが、時間がそれを許さず、逆に農家の嫁さんがわざわざ車を飛ばして会いに来てくれた。片道3時間以上はかかるそうだ。恐縮。


 

ただ話を聞いてみると当たり前だが、茶の木があるわけではなく、茶葉が使われている訳でもない。高原で採れる花などを使い、茶として飲んでいる。カフェインがなく、飲みやすい。これは健康に良く、むくみや骨粗鬆症にも効果があるという。一種の薬にもなるようだ。

 

モンゴルでは従来茶葉はなく、ソ連時代は遠くグルジアから運ばれてきた。ただこのお茶には苦みがあり、砂糖とミルクをたっぷり入れていた。いずれにしても茶葉は不足していた(60年代以降中ソ対立により、中国から茶葉が入らなくなったことが影響)。

 

92年に生産を開始。最近の健康ブームにより、砂糖ミルクを入れずに飲める飲料として、『モンゴル緑茶』と称して、販売を拡大している。現在はリピーター中心だが、スーパーなども取り扱いを始め、またキオスクなどへの直接販売も始まっている。面談が終わると、『日のあるうちに山へ帰る』と嫁さんは車を飛ばして戻って行った。

 

スモークフィッシュで大宴会

 

 

Nさんが市場へ行った。そして河魚の燻製を買ってきた。これはとてもうまかった。段々普通の食事にも飽きてきたので、魚をあてに一杯やる。N教授などは望むところで、仕入れたビールやウオッカを取り出す。それにしても、セレンゲはとにかく豊かなところだ。モンゴルにもこんなところがあるのかと本当に驚く。


 


   

 

部屋のテレビもきちんと映った。ロシア語の放送だが、世界陸上を生中継している。日本ではTBSが織田裕二をキャスターに起用して放映しているはずだが、日本選手ばかりにスポットを当てて、引っ張りに引っ張るが、こちらはどんどん競技を中継してくれるから嬉しい。


 

勿論モスクワで行われているのだから、ロシア選手が注目されているが、日本選手も映ってくるし、中国選手も出て来る。このような放送がモンゴルで見られること自体、興味深い。当然モンゴルでロシア語が出来る人は多いし、特にここは国境である。当たり前なのかもしれないが。

 

 

ノックエアーに萌える?

 

 

搭乗ゲートにいる黄色い制服を着たノックエアーの女性職員はなぜか皆小柄で可愛らしい。日本人的な人が多い。ある人が「ノックエアーの黄色い制服を見ると萌える」と言っていたが、何となく分かる気がする(笑い)。これも一つのサービスの成果、ということか。空港内で搭乗者のみ無料でネットが繋げられるというのも、ノックの良いところ。エアアジアは持ち込み荷物の分量などにうるさいため、個人的には敬遠している。


 

機内はほぼ満員だったが、なぜか私の席は隣もその隣も来なかった。3席独占で悠々と過ごす。プーケットということで、リゾート客が多い。欧米人も結構いたが、中国語もかなり聞こえてきた。LCCでは通常食べ物も飲み物も出ないのだが、ノックでは小さなパンが一つと水が配られた。たったこれだけでも印象はかなり違う。


 

バスとモータサイを乗り継ぐ

 

 

定刻にプーケットの空港に到着。イメージより小さい。恐らくは18年前と大きく変わっていないようだ。預け荷物なしですぐに外へ出る。タクシーと書かれた場所へ行くとプーケットタウンまで何と650bもする。『バスはないのか』と聞くと『ない』と言われ、タクシーに乗るように勧められる。

 

なんだかおかしいと思い、3回同じことを聞くと、一人のおじさんが『あっちだ』と指をさす。残りの2人が舌打ちしたのが分かる。観光地プーケットのイメージは決して良くない。タイにはロットゥというミニバスがあるが、これはパトンなどのビーチにしか行かない。料金は180b。ではタウンに行くにはどうしたらよいのか?一番端のおじさんが手を挙げて呼ぶ。『プーケットタウン』と叫ぶと『うーん、近くまでは行くよ』という。


 

聞けばこのバスもパトンビーチ行きだが、途中タウン近くのロータスを通るという。取り敢えずこれに乗ることにした。だが出発は11時半、まだ30分以上もある。それでも急ぐ旅でもなし、気長に待つ。これだけ観光客が多いプーケットにおいて、交通網だけははっきり悪いと言わざるを得ない。

 

バスにはタイ人などが乗っていた。欧米人や中国人はタクシーか団体バスに乗って行ってしまう。結局半分以上が埋まった1120分過ぎに、バスは出てしまった。飛行機の関係でこれ以上乗客がいないと判断したのだが、実は一人、荷物をバスにおいてどこかへ行っていた人がいた。慌てて車掌が止めて事なきを得た。

 

空港からの道は何だか昔と変わらないような田舎道だった。途中ジャングルのような林も通過した。これが中国だったら相当の変化が見込まれるが、この地は発展していないのだろうか。幹線道路沿いには商店がびっしり並ぶ。これは昔とは違う。途中ロータスが見えたが、まだ時間的に早いとスルー。そしてちょっとウトウトしていたら、車掌のおばさんが『ロータス』と声を掛けてくれた。ロータスが2つあるとは、やはり発展はしている。


 

バスを降りたが、どうしてよいか分からない。そこは本当に郊外の店だった。キョロキョロしていると、バイタクのおじさんが目に入る。市内まで70bと言われ、ちょっと高いかなと思ったが、それ以外に選択肢がないので乗り込む。この付近は他にもショッピングモールがあり、建設中のマンションもあり。

 

バイクは結構時間がかかった。やはりそれなりに遠かったのだ。オールドタウンに入ると、いろいろな建物が目に入る。時計台などもある。だが目的地であるホテルはどこにあるか分からない。バイクのおじさんも自分で探す気はないようで、『ここがプーケットロード』と言っては、何度も同じようなところを回っていた。仕方がないので『ここで停めろ』と言ってバイクを降りようとしたところ、今日の宿泊先、カサブランカが斜め前に見えてホッとした。


 

815日(木) 

フェルト靴工場

 

 

翌日は朝からホテルの近くのフェルト靴屋さんへ。N教授は数年前に訪問したことがあるようで、旧交を温めていた。ご主人はUB、奥さんがセレンゲ出身。90年代にパン作りで成功したが、親戚に横領され、2000年に倒産。そこから苦労の末這い上がり、2005年にノルウエーと共同で、今の事業を開始。最初は言葉も通じなかったというが、原料がよく、デザインもいいことから注文が続き、今ではモンゴル内から買い付けに来るという。


 

最近テレビ番組に出演、その注目度が一気に上がった。だが、内実は自転車操業。デザインは他社に盗用され、銀行融資は受けられず、生産効率も高くない。モンゴルの中小企業の悩みがハッキリと出ていた。テレビをきっかけに様々な支援が入ることを望んでいる。海外への売り込みも狙っており、ドイツのNPOHPを制作してくれたりしている。

 

このフェルト靴、何よりも暖かい。冬の寒いモンゴルでは室内履きにする人もいるようだ。特に子供靴は可愛らしい。孫がいたら、買い求めたい一品。A教授はすかさずブーツを購入。A氏は直ぐに誰とでも仲良くなるタイプ。皆を笑顔にする。


 

フェルトの帽子、は昔モンゴルでもよく被られていたらしい。旧共産圏のチェコあたりで作られていたそうだが、今では市場でそれを見つけることも一苦労。あったとしても相当高額のようであり、このフェルト靴も、もう少し値段が上がってもよさそうだ。その為には市場の開拓が第一。


 

なぜかほのぼのとした家内工業。雰囲気が良い。長男も後継ぎとして帰ってきたとのことだったが、勤めていた銀行が破たんしたとの話もあった。モンゴル経済は冬の時代を迎えるのだろうか。

 

バイオアグロ

 

 

午後はバイオアグロの会社へ。何と沖縄の教授が開発したバクテリア菌を使い、作物の生産量が飛躍的に伸びるらしい。昨日訪問した小麦農場も実はここの肥料を採用し、生産量を伸ばしていた。社長曰く、『生産量が伸びれば、肥料の売り上げも伸びると思ったが間違いだった。成功した農家は絶対にその秘密を他にばらさないから。また収穫量をごまかし、税逃れする企業も多い』、なるほど。

 

肥料だけで収益を確保することは難しいうえ、政府は予算で安い肥料を購入し、無償で農家に分けているのも痛い。肥料は海外から安い商品が入ってくるので価格では対抗できない。一方輸出は国家間の協定が必要だが、なかなか交渉してはくれない。

 

この会社のオフィスは国有企業時代のまま。せっかく良い商品を持っていながら、それが生かせない。政府も色々と利権があり、民間企業を支援しない。これもまたモンゴルの1つの問題である。





 

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