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(2) ラマダン中の食事はフルーツから
午後2時にウルムチ空港に到着。非常に近代的な空港で驚く。何とターミナルが3つあるとか。既に規模は北京並みか。空港内には経済開発区の宣伝や、中欧博覧会の開催を知らせる案内が出ている。ウルムチは政治や民族ではなく、経済都市をアピールしている。外に出ると日差しが強い。




空港には新疆財経大学の副教授J氏とS氏が迎えに来てくれていた。J氏はA大学で博士号を取得、S氏は京大で取得している秀才である。私はS氏が運転する車に乗り込む。空港から市内まで20㎞だが、道は空いており、どんどん進む。「空港に来るときは渋滞があり、かなり時間が掛かった」と言われるがピンとこない。


ウルムチ市の北側、空港から20分ほどでホテルの到着。ここは元々イリのウルムチ駐在員事務所。メインの建物の後ろには新しい建物も建っている。従前の計画では列車で33時間掛けて来る予定であったから、到着は明日。急遽本日のホテルを予約したようだが、メインビルは満室で今日のみ別館に泊まる。


行って見ると部屋はきれいだが、掃除が出来ておらず、荷物だけ置いて昼食へ向かう。既に午後2時半を回っており、どこでご飯を食べるのだろうか、と思っているとホテル横のレストランに。案の定誰もお客はいない。従業員も手持無沙汰。入り口には「安全検査」と書かれた紙がテーブルの上にあったが、誰もバックを開けようとはしない。


このレストランはメニューが壁に写真入りで張り出されており、外地から来た人間にも分かり易い。N先生は兎に角ビール。新疆ビールと書かれた冷蔵庫があったが、それほど冷えてはいない。私は「チャイ」と書かれたお茶を所望。しかし出て来たのは所謂羊のバターを入れたバター茶。S氏いわく「ここは漢族のレストランで美味しくない。本物はまた別の機会に」と。


驚いた事には先ず食事の前に出て来たのがスイカ。私は大好きだし、のども乾いていたので問題ないが、スイカをつまみにビールは大変。何故スイカかと聞くと、「ラマダン中本来日中食事は勿論、水すら飲んではいけない。夜食事の前に先ずは水分を取り、かつ糖分を補給して、胃腸の活動を促すため」という。まさに知恵である。

 
2011年8月12日(金)
1. ウルムチ
(1) ウルムチ行きにテロ警戒の気配なし
北京空港は夏休みのせいか、乗客がいつもより多い。荷物検査も混んでいた。以前成都行きに乗った時、何故か特別検査ゲートを指示されたことがあった。そこでは靴も脱ぎ、ベルトも外して検査する念の入れよう。理由を尋ねたが誰一人答えなかった。後で分かったことはその飛行機が成都経由でチベットのラサ行きであったこと。経由便でもそれほどの警戒があるのであるから、ウルムチ直行便などは当然特別検査対象と思っていたが、結局すんなり通過してしまう。どうなっているのか。


因みにこの時は全ての荷物を機内持ち込みにしたが、何も引っ掛からなかった。ところが最後に北京から東京に帰ろうとした国際線の荷物検査でシャンプーを取り上げられた。係官は「容器が100ml以上の場合、中身が100ml以下でも没収の対象」と説明。何となく納得が行かずにいると係官は対象法令を指さす。そこには「容積が100ml以上・・」とある。容積とは中身ではないのか?しかもこれまで一度も引っ掛からなかったことを主張してみたが、「荷物を預けろ」と言うばかり。これを見ても中国の検査が結構いい加減なことが分かる。テロ対策大丈夫か。


N先生ともう一人M先生と空港内で合流した。M先生も80年代北京に留学したつわもので、毎年中国に学生を連れてやって来ており、今回も北京師範大学に学生を送り込んでこのツアーに参加している。更にはこのツアーの後、モスクワに行く予定もあり、日本に戻るには何と9月下旬という凄いスケジュールの持ち主だ。このように熱心な先生がいるんだなあ、と妙に感心。


3人でコーヒーを飲んで話し込んでいると、出発30分前になる。最近国内線は招集も早く、どんどんドアを閉めて出発する傾向にある。慌ててゲートへ行くと案の定殆どの乗客は既に乗り込み、我々は完全に出遅れていた。客室内は満員、自分の席に行くと、隣の中国人が「友人と席を替わって欲しい」と言う。満員の為一緒の席が取れなかったようだ。替わってあげたが、私の荷物を納める所がなく、苦労する。夏休みで子供の姿も多く、本当に観光シーズンを感じる。日本で言われているテロや暴動を想起させる新疆のイメージは全くない。




国内線で4時間のフライトは初めて。エアーチャイナのサービスにははじめから期待してはいないが、機内食は相変わらず不味い。隣のおじさんはイスラム教徒(回教徒か)らしく、ベジ料理を頼んだが、「予約の時に言ってくれなければ困る」などとCAから言われ、しょぼんとしていた。そうは言っても結局はベジが出て来たところを見ると、やはりこの路線でのニーズは高いらしい。

 
《新疆散歩》 2011年8月12-20日

中国の新疆と言えば、シルクロード。ちょうど私が大学に入る頃、NHKが「シルクロード」という番組を放映し、改革開放政策と相俟って、大ヒットを飛ばした。あの喜多郎の雄大な音楽と石坂浩二のナレーションは未だに耳に残っている。中国ブームのはしりだ。


どうしても新疆に行きたい、いやシルクロードを辿ってみたい。その希望は何度も打ち砕かれてきた。1987年上海留学の最後に計画した西安‐カシュガル横断旅行は、仕事でダメになった。2000年、北京在住中には、内モンゴルにはよく行ったが、それより西に行く機会は訪れなかった。


2007年に再度北京に住んでからは、兎に角毎年夏になると計画した。しかしその度に、航空機爆破未遂、ウルムチ暴動などが発生して、旅行は中止になった。辛うじて西安に初めて行き、蘭州にも行った。こんなメジャーな都市にこれまで一度も行かなかったのかと、友人には笑われた。しかし個人的には「新疆は老後の楽しみ」と割り切り始めていた。


今年に入り、お世話になっているA大学のN先生より、「夏の辺境調査は新疆だ」と聞き、俄然行く気になった。幸い会社に行かなくなり、時間は自由になった。この辺境調査、単に辺境に行くだけではない。各地の政府、大学、工業団地、企業などを訪問し、話を聞く。これまで広西壮族自治区、ウランバートル、延辺朝鮮族自治州の調査に同行しており、その有意義な様子は理解している。イメージと違った新疆が見られるかもしれない。


北京からウルムチまで33時間を列車で行く、というN先生に最初から同行することにした。しかし夏の新疆は旅行のハイシーズン。結局列車の切符は取れずに飛行機で行くことに。ちょっと残念でもあり、ホッとした面もある。やはり体力の衰えを自覚し始めている。

 
デリー空港で一波乱
エクスプレスは確かに18分で着いてしまった。しかし私にはまだ出発まで4時間半もの時間が残されている。先ずはチェックインが出来るかどうか。恐る恐るカウンターへ向かうとチェックインはいとも簡単にできた。そこでつい、「何故市内でチェックイン出来ないのか」と聞いてしまった。


職員は誇らしげに「それはインターナショナル・ルールだから」と答える。これまで大抵のことには我慢できていたが、この近代的な空港でインドのことしか知らないにいちゃんにインターナショナル・ルールを持ち出されるとちょっと怒る。香港だって、他のアジアの都市だって、市内でチェックインできるぞ、と言い返すと、彼も本気で応戦してきた。


とその時、後ろに一人だけいたインド人のおばさんが「そうよ、香港ではチェックインできたわ」と助太刀してくれる。職員もおばさんの勢いに押されて私にボーディングパスを渡す。しかし更におばさんが「あんた、香港人?香港はひどいわね、英語が全く通じない、何アレ」と怒りの矛先を私に向けて来た。確かにおばさんのインド英語は相当凄まじく、ほとんど聞き取れない、香港人も参ったことだろう。早々に退散する。


イミグレは結構並んでいたので、早めに通過しようと列に並ぶ。後ろに中国人の団体が20人ほど並び、口々に「インドって、なんでこんなに遅いんだ」と北京語でまくしたてる。私にしてみれば10-20年前、あんたの国もこれと同じくらい遅かったんだと言いたくなる。


30分ほどしてようやくイミグレを通過、ホッとして荷物検査を通過しようとすると、お姐さんが「タッグが無い」とつぶやく。そして私に目配せして、「キングフィッシャーのオフィスへ行け」と小声で言う。私は意味が分からず、何言っているんだ、と聞き返すと、万事休す、といった表情になる。彼女の上司がやって来ていきなり、「タッグが無いなら航空会社カウンターへ戻れ」と叫ぶ。一瞬何が起こったか理解できない。説明を求めてもおじさんは私のボーディングパスに押された2つのハンコにバツ印を付け、イミグレを指さす。しかしここから戻る方法すら分からない。どうするんだ、途方に暮れる。



仕方なく、イミグレへ向かうと銃を持ったおじさんが「なんだ」と怖い顔でにらむ。検査台を指して、訴えるとそのおじさんが、検査台で状況を確認して、ちょっと来い、と手で合図する。とうとう一からやり直しか、はたまた賄賂でも要求されるかと思っていると、おじさんは自分の席から何かをポーンと投げてよこした。見るとタッグである。それを持って検査台へ行くと、何事もなかったかのように通過できた。一体今のナンだったのだろうか。しかもよく見るとそのタッグは私の搭乗するキングフィッシャーではなく、エアアジアのものであった。これがインドの柔軟性か。



中に入ると、そこはインドではなかった。高級車の展示あり、マックやビザ屋あり、広々とした空間で人々が飛行機を待っていた。「インドは一度トラブルと大変なんです」と言われていたが、厳しくもあり、また楽しくもある場所である。それにしてもあのタッグはカウンター職員がドサクサに紛れて、わざと渡さなかったのだろう。それでも何とかなってしまう所がやはりインド、ということか。今回もまた大いに勉強になり、人生を考える上で大きな意味があった、と思う。

 
全ては安全上の理由で
YMCAに戻り、シャワーをたっぷり浴び、通いなれた1階のビジネスセンターへ行く。今回は1日2回ここでメールチェックなどを行っており、すっかり顔なじみに。何だかデリーも名残惜しい。


最近出来たと言うエアポートエクスプレスに乗れば、ニューデリー駅から空港まで僅か18分、しかも駅でチェックインもできると言うので、早めにYMCAを出る。これまた顔なじみになりながら一度も使わなかったリキシャ-のターバンおじさんが待っていた。「最後ぐらい乗れよ。駅まで30rpで行くよ」と言われたが、今回は地下鉄で通そうと思い、断る。


大きな荷物を持って、地下鉄へ。何だかこの格好でいるとちょっとインドに入り込んだ気がする。地元の人と一緒に危ない道を急いで渡り、地下鉄の荷物検査に耐える。インドに居ると時々顔を出す「俺はいったいなぜここに居るんだ、何しているんだ」という思いが出て来る。


ようやくエクスプレスのチェックインカウンターへ。ところが・・・。国際線のカウンターが何処にもない。聞けば「ここでチェックインできるのは国内線のみ」と言う。ここまで重い荷物を運んできた疲れからか急に怒りがこみ上げる。「広告のどこにも書いていないと」と責めると、「その通り、我々も不思議に思っている、全ては安全上の理由だ」と。


エクスプレスの職員はそれでも私の荷物を見て気の毒に思い、「先ずは空港に行ってくれ」と自ら荷物を持って切符売り場で切符を買ってくれた。空港まで何と65rp。空港から来たプリペイドタクシーが320rpだったから、格安ではある。


実は計画ではチェックイン後に夕食を市内で食べ、悠々と空港へ向かはずだった。しかしこうなれば仕方がない。空港へ向かう。ホームに降りるとすぐに列車が来た。見た感じは香港のエアポートエクスプレスと同じ。記念に写真を撮ろうとすると・・。


係員が飛んできて「写真不可」を言い渡す。思わず「何で!」と大声になる。「安全上の理由で」との答えに納得できない。どこにも禁止の表示はない。すると一旦列車に乗ったインド人の品のいい紳士が降りて来て「どうした」と聞く。彼に理由を話せば、この理不尽な対応に何か言ってくれると期待したが、彼の口から出た言葉は「すべては安全上の理由です。我慢してください」というもの。確かに先月もムンバイでテロがあったばかり。しかし・・・すべて安全上の理由で片づけられては。

 
世界遺産へ行き損ねる
地下鉄に乗って市内に戻る途中寄り道する。高架から立派な遺跡のようなものが目に入る。チャタプールと言う駅で下車。駅のすぐ近くに何やら像が立っていたので行って見ると、何とテーマパークのような場所。ここで降りたインド人達は次々と乗合タクシーやリキシャ-に乗っていくが、私は行先が不明?のため、徒歩で目指すことにした。




途中かなり大きなイスラム寺院があり、多くの人が入って行ったが、靴を脱ぐのが億劫で入るのを断念。ここを過ぎると歩く人もまばらとなり、目的地の方角も定かでなくなる。駅から見えた遺跡がそんなに遠いわけがない、とは思ったが、歩いても、歩いても見えてこない。


タクシーもリキシャ-すらも通らなくなり、諦める。しかしどうやって戻るか、目的地に着けなかった落胆も含め、曇りの天気にも拘らず、相当の疲労感がある。今来た道を戻るのは本当にしんどい。前をよく見ると高架が見える。ここは地下鉄の次の駅へ向かう道のようだ。それから20分ほど歩いて、ようやくクタミラーと言う駅に着き、地下鉄で戻る。


この寄り道は一体なんだったのだろうか。あまりにも計画性がない旅を戒められたのだろうか。兎に角近くまで行きながらチャルタプールと言う世界遺産を見逃したことには違いはない。

 
インドの中産階級を見るグルガオン
午後は地下鉄でグルガオンへ。先日会ったM先生からも「インドの発展を見るのであればグルガオンへ行け」と言われたので、訪ねた。デリー中心からほぼ1時間、地下鉄が高架に変わっている駅に前には、大きなショッピングモールがいくつも見える。グルガオンのどこへ行くかではなく、その辺に行けば分かる、と言われた意味が分かる。


MGロードと言う駅で降りてみる。駅前にはCitibankや携帯のサムソンの大きな看板がかかるショッピングモールが見える。本日は休日と言うこともあり、大勢の人が中へ吸い込まれていく。


中へ入ると作りは日本のデパートとほぼ同じ。1階の化粧品コーナー、2階の婦人服と続いていたが、その人の多さは私が子供の頃体験したデパートを想起させる。そして来ているだけではなく、大量に買い込んでいる。ちょうどバーゲンだったのだろうか。

値段は物にもよるが、中国並み。インドの中産階級と言われる人々のバーゲニングパワーを見る思いだ。正直あまりに人が多く、そして勢いがあるので、こちらは何となく気圧されて外へ出る。押し出される感覚だ。外には駐車場を求めて車が殺到する。


どのショッピングモールにも、マックやピザ屋が付いており、ここも家族連れなどで超満員。また映画館併設のシネコンもあり、ボリウッド映画も上映されている。ここはある意味ではインドではない。資本主義に刺激された人々が増えるにつれて、インドも内面から変化していくのであろうか。


 

 
7月23日(土)
17.デリー3日目
隠れ家的日本人経営の宿
デリー3日目、今日は観光ではなく、街歩き。先ずはデリーで日本人が経営している宿を訪ねる。今回出発前に何人かに聞いたり、ネットで見たりしたのだが、デリーの日本人経営宿は見付からなかった。ところが昨日日本語のフリーペーパーを発見し、見ていると、広告が出ていたので行って見ることに。




リキシャーで来るように言われたが、例のごとく地下鉄で。昨日も行ったセントラルセクリアットでバイオレットラインに乗り換え、カイラスコロニーで下車。5分ぐらい歩いて行くと高級住宅街に入る。ところが住居表示が非常に分かり難く目的地になかなか着けない。最後はまたまた携帯で電話してようやく到着。


ここサプナ(http://sapna.exblog.jp/10136506/)は「デリーの小さな宿、日本人のためのゲストハウス」と言う謳い文句とはちょっと様子が違う。高級住宅の貸部屋。中に入ると日本人の中年男性が3人、PCを触りながら朝ごはんを食べていた。その光景はゲストハウスではなく、高級下宿。


朝食付きで1泊7,500円からというのは頷ける。朝食は和洋印から選べ、広々としたリビングで取る。インドの住宅は各部屋にバストイレが併設されており、宿泊者はトイレで悩むこともない。非常に清潔感があり、またゆったり感がある。


店主の日本人女性Mさんにお話を伺うと「初めは自分が食べていければよいと開始、近所に有名な女性向けファッション・雑貨市場があるので、女性の一人旅などで泊まって欲しかったが、実際には企業駐在出来た人々の始業時の宿となっている」とのこと。現在N-34に3部屋、N-22に6部屋を有する。Mさんはデリー滞在15年、働かないで暮らすつもりだったが、その後自分にできることとして7年前にこのゲストハウスを開業。インド人パートナーもなく、数人のインド人従業員を使って運営している。


お話の端々に「デリーには建築上の高さ制限あるが、最近は1階に駐車スペースを作れば4階まで可」「グルカオンは別の州で制限がなく、日系企業もかなり引っ越した」「インド人は土地を分割しない。銀行の抵当品でも内部で購入してしまう」など、インド事情が溢れだす。Mさんはお母さんのような存在であろうか。


デリーに行ったら、インド人の高級家庭を体験する意味でも、決まりきったコースを外れてこのような宿に泊まってみるのも面白い。周辺にはブティックやレストランなどもあり、観光では見られないデリーの一面に触れる機会にもなる。

 
インドの価格差とは
メインバザールをずっと歩いて行くと地下鉄アシュラムマグ駅に到着する。地下鉄と言っても高架であるが。午後は博物館に行きたいと思っていたので、セントラルセクリアット駅へ向かう。駅から地上に上がったが、広大な場所であり、どこへ行ってよいか分からない。とても立派な建物が見えたのでそちらへ。そこは国会議事堂と官庁街であった。建物の一つは財務省、つかつか入っていくと警備員は建物の前まではノーチェック。入り口で初めてチェックが掛かったが、実に丁重な英語で入館を断られる。とても不思議な感じだ。






反対側の遥か遠くにインド門が見える。あそこまでオートリキシャーで行きたいが、流しが走っていない。皆チャーターしている。またクラシックカーかと思う立派な車で来ている者もいる。仕方なく、とぼとぼ歩く。途中まで来ると突然流しのリキシャ-が大量にいる。そうか、流しは入れないのか。しかし彼らは私の(疲れている)足元を見て50rpだ、100rpだと法外な料金を要求する。行先は見えているのだから、彼らの足元を逆に見て、メーターの最低料金である20rpを下回る10rpを提示。誰も受けないと見るとさっさと歩きだす。すると、1台が追いかけて来て、10rpでいいから乗れ、と合図する。とうとうインド人に打ち勝った気分。しかしそれは僅か1㎞の距離であり、当然の値段。

インド門を一周して、博物館が何処にあるかよく分からないまま再び歩き出す。またさっきのリキシャ-が来て、10rpで乗れと言う。何となく癪で歩き出す。のどが渇いた。道端のスタンドでスプライトを1つ買おうとすると何と150rpだという。あまりに高いので驚いて見せると120rpになったが、買わずに離れる。そしてすぐ隣のスタンドで同じ物を買うと何と30rp。それでも普通の店より高いが、この価格差には唖然とする。何でもアリだな、この国は。

博物館をようやく見付けて、見学する。なかなか雰囲気のある仏像が多数あり、見とれる。そして出口の門から外へ出ると、クラシックカータクシーが目の前に登場。これまでなら無視してやり過ごすが、面白そうだし、疲れているので乗ってみることに。料金はメーター通り50rp。それほど高くない。


運転手は私が香港から来た、と告げると最近中国人観光客が多いと言い、自分の知る限りの中国語を話しだす。ちょっとビックリ。そして仕切りに以後の私の予定を知りたがる。車をチャーターしてもらいたいのがありあり。その手に乗らずかわしていると、最後は50rpを受け取り素直に分かれた。リキシャ-から1㎞100rpと言われたり、タクシーが数キロ走って50rpだったり、何とも分かり難い国である。


 

 
寺子屋チャイナビジネス版にご参加の皆様へ


第5回寺子屋チャイナを以下の日程で開催いたします。
今回は「中国における日系不動産会社の展望」といったテーマで
森ビルの宮城さんよりご報告を頂きます。


出席の方は「出席」とのご連絡を頂きたく、
お願いします。もし12名を超えた場合はウエイティングと
なりますので、早めにご連絡をお願いします。


terakoyachina@gmail.com


テーマ:「中国における日系不動産会社の展望」(仮題)
講師: 宮城 拓さん(森ビル勤務)
開催日: 10月24日(月)19:30~
場所: 恵比寿
定員: 12名
会費: 2,000円

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